第五幕 秘めた想いは切なくて

第1場 明日から夏休み

 暑い。演劇部の稽古場所となっている体育館のステージの上は、冷房もなく通気性も悪いため、ムンムンと熱気がこもっている。梅雨も明けた七月も下旬になろうとしているこの季節の部活は汗だくだ。明日から高校は夏休みに入る。だが、俺たち演劇部員に「夏休み」の三文字はほとんど存在しない。お盆休みを除き、寮に残って毎日のように大会に向けた稽古が続くのだ。


 『再会』のラストシーンがこんなに嬉しかったことはない。芝居として上半身だけでも裸になれるのだ。このクソ暑い体育館のステージの上では、服などいらない。俺はもう恥などというものはかなぐり捨てていた。この演劇部に入ってからというもの、恥ずかしい経験が山のようにある俺にとって、たかが上半身裸になることなど造作もないことだ。航平や演劇部のメンバーと付き合っているうちに、俺の変態度が増したからだって? いや、そんなこと……あるわけないだろ。


 終業式が終わった俺たちは、いつものように部活を始める。最近の基礎錬は、俺と航平だけではなく、先輩部員も一緒にトレーニングルームで行っている。今まで一番しんどかった基礎錬の時間だが、冷房のあるトレーニングルームを使える基礎錬の時間が今ではオアシスだ。


「紡、今日はこっちに寄って来ないでね。暑いから。こうへい憲法第30条ってことでよろしく」


いつも基礎錬が終わると俺に纏わりついてストレッチの邪魔ばかりして来る航平が、ここ最近は久しぶりにを持ち出して来て、俺のそばに寄り付かない。さすがの航平もこうも暑いと密着するのも辛いのだろう。そもそも寄って来るのは航平の方であって俺ではない癖に、俺に一方的に注文をつけるとか、やっぱり生意気だ。


 基礎錬を終えた俺は汗だくになったシャツを脱いで、鏡に自分の肉体を映してみた。だいぶ筋肉がつき、身体も締まって来た。トレーニングを続けて来た成果は確実に出ているようだ。


「へぇ、だいぶいい身体になったじゃん」


鏡を見ながら思わずほくそ笑んでいる俺の肩を、兼好さんがニヤニヤしながらツンツン突いて声をかけて来た。やべ。自分の身体見て笑ってるなんて、恥ずかしい所見られちゃったよ。きっと兼好さん、俺のことナルシストって思ったよな……。


「す、すみません。俺……」


俺が言い訳を頭から捻り出そうとするのを、兼好さんは遮って上機嫌で


「いいじゃん、いいじゃん。こんなイケメンで身体も完璧と来た。モテるぜ、女の子に。俺にも余ったら紹介してくれよな。頼りにしてるから」


と言うと、スキップして向こうへ行ってしまった。こんなにウキウキした表情の兼好さんは初めて見た。何か初対面の時からチャラそうだな、と思っていたが、今の兼好さんは典型的なザ・チャラ男だ。


 女の子にモテる、か。昔の俺なら喜んでいたのだろうか。以前の俺の考えていたの男の価値観としては、異性にモテればモテる程、男としてのステータスは上だということになるからな。でも今は……。俺はチラッと航平を見やった。ストレッチに精を出す航平の一生懸命な姿が目に入る。うん。今は異性にモテなくて全然問題ないし、そんなことに興味もない。俺は男である航平が好きであることに、何の問題も不都合も感じてはいないのだ。


「全く、兼好はいつも女子のことばかり考えているんだから。去年の合宿でも他校の女子部員ナンパして回って、美琴ちゃんに大目玉食らったんだよね」


上機嫌で鼻歌交じりにエアロバイクを漕いでいる兼好さんを呆れた表情で見つめながら、西園寺さんがボソリと呟いた。俺はその西園寺さんの姿がいつになく寂しそうに見えた。ま、そんなもの気のせいか。


 というか、夏休みに演劇部も合宿があるんだったよな。確か四月に入部仕立てのミーティングで夏休みに県の高校の集まるワークショップに参加する合宿があると部長から説明を受けたっけ。そういえばあの時、聖暁学園は男子校で女子生徒はいないから、合宿はオアシスだとか兼好さん言っていたな。漏れ出る下心を隠し切れない様子の兼好さんを見ながら、俺は苦笑した。


「今日は芝居の稽古はお休みです。ミーティングをするから、基礎錬終わった人から今日は部室に集合!」


部長がそう演劇部員に呼びかけた。俺はその瞬間、飛び上がる程嬉しかった。良かったぁ。あのクソ暑い体育館のステージに行かずに済む。冷房をガンガンにつけて貰って、今日くらい楽しようっと。




 教室に集まった俺たち演劇部員に美琴ちゃんも合流する。部室として間借りしている教室には冷房もついている。涼しくて快適そのものだ。


「ああ、快適快適」


俺はエアコンから送られて来る冷たい空気に当たりながら、その気持ちよさに目を閉じた。他の演劇部員も今日は全体的に寛ぎモードに入っている。


「美琴ちゃん、これから夏休みの間はずっとここで稽古しようよ。涼しいし、丁度いい環境だよ?」


航平もたまにはいい提案をするじゃないか。だが、美琴ちゃんの口からは無情な言葉が飛び出した。


「ダメよ! 夏休み中に大道具や小道具もしっかり準備する予定だから。部室だと狭すぎて、大道具が置けないでしょ」


はぁ。やっぱり快適なのは今日だけか。


「さて、じゃあ、今日のミーティングを始めますか。今日のミーティングは、夏休み期間の演劇部としての活動についての打ち合わせです」


と、部長が切り出した。


「まずは、がっしゅ……」


「合宿だよね、勿論!」


部長の言葉を遮って、兼好さんが立ち上がって嬉しそうに叫んだ。西園寺さんが呆れ顔をし、美琴ちゃんが牽制するように咳払いをした。部長が話を続けた。


「はい。兼好の言う通り、本日最初の議題は合宿についてです。今年の演劇ワークショップは七月三十日、三十一日の二日間に渡って開催される予定です。演劇部員はお盆を除いてずっと稽古の予定だったから、ないとは思うけど、この二日間は絶対に他の予定入れないようにしてね」


ワークショップか。初めての経験だけど楽しそうだ。俺も兼好さん程ではないにしろ、心なしかワクワクして来た。


「演劇ワークショップって一体何をするんですか?」


「プロの演出家を招いて、演技の基礎を勉強するんだ。普段は身体造りやエチュードくらいしかしてない俺たちだけど、いろんな芝居のメソッドがあってね。プロから直接教えて貰える機会なんてなかなかないから、貴重だよ」


俺の質問に部長が答える。へぇ。プロから芝居を教えて貰えるのか。でも、プロの演出家ってちょっと怖そうだ。


「灰皿が飛んで来たりするんですか?」


俺が恐る恐るそう質問すると、部室に爆笑の渦が巻き起こった。


「高校生相手にそんなことする演出家なんていないよ。去年の講師の先生も優しかったよ? 安心しな」


部長が笑いながらそう説明してくれた。


「つむつむの演出家の脳内イメージ、一昔前だよな。本当、おっかしいの」


兼好さんが笑い転げる。そこまで笑わなくてもいいのに。俺が少し気分を害したのに気が付いたのか、西園寺さんが兼好さんの背中を軽くトントン叩きながら、


「ほら、もうやめなって。つむつむだってそんなに笑われたら恥ずかしいよ」


と諫めてくれた。西園寺さんは菩薩か観音様か、その優しさに後光が射しているように見えたよ。


「ああ、ごめんごめん。つむつむ、怒らないでね」


兼好さん、それ絶対悪いと思わずに謝ってるやつ!


「本当に大丈夫だから安心しなよ。他の高校の演劇部員と一緒にゲームみたいなトレーニングしたり、小さな作品創って発表したり、楽しいよ。女の子とも一杯知り合えるしね」


兼好さんの狙いはやっぱり他校の女子部員か。美琴ちゃんが再び大きな咳払いをした。


「いい? ワークショップは楽しいけれど、遊びじゃないのよ。そこを履き違えないようにね。特に兼好。去年のようなことになったら、私許さないからね?」


「わかってるって、美琴ちゃん。今年はもっと上手くやるからさっ」


「そういうことじゃないの!」


美琴ちゃんが怒っているのは、西園寺さんが語っていた、去年のワークショップで兼好さんが片っ端から他校の女子部員たちをナンパして回ったというのことらしい。一体、どんな事態になっていたのか、去年のワークショップに参加してみたかったよ。いや、今年もこの様子じゃ、ある意味期待できるかも。

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