第3場 のんびりゆったりな演劇部

 ゴールデンウイークを終え、部活はかねてより予告されていた通り、週三回になった。公演のない時の演劇部というのは随分楽なものだ。俺は部活がなくなった分、実力テストに向けた勉強時間が豊富に確保できるようになったはずだった。だが、どうも今までのような勉強に対する熱意が沸かない。


 俺は演劇部の活動や航平との交流の方が今はずっと勉強より好きになっていた。普通クラスにはすっかり馴染んでしまったし、最近は特進クラスに戻りたいという欲もほとんど消えうせてしまっていた。勉強に身が入らない代わりに、部活が休みの日でも航平と二人で走り込みをしたり、ストレッチをしたり、基礎錬には余念がない。そのおかげもあってか、俺は並みの運動部の部員に負けない肉体を手にしていた。ま、いざとなれば、航平のように「一夜漬けでちょちょいのちょい」で何とかするか。


 俺はそう気楽に構えていたのだが……。矢張りというか、当然というか、実力テストでの俺の点数は散々なものだった。こんな悪い点数を取ったのは、聖暁学園に中等部から通い続けて初めてのことかもしれない。流石に俺はその結果に少し落ち込んだ。これでは、特進クラスに返り咲くなど夢のまた夢だ。俺はため息交じりに返って来た答案用紙にいくつも並ぶ罰印を苦々しく眺めていた。


「やっぱり、俺はクラスか……」


俺はそうポツリと呟いた。


「やったぁ! 紡と一緒のクラスのまんまなんだね。よかったぁ」


航平はピョンピョン飛び跳ねて喜んでいた。


「あのなぁ、俺は特進クラスから降格になったんだぞ? 言ってしまえば、俺は落ちこぼれたんだ。少しは同情とかしてくれないのか?」


「え? 同情なんかするわけないじゃん。落ちこぼれで何か問題ある? だって、紡はなんだし、そこでうまくいっていたらおかしいって」


航平の考え方はいつもどこかがぶっ飛んでいる。ここまでスパッと言い切られると、逆に気持ちがいい。俺も何だか航平のその一言で吹っ切れてしまった。




 実力テストで溜め込んだストレスは部活で全部発散してしまおう。そう思った俺は、演劇部の活動に一層力を入れることにした。いつものように筋トレとランニング、そして発声練習を済ませた俺たちに部長が


「じゃ、今日もエチュードをやろうか」


と提案した。この「エチュード」というのは、台本のない、完全な即興劇のことで、セリフも何もかもがアドリブで進んでいく。最近の部活ではもっぱらこのエチュードをやって芝居を磨いている。初めて演劇部らしく芝居ができるのが嬉しくて、俺は大張り切りだったのだが、これが案外難しい。だんだんと取り止めがなくなり、一応事前に考えていた役の設定を忘れて素が出て来るのだ。特に、航平はいつものように自由気ままに振舞うから、俺もついついいつもの調子でやり返してしまう。


 今日も基礎錬を終えた俺たちはエチュードをやることになった。航平が「新妻役」。俺が新婚の「夫役」という設定になったのだが……。俺が航平と夫婦役になるなんて、何だか変な感じがする。夫婦ってことは俺は航平を「愛している」ってことになるんだよな。いや、これは飽くまでも「役」での話。リアルとは何の関係もない。俺はそう自分に言い聞かせた。だが、エチュードを始めた途端、俺の心配は杞憂に終わった。


航平妻「あなた、お帰りなさい。疲れたでしょ?」


俺は新妻になり切った航平の演技がおかしくて吹き出しそうになるのを堪えながらセリフを絞り出す。


俺夫「ただいま。今日は仕事が大変だったよ」


航平妻「あらあら、それはお疲れ様でした。じゃあ、ご飯にする? それともお風呂? それともあ・た・し?」


こいつ、わざと俺を笑わせようとしているだろ。先輩たちはもうこの時点で腹を抱えて大笑いだ。でも、俺がここで笑ったら負けだ。


俺夫「……えっと、そしたら、とりあえずご飯で」


航平妻「えー? つまんないの。そこはカッコよく『お前だよ』って言ってほしいわ」


俺は思わずこの時点で素に戻ってしまった。


「やっだよ。何でそんな歯に浮いたようなセリフ言わなきゃいけないんだよ。絶対言わねぇから」


すると、航平もいつもの航平に戻る。


「えー? 何でよ。つまんないの。ノリが悪いよね、つむつむって」


「航平が変なセリフ言い出すからだろ!」


「あ、部活中は僕はだからね?」


「わ、わかったよ。……」


「はい、よくできましたぁ!」


「お前なぁ、いい加減にしろよ!」


そこで部長が手をパンッと叩いて俺たちを止めた。


「おいおい、これじゃあ、もうエチュードになってないよ」


「いつものつむつむとこうちゃんだよね」


「痴話喧嘩って感じだな」


西園寺さんと兼好さんが顔を見合わせて笑い合っている。


「ち、痴話喧嘩って、揶揄わないでくださいよ!」


俺は顔を真っ赤にして先輩たちに詰め寄った。


「ねぇねぇ、つむつむ、って何?」


今度は航平が上目遣いで俺にそんな質問を投げかける。お前、わざと聞いているのか? 天然を装っているが、絶対わざと俺を困らせようとしているだろ。


「そ、そんなもの自分で調べろ」


「ええ? いいじゃん。今だったらつむつむが教えてくれた方が早いよ」


「嫌だ。教えない」


「つむつむの意地悪! ちょっとくらい教えてくれてもいいじゃん。ねぇ、つむつむったらぁ」


航平が俺の腕をつかんでぶんぶん振り回す。もうやめてくれよ! 誰か助けて。


 と、そこに現れたのは「救いの神」ではなく、美琴ちゃんだった。


「あらあら、今日もつむつむとこうちゃんは仲良しね」


美琴ちゃんは俺と航平を見てニコニコしながらそう言った。ニコニコしていないで、航平の暴走を止めて欲しいと思うのだが。だが、美琴ちゃんはいきなり、俺が赤面するような要求をして来た。


「じゃあ、つむつむ脱いで」


暴走する航平を止めるどころか、いきなり「脱げ」と命令するなんて、美琴ちゃん自身が暴走を始めたよ!


「は?」


「いいから。今までのトレーニングの成果を確認したいのよ」


「トレーニングの成果……ですか?」


「ほら、早く!」


部員全員の視線が俺に集中している。こんな所で裸に……?


「もう、つむつむったら意気地なしだなぁ。じゃあ、まずは僕が脱ぐ!」


そう言うなり、航平がシャツを脱ぎ捨てた。そんなことをされると、俺も航平に対抗したくなる。


「意気地なしなんて、お前に言われる筋合いはねぇよ!」


俺はそう言うなり、シャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった。すると、部員全員の感嘆の声と、美琴ちゃんの「キャー!」という黄色い悲鳴が同時に上がった。


「もう、完璧じゃないの。この二人の肉体、皆、比べてみて? 完璧じゃない? まだ一か月半くらいしか経っていないのに、この仕上がり具合は上出来だわ。よし、私も大会用の台本そろそろ書き上げないとね!」


俺と航平の身体つきと台本と何の関係があるのだろう?


 だが、それよりも美琴ちゃん、今大会用の台本を執筆中なんだな。この台本で、俺も舞台デビューする訳か。それを想像しただけで、胸がときめく。俺の初舞台。一体どんな作品になるんだろう。俺はひたすら楽しみだった。

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