第2場 誰もいない風呂場で伸び伸びと

 終業式も終わり、多くの生徒が家に戻ってしまった寮はがらんとし、いつになく静寂に包まれていた。今この場に残っているのは、夏に大会を控える一部の運動部員と演劇部員くらいのものだ。ここまで人がいない寮というのも初めてだ。少し寂しいような気もするが、このだだっ広い空間を独占できるというのは爽快だ。風呂も時間区分もなく自由に入れるし、食堂に設置されているテレビで映画鑑賞会が開かれたり、こんなに伸び伸びと寮生活を送ることができたのは、聖暁学園に入学して初めてのことだった。


 俺は広い浴槽に航平と二人でゆっくりと浸かっていた。誰もいない浴室で、航平はすっかり甘え心を起こして俺の身体をベタベタ触って来る。


「紡の身体エロくなったね」


夏前は俺の下っ腹の脂肪をつまんで笑っていた航平が、今ではすっかりトロンとした目付で俺の身体を見つめている。


「おい、やめろよ。誰かが入って来たらどうするんだ」


俺は航平を注意しながらも、そんな航平の反応に満更でもなかった。


「大丈夫だよ。だって、更衣室に人が入って来た段階で、誰か来たってわかるじゃん」


「それもそうか……。でも、過度なスキンシップは厳禁だ。お前、絶対俺に触るのに夢中になって、更衣室に人が入って来ても気が付かないだろ」


「紡が気を付けてくれていればいいんだよ」


なっ……。この野郎、俺に全部の責任を押し付けるつもりか?


「もしかして、紡も僕にお触りされてると、すっかり僕に夢中になっちゃうから外に注意を払えないって?」


航平が悪そうな顔つきで俺を煽って来る。


「お、お前、いい加減に……」


俺が言い返す前に航平が俺の唇にキスをした。こうなると、俺もストッパーが外れてしまう。舌を絡ませ、互いの身体をまさぐり合いながら、俺たちは風呂の中でいちゃつき始めた。いつもは他に人がたくさんいて絶対できない寮の風呂場で、しかも誰がいつ入って来るかもしれない場所で航平とイケナイことをしているという緊張感と背徳感が、逆に俺の脳を身体を刺激する。


「こ、航平……あ、あん」


思わず俺の口から喘ぎ声が漏れたのを航平が笑った。


「紡、顔真っ赤だよ。可愛い」


「ちげぇよ。これは風呂の湯のせいでのぼせているだけだ」


「紡はいつも素直じゃないんだから。じゃあ、こうしたらもっと素直になってくれる?」


航平が俺の股間に手を伸ばす。思わずビクンと全身が反応して声が漏れ出す。


「あんっ」


「あはは、可愛い喘ぎ声」


航平はクスリと笑うと俺をギュッと抱き寄せた。


「ねぇ、紡。合宿でもし女の子に声かけられても、絶対についていったらダメだよ」


「何、お前。まだ俺が会ったこともない他の演劇部の女子部員に嫉妬してるのか?」


「わ、悪い? だって、最近の紡、本当にカッコよくなって来たから」


俺の胸に顔を埋めている航平の表情はわからないが、耳は赤く染まっている。小さくて可愛い航平は、耳も人より少し小さい。その耳を真っ赤にするほど恥ずかしがっているなんて、可愛いにも程があるだろ。他校の女子生徒と俺が出会うことを、合宿の始まる前からこんなに心配と嫉妬に駆られているというのも愛しくて仕方がない。俺は逆に航平を抱きしめて、額にチュッと軽くキスをした。


「大丈夫だよ。俺は航平が好きだから。女の子に興味持ったりしないって」


航平は俺に抱き着いたまま、俺の顔を見上げた。


「本当に?」


「うん。本当だよ。今だってこうやって航平のこと抱きしめてるだろ? 俺、好きじゃないやつにこんなことしたりしないよ」


「うん」


「それに、俺たち恋人だろ? ワークショップに一緒に行くなんてデートみたいじゃん。少年自然の家に行くんだよな? 自由時間に一緒に周りを散策したりしようぜ」


「本当? やった」


「安心したか?」


「うん。紡、チューして?」


「しょうがないなぁ」


俺と航平は再び唇を重ね合わせた。その時、風呂場の扉がガラガラと音を立てて開き、誰かが中に入って来た。しくじった! 俺も航平もすっかり互いに夢中になり、更衣室に人が入って来たことに少しも気付いていなかったのだ。


「あれ? つむつむとこうちゃんじゃん。何してるの?」


抱き合ったまま硬直している俺たちに、聞き覚えのある声が話しかけて来た。振り返ると、そこには西園寺さんが立っていた。西園寺さんは抱き合っている俺と航平を見るなり、言葉を失って手に持っていた風呂桶を取り落とした。カランコロンと風呂桶が床に転がって行く音が広い浴室にこだまする。俺たちは凍り付いたようになって向かい合っていた。


 さらにまずいことになった。このままじゃ、部活で俺と航平の関係が広まってしまう。どうしよう……。俺は助けを求めて航平へ視線を送るが、航平も同じように俺に助けを求めるような情けない視線を送っていた。ダメだこりゃ。航平はいざという時に頼りにならない。ちくしょう、俺が何とかしないと……。


「えっと、これは、その……、そう! 練習ですよ。芝居の練習! 最後のアキとハルが結ばれるシーンを練習していたんです。あはははは……」


苦し紛れの言い訳を試みた俺だったが、西園寺さんはうんともすんとも言わない。ダメだったか。絶体絶命のピンチだ。


「あ、いや。いいんだ。ごめんね、二人の邪魔して。本当に二人がそういう関係になっていたなんてちょっと驚いちゃったよ。大丈夫。心配しないで。他の部員や美琴ちゃんには黙っておくから」


西園寺さんは全てを察したようだった。だが、誰にも言わないと約束してくれたことに俺は胸を撫で下ろした。航平もホッとした顔つきをしている。


「……はい、実は、俺と航平付き合っていて」


「六月からだから、もう一か月以上になるんだ」


俺と航平は正直に二人の恋人関係を白状した。西園寺さんはニコッと笑った。


「そうなんだ。よかったね、二人とも。こうちゃんもやっと好きな人と結ばれたんだね」


やっぱり西園寺さんは神さまみたいに優しい。


「二人でお楽しみのところ、申し訳ないんだけど、僕もお湯に入ってもいいかな? なるべく君たちとは離れているから」


西園寺さんが申し訳なさそうに俺たちに断りを入れる。


「いえいえ、そんなに気を遣わないでください。一緒に入りましょうよ。いいよな、航平?」


「うん。いいよ。僕も西園寺さんといろいろ話したいし」


「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」


西園寺さんは取り落とした風呂桶を再び拾い上げると、浴槽のお湯を丁寧にすくってかけ湯をした。その仕草一つ一つが上品で所作が美しい。さすが、いい所のおぼっちゃまだけあるな。俺なんか、風呂の中にいきなりドボンだ。俺は自分の無作法さを反省せざるを得なかった。


 西園寺さんは片足ずつ、水音もほとんど立てずに浴槽の中に入ると小さく息をついた。


「ああ、やっぱりお風呂はいいね。暑くて汗かくから余計に気持ちいいよ」


と言いながら、いかにも気持ちよさそうに目を閉じている。すぐ隣で湯に浸かっている西園寺さんの顔を、俺は出会って初めてじっくり見る機会を得た。よく見てみれば、西園寺さんも結構な美形なんだよな。航平がまだまだ子どもっぽい美少年だとすれば、西園寺さんはより青年に近い美少年といった感じだ。肌の質感もすべすべで白くて綺麗だ。航平に夢中で、あまり今まで他の男の顔などまともに注意も払って来なかったのだが。西園寺さんの顔や身体にちょっと股間が反応してしまったのは、航平には内緒にしていたつもりだったのだが、航平が俺の頭を軽く小突いた。


「紡、だらしない顔しちゃってさ。さっき紡のことカッコイイって言ったけど、やっぱり撤回。紡は全然カッコよくなんかない」


「こ、航平!」


「紡の男ったらし」


「お、男ったらしって、こいつっ!」


喧嘩を始める俺たちを西園寺さんが止めた。


「君たち何を騒いでいるの? お風呂はね、静かにゆっくり入るものなんだよ。一日の疲れをこうやって癒すんだ」


そんな西園寺さんを航平がキャッキャと声を上げて笑った。


「何それ? そんなの、まるでおじいちゃんじゃん」


西園寺さんは大きな溜め息をついた。


「やっぱり君たちはまだ子どもだね。温泉や銭湯の楽しみ方をもっと勉強するんだよ」


「ちょっと待ってください。航平はともかく、俺は航平のペースに巻き込まれただけで、いつもはもっと寡黙でクールなんです!」


「なーに言ってんだか! 紡がさっきまで西園寺さんを鼻の下伸ばして見ていたの、僕知ってるんだから」


「ちょ、お前! いい加減なこと言うなよ」


「いい加減じゃないもん!」


「だから、二人共やめなって。つむつむ。僕のこと見惚れてたの? ダメだよ、こうちゃんだけを見てあげなきゃ。僕はつむつむと浮気するつもりはないからね」


西園寺さんはそう言って穏やかに笑った。俺はすっかり顔が熱くなった。


「残念だったね、紡」


航平がニヤニヤして俺を見上げている。


「う、うるさい、航平! 俺は航平以外の誰かと浮気するつもりなんかどこにもないですよ」


「そう? なら良かった」


西園寺さんは再びニッコリと微笑んだ。


「ねぇ、西園寺さんは好きな人とかいるの?」


航平のやつ、またまた不躾な質問を先輩に向かってしやがって。いや、でも俺も実は気になっていたんだよな。いつも一緒に活動している割に、先輩部員たちのプライベートは謎に包まれていた。三人共寮のフロアも違うので、部活が終わるとあまり話すこともなかったしな。西園寺さんの恋愛事情なんて面白そうな情報、俺も是非拝聴してみたいものだ。

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