第7場 航平を侮辱したやつ

 航平と一度向き合って話し合うことを決めた俺だったが、あんな大喧嘩をした手前、なかなか航平に話しかけづらく、なあなあにしたまま数日が過ぎて行った。だが、そんな意気地のない俺に、自分の心とも航平とも向き合わざるを得ない事件が起きたのだ。


 俺がいつものように、放課後寮に戻ろうと下駄箱で靴を履き替えようとしていた時のことだ。あの奏多たち特進クラスの連中がワイワイ楽しそうに話しながら歩いて来るのが見えた。奏多たちと顔を合わせるのが嫌だった俺は、下駄箱の陰に身を隠した。


「一ノ瀬のやつ、演劇部に入ったんだってな」


と一人の特進クラス生が言った。


「ああ、知ってる。演劇部に入るとか相当変わってるよな」


奏多はそう言って笑った。


「一ノ瀬の新しいルームメイトって稲沢だろ? 稲沢と一緒に演劇部に入ったらしいじゃん」


「そうらしいな。面白過ぎるだろ。それ知った時、俺思わず爆笑したし。稲沢ってほら、ホモなんだろ?」


「そうらしいよな。あいつ、中等部の頃、自分で認めたらしいじゃん」


俺は息を呑んだ。学校の噂話にとことん疎い俺は全く知らなかったのだが、航平が「ホモ」だったなんて。俺はそこでやっと腑に落ちた。


『俺は普通でいたいんだよ。男同士の恋愛を演じさせられて、普通でいられなくなるくらいなら、俺は平凡に生きていきたいんだ』


俺はこんなセリフを、航平の目の前で言ってのけたのだ。航平が傷つくのも無理はないだろう。俺は自分を殴りたかった。


 奏多たちの会話は続く。


「一ノ瀬、西条のこと狙ってたんだろ? 今度は稲沢にターゲットが変わったってことなんじゃねえの?」


「よかったな、西条。もう一ノ瀬から狙われることないみたいだぜ」


「あはは。確かに、もう俺も安心できるかもな」


奏多の笑い声が俺の心を疼かせる。


 だが、ちょっと待てよ? 俺が奏多や特進クラスの元クラスメートたちのこの話に傷つくなんて、あまりにも都合が良すぎないか? 俺は似たようなことを航平にやったのだ。航平が「ホモ」だと知らなかったとはいえ、俺は自分がでいることに囚われ、すっかり周りを見失い、航平の心を否定するような発言を平気でしていたのだ。あいつらが俺を「ホモ」だと侮辱したとして、俺にやつらを怒る権利なんてないんだ。


 だが、次の奏多の一言が俺の怒りに火をつけた。


「それにしても、稲沢って中等部の頃からキモかったよな。男が好きとか、まじねぇんだけど。演劇部の部員も全員ホモなんじゃねえの? 男同士の怪しい芝居を毎年やってるらしいじゃん。部員同士でホモセックスでもして楽しんでんだろ」


航平を、そして演劇部を侮辱されたことに俺は一気に頭に血を上らせた。俺は思わず奏多の前に躍り出た。


「奏多! 今のは流石にねえよ。航平が、演劇部員が部員同士でホモセックスしてるとか、そんなことある訳ないだろ! それに、航平が男が好きだからキモいって何だよ。航平はキモくなんかない。あいつがどんなにいいやつなのか、お前は知らないだろ。あいつのこと侮辱するのは俺、許さねえから!」


奏多は俺が突然飛び出して来たことに一瞬驚いた表情をしたが、すぐにそんな俺を鼻で笑い飛ばした。もう俺に対する敵意を隠すこともしないようだ。


「フンッ! いつの間に立ち聞きしていたんだよ、気持ち悪。何か俺、間違ったこと言ったか? 演劇部が男同士で乳繰り合ってる芝居を毎年やってるのは事実だろ? そんな変態な部活、キモがられて当然だよな。しかも、お前、稲沢のことなんて呼んでるのか? お前、まさか稲沢と付き合ってるんじゃねえよな? やめてくれよ、ホモが移る」


俺は奏多がそう半笑で言った瞬間、我を失って奏多に飛びかかっていた。


「奏多!! よくも、航平のことを。よくも、よくも!!」


 俺は奏多に殴りかかった。俺は奏多と取っ組み合いの喧嘩になった。辺りは騒然となり、奏多と一緒にいた連中が教師を呼びに行った。俺と奏多は殴り合いながら学校の床を転げ回った。二人で鼻血を出しながら組み合っていたところを、飛んで来た教師に取り押さえられた。俺も奏多も顔中にあざを作りながらも、荒い呼吸をしながら互いを睨み合っていた。


 俺は奏多に対して何一つ間違ったことをしたとは思っていなかった。だが、奏多は俺がいきなり理由もなしに殴りっかって来たのだと教師に説明した。俺は職員室に連れて行かれ、教師にこっぴどく叱られた。俺は奏多が航平に暴言を吐いたのだと何度も主張したが、俺の主張は一切聞き入れられることはなく、反省文を書くように言い渡された。結局、特進クラスの、しかもその特進クラスで一番の成績を上げている奏多と、特進クラスから降格になった落ちこぼれの俺とでは、教師から寄せられる信頼も全く違うということなのだろう。


 俺は教室に一人座って、反省文を書く原稿用紙を前にしながら、何も書く気になれず、机に突っ伏して不貞腐れていた。一方的に教師から俺だけが悪者にされたことにもムカついたが、俺は奏多が航平を侮辱したことに腹を立てていた。それに、演劇部を怪しい部活だとか、部員たちがホモセックスに興じているだとか、あることないこと言い立てて笑いものにしたことにも。


 だが、実際のところ一番ムカついていたのはこの俺自身についてだ。その航平を一番に侮辱したのはこの俺だったし、演劇部の大会に向けた作品を「怪しい」ものとして一方的に拒絶し、逃げ出したのも俺だ。奏多へ殴りかかったのは、結局自分を殴りたいのにそんなことは出来ないから、それを奏多にぶつけただけだ。俺の……俺のクソったれ!


 しばらく俺が不貞寝していると、


「ねぇ、紡」


という何やら懐かしい声が俺の頭上から降って来た。俺がおもむろに顔を上げると、そこには恥ずかしそうにはにかんだ航平が立っていた。


「航平!」


俺は驚きのあまり、思わず椅子から転げ落ちた。


「もう、紡の反応はいつも面白いなぁ」


航平はそんな風に俺をクスクス笑った。

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