第2場 秘密兵器

 俺も航平もだいぶセリフ回しが上手くなって来たと思うのだが、美琴ちゃんはまだ不満があるらしい。


「つむつむもこうちゃんも、恋する男の心情ってものがまだまだわかってないみたいね。二人共、恋したことある?」


美琴ちゃんの問いかけは度々唐突だ。俺はその質問に思わず咳き込んだ。


「そ、それは、ええと……」


俺は返答に窮してしまった。俺は「恋している」。俺の隣に座っている、この小さくて可愛い航平に。確かにそうなのだが、この場で、美琴ちゃんや先輩の部員を前に「航平が恋人です」などと堂々と宣言する程の度胸は俺にはない。俺が口ごもっていると、


「あるっちゃあるよね、つむつむ?」


と、航平が俺を見上げて言った。こいつは俺との恋人関係を何の躊躇もなくこの場で暴露するつもりなのか? お前は良くても俺はまだお前以外の人間に、俺がお前を好きであることを明かす勇気はないんだよ。俺は慌てて航平の口を塞ぎ、


「ないです! 一度もありません!」


と叫んだ。


「やっぱりね。こういう時のために、アレを用意して来てよかったわ。ちょっと待っていて。今、職員室からアレを持って来るから」


美琴ちゃんは意味深にニヤリと不敵な笑みを浮かべると、浮足立ってスキップしながら体育館を出て行った。


「わぁ、出たよ。最終奥義」


「来たねぇ」


兼好さんと西園寺さんがニヤニヤしながら顔を見合わせて笑っている。航平は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いていた。え? 一体何が始まろうとしているんだ? 俺は嫌な予感がした。こういう時のってよく当たるんだよな。


 それよりも、だ。航平は口が軽すぎる。口止めしておかないと、俺たちの関係をそこら中でベラベラ喋りそうだ。


「おい、航平。俺たちの関係は口外禁止だ」


俺は航平に囁いた。航平はキョトンとした顔を俺に向ける。全く何が問題なのかわからないといった様子だ。


「え? どうして?」


「どうしてって、お前なあ。俺は結局、その、ゲイってやつになるんだよな?」


「まぁ、紡は男の子の僕を好きになったんだし、そりゃそうでしょ。紡が女の子に興味があるなら、バイってことになるけど」


「そんなことはどうでもいいんだよ。俺はな、まだ周囲に男が好きだと知られる訳にはいかないんだ。お前はいいかもしれないけど、俺はまだ心の準備が出来てない。大体、男同士の恋愛が趣味な美琴ちゃんが俺たちの関係を知ったら、どんな騒ぎになるか……。俺は考えただけでも恐ろしい」


「うーん……。まぁ、それはそうかも。美琴ちゃん、興奮しすぎて鼻血出して出血多量で死んじゃったら可哀想だしね」


「あ、いや、まぁ……。出血多量になるかどうかは置いておいて、暫くは外では黙っていてくれ。頼む」


「仕方がないなぁ。……まあ、でも、紡の気持ちもわからないでもない、か。いいよ。秘密にしておいてあげる」


航平にしては渋々だが、俺の言う通りに俺たちの恋人関係を外では黙っていてくれるらしい。俺は取り敢えずほっと胸を撫で下ろした。これから始まる恐ろしいミッションが迫っていることも知らずに。




 美琴ちゃんはキラキラした笑顔を見せながら戻って来ると、俺と航平の前にとある紙袋を置いた。その美琴ちゃんの笑顔の輝きっぷりも俺の不安を増大させる。


「これ、演技の勉強のために、つむつむとこうちゃん二人で聞きなさい」


「何ですか、これ?」


俺が中身を取り出して見ようとするのを、美琴ちゃんが電光石火の勢いで止めた。


「ダメよ! ここで開けたら。学校に教師がこんなものを持って来ているとバレたら、大変なことになるから。いい? 寮に持って帰っても、絶対他の寮生や寮母さんに見られないように、隠しておきなさい。絶対に見つからないように気を付けること。もし見つかったら、あなたたち、ただじゃおかないわよ」


 え? そんな、堂々と見たらいけないようなものなのか? そんなものを生徒に平気で渡す美琴ちゃんは、これでも一介の教師なんだよなぁ。本当に教員免許を持っているのか、見せて貰いたいもんだ。でも、何だか美琴ちゃんの破天荒さには俺も少しずつ慣れ始めていた。航平の「ルールは破るためにある」というモットーも、この人から影響を受けたんじゃないだろうか。


 俺は取り敢えず、その紙袋を受け取った。何だかずっしりと重い。何がこんなに入っているんだろう。紙袋を持ち帰る時に、紙袋が破れないように気を付けなきゃ。


「おい、航平、紙袋持ち帰るの手伝って……」


俺が部活が終わって着替えを済ませ、帰ろうとすると航平はもう帰った後だった。いつもは一緒に寮まで帰るのに。こういう力仕事がある時に限って先に帰るなんて、いつものことながらちゃっかりしているもんだと呆れる。俺は紙袋の持ち手が重さで破れないように、紙袋の底を持ってよろよろと歩き出した。


「大丈夫? ちょっと手伝おうか?」


部長が俺に声をかけてくれた。


「すみません。でも、大丈夫です」


と言いかけたが、部長は紙袋の片方に既に手を回していた。


「そのまま歩いていたら前も見えないし危ないだろ? いいよ。寮まで運ぶの手伝うから」


「ありがとうございます」


正直少し助かった。この紙袋、なかなかに重くて持ち運びが大変だ。美琴ちゃん、よくこんな重くて大きいものを、職員室で他の教師たちに怪しまれることもなく、ここまで一人で持って来たなと感心する。これも演劇部にかける情熱とやらが人一倍強い由縁だろうか。


「重いだろ? 俺たち、去年の大会の台本でうまく芝居できなかった時も、これと同じことさせられたよ」


部長の顔には苦笑が浮かんでいる。航平といい、先輩たちといい、一体この紙袋に何が入っていて、俺は何をさせられるというのだろう。


「何か悪い予感しかしないんですが」


その俺の質問に部長は苦笑いを返すだけだった。やっぱり碌でもないものが入っているらしい。


「でも、結構役に立つよ、これ。俺たちもこのおかげでだいぶ芝居のイメージがつかめたし」


「芝居のイメージですか?」


「そう。ま、何事も楽しむことが大切だからね。慣れれば楽しめるようになるよ」


「へぇ……そうなんですね……」


 全く何のことやら余計にわからなくなるのだが、何とか部長に手伝って貰って、寮まで紙袋を運んだ俺は、汗だくになりながらその紙袋を自分の机の上に置いた。ふぅ。重すぎて腕がパンパンだ。航平は既に部屋に帰っており、俺がその紙袋を持ち帰ったのを見ると、恥ずかしそうに顔を赤くしてベッドに潜り込んで顔まで布団を被ってしまった。


「おい、何してるんだよ。俺一人に運ばせるなんて酷いだろ。これ、相当重かったんだぞ。部長に手伝って貰ったんだからな。お前、次の部活の日にちゃんと部長にお礼言っておけよな」


「わかったよ」


航平が布団の中から答える。全く、世話の焼けるやつだ。


 それはそうと、中身を今すぐにでも確認したかった俺は、紙袋の中を覗いて見た。なーんだ。中身はただのCDじゃないか。どんな大層なものが入っているんだろうとドキドキしていた俺は、思わず拍子抜けしてしまった。音楽でも聴けっていうのか? 芝居が上手くなる音楽なんてあるんだろうか。とりあえず、その中のCDを一枚取り出してみる。その瞬間、俺は思わず凍り付いた。


 CDのジャケットにイケメンのアニメキャラが二人、裸で抱き合ってキスをしているじゃないか。こ、これは一体……。俺は次々に中に入っているCDを取り出していった。制服を着た男子高校生やら王子様やら執事やら、中には動物の顔をしたキャラクターまで次々にいろんなキャラクターが顔を出す。そのどれもが抱き合ったり、キスをしていたり、男同士でジャケットばかりだった。


「おい、これは一体何なんだよ!」


俺が思わず事情を知っているらしい航平に向かって叫んだ。


「それ、BLドラマCDってやつ」


航平が布団から赤い顔を覗かせて答える。


「BLドラマCD?」


「音声だけのドラマのことだよ。朗読劇みたいな。そのBL版ってこと」


「BLって、男同士で恋愛する小説や漫画ってやつのことか?」


「そういうこと」


「で、これを聴けっていうのか!?」


「うん……。それもね、紡と一緒にイヤホン片耳ずつつけて、一緒に聴かないといけないの。美琴ちゃんの指示がその紙袋の中に入っているでしょ?」


航平の言う通り、紙袋の底に美琴ちゃんからの指令をしたためた手紙が入っている。


『つむつむとこうちゃんの二人で一つのイヤホンを分け合って全て聴くこと』


だとさ! イヤホンを二人で分け合えって、あの恋人同士がやってるやつだよな? それを航平と二人でやれと。しかも、このBLドラマCDとやらでやれということなのか……。おいおい、こんなこと俺にできるのか? 俺は不安になって航平の方を見やった。すると、航平は顔を真っ赤にしたまま、布団の中に再びすっこんでしまった。どうやら、このBLドラマCDとやらは、あの航平ですら赤面してしまうような代物らしい。俺は演劇部を続けたいと美琴ちゃんに宣言した自分をひたすら後悔していた。

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