第8場 「腐男子」ではないがBLは読みたい

 台本を読み終わった俺はぐすんぐすんと鼻を啜り上げながら泣いていた。でも、俺だけじゃない。先輩部員たちも目を赤くしたり、涙を拭ったりしている。


 正直、ツッコミどころはある。ラストなんて俺、裸で芝居をしろってことだよな? だから、身体を部員の中で一番に鍛えろと美琴ちゃんは厳命していたのか。まさか、俺のお色気シーンで観客を釣るつもりじゃ。いや、俺なんかが脱いだところで誰が喜ぶって言うんだ? 航平はそりゃ喜びそうだけど……。でも、他の人間で俺の裸なんか見て誰が喜ぶっていうんだよ。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。俺を含めた全員が、『再会』のストーリーにすっかり感動していた。だが、航平が俺に背を向けて目をゴシゴシやっているのを見た時、俺は思わず笑ってしまった。あいつ、泣いている所を俺に見られるのが恥ずかしいんだな。そう思うと、愛しくてたまらなくなる。


「航平。なーに泣いてんだ?」


俺は意地悪く航平の肩に手を回した。いつもやられている分の仕返しだ。航平はビクッとして俺の方を振り返ると、慌てて涙を拭った。


「な、泣いてなんかないよ。紡のバカ」


「目が真っ赤になってるぞ?」


「う、うるさい! 僕は昨夜紡のいびきが五月蠅くて眠れなかっただけだよ」


「な、何だと、この野郎!」


航平はただでは俺ごときにはやられないらしい。喧嘩を始めようとした俺たちの間に美琴ちゃんが割って入った。


「はいはい、いい加減にしなさい、二人とも。本当に二人はいつも仲がいいのね。やっぱりあなたたち二人は史上最高の逸材にして、史上最高のカップルになりそうな予感がする。もう、二人はそのままと呼び合ってちょうだい。部名を使う必要はあなたたちの間に限ってはないことにするわ」


「劇中での」カップルということなのだろうが、俺と航平の関係が知られたのではないかと思ってドキドキする。美琴ちゃんはいちいち俺を心配させるような発言をするよな。


 いや、でも美琴ちゃんに認めて貰えたのなら、お言葉に甘えて普通に名前で呼ばせて貰おう。俺と航平は部活中でも、「つむつむ」や「こうちゃん」という名前で呼び合わなくなっていた。航平にちゃん付するのは俺にとって何か変な感じがするし、航平もすっかり「紡」呼びが板についている。


「史上最高のカップルかぁ。うーん、どうだろうね? 紡がもうちょっとカッコいいイケメンになれたら、僕ももうちょっと芝居が乗っていけるんだけどなぁ。紡はまだまだのまんまだからちょっとね」


さっきまでしおらしく泣いていたはずの航平を揶揄おうと思ったら、いつの間にか立場が逆転している。生意気な航平の減らず口は文字通り


「お前なあ、言わせておけば……」


「はい、もう痴話喧嘩は終りよ」


美琴ちゃんが再び喧嘩をおっぱじめようとする俺と航平を止めた。


「さてと。この作品で、今年の大会は戦うことになります。演劇部員は皆キャストだから、これから夏休みにかけてがっつり芝居を仕上げていくわよ。裏方スタッフは秋口に応援を頼みます。ちなみに、わたしも演技にはどんどん口出しをするけど、これからは演出担当の部長に演出プランはお任せするわ」


「よろしくね」


部長がニッと部員たちに笑いかけた。


「とにかく、今年は勝負に出ます。目指すは聖暁学園演劇部創立以来初となる全国大会初出場よ!」


「オーッ!」


美琴ちゃんに合わせて、演劇部員全員で雄叫びを上げた。普段発声練習をしているだけあって、五人分合わせた声がでかいのなんの。同じ体育館で部活をしていたバスケ部やバレー部の部員たちが思わずギョッとして俺たちの方を振り向く。そういえば、この人たち、日常的に俺たちの稽古しているBLの芝居が嫌でも目に入って来るだろうに、よく平気で部活が出来ているよな。すぐそばでとんでもない芝居が日々繰り広げられているのだ。俺がもしバスケ部やバレー部だったら、気になって部活どころではないだろう。


 何はともあれ、これから本格的な稽古に入る。俺も航平も、そして先輩部員も気合十分だ。だが、俺はその時ふと思った。俺はアキのように母さんがいない訳じゃないし、何か重大なコンプレックスを抱えてもいない。だが、両親共死別しているというハルの役を演じる航平に、何か抱える闇はあるのだろうか。ノー天気に笑って、はしゃいでいる航平を見る分には、何も考えていなさそうに見える。だが、いつの日か、航平と喧嘩した俺に、俺たちの仲を取り持とうとした部長に言われたことを俺は思い出した。


「詳しいことはこうちゃんに許可貰ってないから話せないけど、あいつは何も考えていないようで、いろいろ抱えている子なんだ。こうちゃんがうちの演劇部に来るようになったのにも、いろいろ事情があってね……」


「いろいろな事情」って何だろう? この無邪気で純真無垢そうな航平も、何か抱えている問題があるのだろうか。もし、劇中であったように、航平の抱える闇を俺が知った時、俺は航平を受け止めてやれるのだろうか。こんな、を絵に描いたような俺ごときに。


 しかし、そんな俺の物思いは、寮に戻るなりいつも通り賑やかな航平によって全てかき消されてしまった。


「やっと紡のBLアレルギーも解消されて来たことだし、これを解禁するね」


航平は部屋の隅に置かれていた大きなカバンを俺の前で開帳した。着替えでも入っているのだろうとさして気にも留めなかったそのカバンの中に入っていたのは、大量の漫画だった。


「おいおい。漫画なんか持って来ていいのか? 寮則で漫画の持ち込みは禁止されているだろ?」


「いいの、いいの。ルールなんて破るためにあるんだから。それに、教師の美琴ちゃんが僕たちにBLドラマCDなんか貸したんだよ? バレたら漫画どころの騒ぎじゃないよ」


美琴ちゃんは航平に碌なことを教えやしないな。俺は呆れながら、その中の漫画を一冊取り出してみた。すると、その内容に俺は思わず鼻血を出しそうになった。濃厚な絡みの描かれた男同士の裸が描かれていたのだ。航平が持ち込んでいたのは、まさかのBL漫画だったのだ。


「お前、これ……」


絶句する俺に、航平は得意気に語った。


「僕、美琴ちゃんと同じで、BLが趣味なんだ。映画もアニメもよく見てるよ。僕みたいな男でBLが好きな人のことを腐男子ふだんしっていうんだよ。紡もだいぶBLに染まって来たし、腐男子の仲間入りだね! だから、これからはいつでもBL漫画読みたい時に読んでもいいよ。一緒に読も!」


「は? 何それ?」


っていうのはね、腐った男子って書くんだ。男同士の危ない恋愛に興奮しちゃう趣味を持ってるって自虐から来ているらしいんだけどね。ちなみに、美琴ちゃんはになるよ」


腐った男子だと? 失礼な! 俺は腐ってなどいないぞ。


「ってことで、紡も腐男子ってことで決定ね」


「ちょっと待てよ。俺がいつ腐男子とかいう種類の人間になったっていうんだよ?」


「美琴ちゃんの台本に泣いている時点で、腐男子決定だよ」


「お、俺は泣いてなんて……」


「僕、見てたよ? 紡がぐすんぐすん鼻を鳴らして啜り泣いてるとこ。子どもみたいな泣き方で可愛かったよ」


俺は首まで真っ赤になった。やっぱりこんなやつに抱える闇なんて皆無だ。クソォッ! 俺を扱いやすいと思ってバカにしているな、航平のやつ。許すまじ。


 だけど、このBL漫画ってのは気になるなぁ。俺は断じてなどではないが、気になるのでちょこちょこ航平に貸して貰うことにしよう。

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