第2場 入院した美琴ちゃん

 ゴールデンウイークが明けてから三か月。全国大会までの勝負の時だ。といっても、初めて全国大会に出場する聖暁学園演劇部にとって、この三か月は未知の領域だ。いつもの年なら、のんびりと秋の大会に向けた台本制作に取り掛かる所だが、今年はそうはいかない。全国大会に向けて『再会』の稽古を積み、更に秋の大会に向けた台本制作にも勤しまねばならない。


 とはいえ、いつも大会用の台本を執筆するのは美琴ちゃんだし、全国大会に向けた稽古でも、演技指導に全幅の信頼を置かれているのは美琴ちゃんだ。この三か月は俺たち以上に美琴ちゃんにとっての正念場となる。ところが、ゴールデンウイークが明けて、部活が始まる初日、美琴ちゃんは学校に来なかった。訊くところによれば、病欠なのだという。


 俺は、どうせゴールデンウイークに羽目を外し過ぎて、そのせいで風邪でも拗らせたのだろうと大して気にも留めなかった。他の部員も、美琴ちゃんの病欠に対して気を払うこともなく、中部大会以来、久しぶりに触れる『再会』の台本を読み合わせたりしながらその日一日は過ぎて行った。


 だが、翌日になっても美琴ちゃんは学校に現れなかった。その日の部活の時間に、航平が血相を変えて俺たちの元に飛び込んで来た。


「み、み、美琴ちゃんが入院したって!」


俺は航平の言葉を最初は何の気なしに聞き流した。だが、「入院」という一言が腑に落ちた瞬間、手にしていた台本がポロリと手の中から滑り落ちた。演劇部員全員が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。これまで、演劇部の運営から芝居創り、上演にかかかる事務的な手続きまで全て一手に引き受けていた美琴ちゃんが病気になり、倒れてしまったのだ。今まで地区大会から順調に勝ち上がって全国大会まで駒を進め、「史上最高の」新入部員も獲得し、自主公演も大成功させた俺たち演劇部に待ち構えていた、まさかのピンチだった。


 だが、そんなことは今はどうでもいい。美琴ちゃんが入院だなんて、余程のことだ。俺たちは急いで病院に駆けつけた。希はこのニュースに人一倍動揺し、病院に向かう道中、バスの中でしくしく泣き出した。


「俺が、俺が、自主公演の時にあんなに負担をかけたから……」


優がそんな希をそっと抱き締めた。


「希だけのせいじゃないよ。それに、何故入院したのかだって、まだ原因もわかってないでしょ?」


「うん……」


 すっかりしょげ返った希は優にもたれかかったまま、しばらく流れる涙を拭いながら、静かに泣き続けていた。だが、そんなことを考えていたのは希だけではなかった。希と同じことを俺も考えていたのだった。ずっと美琴ちゃんに頼りっぱなしで、美琴ちゃんに任せておけば何でも大丈夫だと甘えていたことは確かだ。他の部員も各々、同じような自責の念に駆られていたのだろう。全員どんよりとした表情で沈黙したまま、バスに揺られていた。


 美琴ちゃんの入院する病院に到着した俺たちは、一様に不安な表情を湛えたまま、美琴ちゃんのいる病棟へ急いだ。受付で教えて貰った美琴ちゃんの病室を探す。すると、その病室の名札に「天上美琴」というネームプレートが差し込まれていた。やっぱり、入院っていうのは冗談じゃなかったんだ……。俺は当たり前のことながら、そのネームプレートを目にしただけでショックだった。


 俺たちは恐る恐る病室の中を覗く。だが、それぞれのベッドはカーテンで仕切られており、美琴ちゃんの姿を確認出来ない。俺たちは恐る恐る、美琴ちゃんの寝ているであろうベッドのカーテンをそうっと開けて中を覗き込んだ。その途端、


「キャー!!」


という耳をつんざくような悲鳴が上がり、俺たちはあまりの大きな悲鳴に腰を抜かし、文字通り、床に尻餅をついた。ナースステーションから看護師が血相を変えて飛んで来た。


「天上さん、どうかされましたか?」


「おおおお、お化けぇ~!」


「お、お化け?」


看護師が怪訝そうに周りを見回し、そして、次に床に尻餅をついている俺たちを見下ろした。


 それから、俺たちは美琴ちゃんと共に看護師にたっぷりと説教を受けた。俺たちは周りの患者に騒ぎを謝罪して回る。美琴ちゃんの隣のベッドに寝ていたお婆さんがニコニコ笑いながら、


「まぁ、若くて可愛い男の子たちね。おいくつ?」


と優しく訊いてくれたのがせめてもの救いだ。


「もう、あんたたち、いきなり来て脅かさないでよね!」


と美琴ちゃんは俺たちにプリプリ怒った。いつも通りの美琴ちゃんだ。しかも、ベッドの上には大量のBL漫画が散らばっている。


「ホラーBL小説を読んでいた所に、いきなりぬうっとあなたたちが顔出すからビックリしたわ」


美琴ちゃんはそんな風に文句を垂れている。ホラーBL小説なんてものもあるんだ。またBLで俺の知らない世界が増えたな。一体、この世界は何処まで奥深いのだろう。それにして、BL小説を読み漁って、超特大級の悲鳴を上げるくらいには元気なんじゃないか。俺たちは少し安心した。


「美琴ちゃんこそ、いきなり入院だなんて言うから、びっくりしたよ」


航平がそう言うと、美琴ちゃんは気まずそうに笑いながら、


「いえ、あのね、大したことないのよ。ちょっと健康診断で引っ掛かってしまってね」


「健康診断?」


「そうなの。大腸にちょっと小さな影があるそうなのよ。だから、検査入院をして調べることになったの。でも、心配しないで。恐らく良性のポリープだろうってお医者さんも言っていたから。もう明日には退院よ」


え? 美琴ちゃんは明るくそんな風に話しているけれど、それ、ちょっと不味いんじゃ……。と、そこに慌ただしい足音がドスドスと近づいて来ると、カーテンが乱暴に開かれ、あの青地が目を血走らせて飛び込んで来た。


「美琴! 入院したって、大丈夫なのか!?」


いつもの慇懃無礼な青地は何処へやら。すっかり余裕を失くして青ざめた顔をしている。


「鼓哲、わたしの名前を呼び捨てにするなんて、いい度胸してるじゃない」


「へ?」


「あんた、生徒の前で、その呼び方はやめてって何回言ったらわかる訳?」


美琴ちゃんがギロリと青地を睨み付けた。そこでやっと青地は俺たちがその場にいることに気が付いた。


「き、君たちが何故ここにいるんですか!」


「何故って、美琴ちゃんが入院したっていうから、心配してさ」


航平がそう答えると、青地は咳払いをして、


「早く、子どもは学校に戻りなさい。こんな所で大騒ぎしたら他の患者さんに迷惑になるでしょう」


といつもの慇懃無礼さを取り戻した。


「でも、青地先生の方が五月蠅いよね」


兼好さんがヒソヒソと西園寺さんに耳打ちする。


「うん。絶対そう。足音も人一倍大きいし」


「何ですか! 教師の前でヒソヒソ話をするんじゃありません!」


青地がヒステリックな怒鳴り声を上げた時、再び看護師が俺たちの元に駆けつけた。


「ちょっと! 他の患者さんもいるんです。静かにしてください!」


俺たちは再び叱られてしまった。

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