第8場 航平の影響

 俺が演劇部の活動にのめり込むようになってから、俺の毎日は飛ぶように過ぎて行った。楽しい時間や充実している時間というのは、こんなにも早く過ぎて行くものなのか。それは俺が味わう初めての感覚だった。六月の実力テストは着実に近づいて来ていたのだが、俺は演劇部に関わる日々が楽しすぎて、勉強机に向かう気持ちがあまり沸かなかった。


 でも、一週間突っ走り続けると、流石に週末は疲れが出る。週末には、先輩たちと自主公演に使用する小道具類を調達に行ったり、部屋でゴロゴロしながらゆったりと過ごすことにしていた。特に今週末は、航平が家に帰ってしまったので俺一人だ。俺は最初、あの五月蠅い奴がいなくなって、やっと気が休まるとホッとしていたのだが、実際にあいつがいないと結構淋しいものだ。先輩たちと買い出しに行っても、隣でキャッキャキャッキャとはしゃぐあの航平の笑顔が見られないのが、心にポッカリ穴が空いたような気分に陥った。


「つむつむ、今日はあまり元気ないな」


兼好さんにそう言われて、俺は少しドキッとした。


「いや、別にそんなことないですよ。俺、いつもこんな感じじゃないですか」


「うーん、そうかなぁ。いつもより何か口数少なくない? もしかして、こうちゃんがいなくて淋しい?」


「ぜ、絶対、そんなことないですよ。あんな五月蠅いやつがいなくて、俺、せいせいしているんですから」


「そうかなぁ? 何か今日はあまりつむつむの笑顔を見ていない気がするよ? こうちゃんといる時はあんなに楽しそうにしているのに」


俺、そんなにいつも航平と楽しそうにしているように見えたのかな? そんなことは自覚していないのだが。


「買い物しながらずっと笑っていたら、逆にちょっとしたホラーじゃないですか」


「まぁ、確かにそうだね」


兼好さんは納得したのかしていないのか微妙な反応だ。すると、西園寺さんがニヤニヤ笑いながら、


「これ、もしかしたらもしかするかもよ?」


と兼好さんに言った。そんな西園寺さんの意味深な一言に兼好さんも頷く。


「あぁ、そうかもしれないな。でも、だとしたら美琴ちゃんとこうちゃんのレーダー凄すぎないか?」


「美琴ちゃんとこうへ……いや、こうちゃんのレーダーって何なんですか?」


俺がそう尋ねると、更に西園寺さんは喜んだ表情になった。


「今、絶対つむつむ、こうちゃんのことって呼ぼうとしたよね」


「ああ、したな。結構普段からと呼びそうになって慌てて訂正しているよな」


「そうだった、そうだった! 益々怪しいよね」


西園寺さんは兼好さんと僕そっちのけでヒソヒソ話をしている。


「あの! 俺がこうちゃんのこと下の名前で呼んだらなんかあるんですか? それに、俺、美琴ちゃんとこうちゃんのレーダーって何のことか気になるんですけど」


「少年、もっと自分の心に正直に生きるんだぞ」


と、西園寺さんが俺の質問に答えることなく、俺の肩に手をポンと置いて言った。


「はい? 一体何の話なんですか?」


「恋せよ乙女。じゃなくて、恋せよ少年!」


「は、はい??」


「それがヒントだよ」


西園寺さんったら余計に意味のわからないことを言っている。これ以上、西園寺さんと兼好さんの二人に聞いても話にならなさそうだ。


 二人と離れると、途端に俺は手持ち無沙汰になる。俺は、今訪れている百均ショップの入り口付近に置いてある、誰が何に使うのかわからない玩具の刀をこっそり手に取って振り回してみた。あいつならこうやって「お侍さんごっこ!」とか言ってはしゃぐのかな? へへ、可愛いな。あ、いけないいけない。何がだ。しかもこんなにニヤけた顔までしちゃったりして。俺のバカ!


「何? つむつむ、そんな物欲しい訳?」


部長がそんな俺にいきなり声をかけて来た。玩具の刀を振り回すなんて、まるで小学生のような遊びをしている場面を見られてしまった俺は、焦ってその玩具の刀を下に取り落としてしまった。カランコロンという乾いた音が響き渡る。俺はいそいそとその玩具の刀を元あった売り場に戻そうとした。だが、運悪く、俺はレジにいた店員と一瞬目が合ってしまった。これ、買わない訳にいかないよな……。


「はい……欲しい……です」


俺は消え入りそうな声で部長にその玩具の刀を手渡した。


「何だ何だ。こんなものに興味があったのか。ふうん。まぁ、いいや。次の作品で役に立つかもしれないから、買っておこう」


部長はそう言って、買い物かごの中にその刀を入れた。俺は顔を真っ赤にして謝った。


「す、すみません……」


「最初は冷めた表情していたのに、つむつむも結構可愛いところあるじゃん」


部長はそう言って、俺に笑いかけた。


 あーあ、恥ずかしい所見られちゃったな。俺、いつもはあんな子どもっぽい遊びなんて絶対にしないのに。航平が移ったのかな。クソォ。あいつめ。余計な癖まで俺に移して来やがって。それにしても、まだ寮で同室になって一か月も経たない内に、俺はあの航平というあんなちっこいやつからどれだけ大きな影響を受けているのだろう。中等部にいた頃の、ただ「いい大学、いい会社」と思い続けていた俺はどこに行ってしまったんだ。でも、今の俺は以前の俺と比べると……うん。今の方が楽しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る