第7場 ワンクリック詐欺に引っ掛かる
それからというもの、俺はいつあの十万円の請求が学校に届いて大問題になるのかが気になり、「攻め」問題など忘れてしまった。皆は一様に、
「つむつむ顔色が青いよ? 大丈夫?」
「疲れてるんじゃない? ちゃんと寝ている?」
などと心配してくれたが、真実など言えるはずもない。このことがバレたら学校を退学になるかもしれないのだ。そんな時にも関わらず、
「今週末は百合丘でもう一度合同稽古をすることになりました。今度はわたしたちが百合丘に出向きます」
と美琴ちゃんが言い出した。最悪のタイミングだ。俺はまだ「攻め」たるものがどう振舞えばいいのかという答えを導き出せてはいない。その上、退学の可能性すら有り得るような失態を演じたショックから、芝居も精彩を欠いていたのだ。
案の定、俺が百合丘学園で披露した芝居はあの手厳しい百合丘の部長に酷評された。
「一ノ瀬くん、この前わたしが指摘したこと、何も改善されていないじゃない」
俺はもう泣きそうだ。そこに美琴ちゃんが追い打ちをかける。
「そういえば、つむつむ、ちゃんとこうちゃんを一度は攻めてみたの? まさか、まだ、なんてことないわよね?」
「そ、それは……」
「何やっているのよ! もう中部大会まで一週間よ!」
美琴ちゃんが俺を叱りつける。すると、おずおずと兼好さんが手を挙げた。
「ちょっといいですか?」
「何、兼好?」
「つむつむはつむつむなりに頑張ろうと一生懸命だったと思います。こうちゃんを攻めるのに苦労していたらしくて、俺にどうやっていつも西園寺を攻めてますか、なんて聞いて来たりしましたし」
すると、奏多も立ち上がった。
「紡、俺の所にも来ました。変な所でこいつ、真面目なんですよ。だから、あまり怒らないであげてください」
すると美琴ちゃんも百合丘の皆も一斉に笑い出した。
「ちょっと、つむつむったらおっかしいの。そんなこと聞いて回っていたのね。可愛いなぁ」
美琴ちゃんは腹を抱えて笑っている。そんな美琴ちゃんを見て俺はだんだん腹が立って来た。俺はこんなに一生懸命取り組んだのに。退学の危険まで冒して勉強しようと思ったのに……。俺は思わず声を荒げた。
「おかしくなんかねえよ! 俺はこれでも頑張ったんだよ。航平を攻めようと何度もやったよ。でも、うまくいかなかった。だから、兼好さんや奏多に聞きに行ったんじゃないか。でも、二人共、何も参考になること教えてくれないしさ。そしたら、漣が俺にゲイビデオでも見て勉強しろって言うから、俺、視聴覚室まで行ったんだよ!」
「え、本当に見たの?」
漣が少し引き気味で俺に尋ねた。その漣の反応に俺の怒りは更にヒートアップした。
「見たよ! そりゃ見るだろ! だって、俺が航平を攻められるかどうかに全国大会が懸かってるんだ。でも、いざ見ようとしたら変な画面が出て来てさ。十万円支払わないと、法的措置を取るなんていわれたんだよ? 俺、どうしたらいいかわからなくてさ。思わず逃げて来ちゃったんだよ。このまま学校に請求書が届いて、裁判沙汰になって、俺が犯人だとわかったら、俺、もう退学だよ。だから、あれからずっと不安で夜も眠れなくてずっと怖くてたまらなかった。そんな俺の事情も知らないで、簡単に俺のことを怒ったり笑ったりするなよ!」
俺はそこまで怒鳴ってはっと我に返った。俺、全部言っちゃった……。絶対誰かに知られたらいけないことだったのに。演劇部員の前で、美琴ちゃんの前で、そして百合丘学園の皆の前で。だが、気付いた時にはもう遅い。皆はポカーンとした顔をして俺の顔をひたすら見つめている。
ど、どうしよう。俺は怖くなってブルブル震え出した。俺は美琴ちゃんに懇願した。
「み、美琴ちゃん。お願いします。今のは聞かなかったことにしてください。じゃないと、俺、俺、聖暁学園辞めさせられちゃうよ」
そして、俺はその場にへたり込んで泣き出してしまった。暫く美琴ちゃんは黙っていたが、笑いを堪えるようにククッと口を押えて肩を震わせ始めた。そして、とうとう我慢出来なくなったのか、大声で笑い出した。青地も演劇部員の何人かも一緒に笑い転げている。何が可笑しいんだよ! 俺がこんなにピンチに陥っているのに。俺は涙目のまま美琴ちゃんを睨み付けた。
「ねぇ、つむつむ。それ、もしかしてワンクリック詐欺のウェブサイトなんじゃないの?」
「ワンクリック詐欺……って何ですか?」
「つむつむが見たようなアダルトな動画を配信しているウェブサイトによくあるのよ。動画を見ようと思って押したら、いきなり高額な利用料を請求されるってパターン。でも、それは全部嘘。お金なんか支払う必要ないのよ。そもそも、つむつむはその動画を見るために、自分の名前やメールアドレスを入力したの?」
俺は首を横に振った。
「じゃあ、やっぱりワンクリック詐欺じゃないの。大体、再生ボタンをクリックしたくらいで、そんなウェブサイトの管理者が個人を特定出来る訳ないでしょ」
「はぁ……」
「そんなバカなサイトのことは忘れなさい。つむつむが退学になることもないわ。安心して」
「本当ですか!?」
「本当よ。もう、つむつむったら一緒にいると全然飽きないわね」
美琴ちゃんは一しきり笑った。俺はやっとさっきまでの極度の不安から解放され、安心すると共に、すっかり脱力してしまった。そんな俺に美琴ちゃんが言った。
「つむつむの頑張りは凄いと思う。でも、物を言うのは結果よ。それだけ頑張っても、結果が伴わないと意味がない。大会の本番で、こんな努力をしましたと、審査員の前で過程をアピールすることは出来ないんだから」
厳しいが、美琴ちゃんの言う通りだ。これだけ奔走したにも関わらず、何も身になってはいない。俺は「攻め」が何たるかという理解をまだ何一つ得てはいないのだから。俺、このままじゃダメだよな。ホッとしたのも束の間、俺の心は再びずっしりと重くなるのだった。
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