第3場 今カノの力は絶大
少しずつ田上涼太という人の人となりがわかって来た。部長がずっと抱えて来た涼太さんへの罪悪感。涼太さんと一度でもちゃんと話す機会があれば、ここまで部長も悩まずに済んだのではないだろうか。俺は核心に迫る質問を涼太さんに投げかけた。
「じゃあ、俺たちの全国大会を観に来たのは、立野部長に謝るためなんですか?」
「うん。一度、燿平と会って話をしたい。そう思って、ここまで来たんだ。でも、理由はもう一つあってね。大事な中部大会の前に部活を抜け出した俺には、演劇に関わる資格はないというのはわかってる。でも、演劇自体は今でも好きなんだ。芝居をしている時は、俺は情けなくて自信のない自分を忘れられたんだ。自分の中に秘めた感情が爆発する感覚が気持ちよかった。だから、聖暁学園を辞めても、聖暁の演劇部のことはずっと追いかけていたんだ。俺、通信制の高校を卒業して、この春から大学生になった。通っているのは普通の大学なんだけどね。でも、やっぱり演劇が忘れられないんだ」
すると、それまでずっと黙って話を訊いていた航平が、いきなりコップの水を飲み干して、テーブルの上にダンッと音を立てて置いた。
「だったら、演劇やればいいじゃん。一度上手くいかなくて演劇部を辞めたくらいで、何をいつまでもうだうだ悩んでるの? 演劇をやるのに資格も何もないでしょ? 結局、涼太さんって先に進むのが怖くて逃げてるだけじゃん。部長のこともそう。謝りたいなら、さっさと謝ればいいのに、今までああだこうだ理由付けて逃げて来ただけだよ。部長から逃げて、聖暁学園からも逃げて、演劇からも逃げるつもり? そんなことやっていて楽しい? 結局、僕たちの全国大会を観に来たっていうのも、過去の自分を思い出して酔っているだけ。本当に演劇をやりたいと思うんだったら、部長のお尻追いかけている暇に、演技のレッスンでも受けに行けばいいじゃん」
涼太さんは口をあんぐり開けて、唖然とした表情で航平を見ていた。俺は慌てて航平を止めた。
「おい、止めろよ。初対面の、しかも俺たちの先輩に当たる人に向かって失礼だろ!」
「何が? こんなしみったれた話を延々と訊かされる僕の立場にもなって欲しいね!」
「だから、やめろって。すみません、涼太さん。こいつ、いつもこんな感じで、好き勝手言って暮らしてるやつなんです」
俺は言い訳にもなっていない言い訳をすると、航平を連れて店の外に飛び出した。
「ああいう煮え切らない男って嫌い!」
航平は店の外に出てもプンプン怒っている。俺はまぁまぁ、と航平を宥めながらも、内心、航平が涼太さんを一喝したことにはスカッとしていた。確かに、涼太さんはうじうじし過ぎだ。出来ない、というより出来ない理由を探して、わざわざ出来ることまで出来なくしてしまっている感じ。部長も、いつまでも涼太さんのことなんか引き摺るのをやめればいいのに。部長も部長でお人好しが過ぎるよな。
だが、翌朝ホテルのロビーに集合した時の部長は寝不足なのか、目の下にクマを作り、視線も定まらず、虚ろな表情をしていた。一目見ただけでわかる、最悪のコンディションだ。俺は兼好さんと西園寺さんにそっと尋ねてみた。
「昨日、部長とはあの後話せたんですか?」
「話せたのは話せたんだけどな……」
兼好さんは難しい顔をして腕を組んだ。
「けど、どうしたんですか?」
「やっぱり、相当前部長のことを引き摺ってるらしくて、僕たちじゃお手上げ状態。もう、今日は部長がどんなヘマをしても僕たちでカバー出来るように、アドリブで乗り切るしかないよ」
西園寺さんが俺に向かって「頑張れ」のポーズをする。いや、待ってくれよ。部長の演じる役はアキの父親役だ。部長との絡みは殆ど俺じゃないか! 部長の芝居のカバーをする役目が俺に全部押し付けられるっていうのか? 俺の肩の荷がズシリと重くなる。
だが、捨てる神あれば拾う神ありだ。俺たちが会場入りすると、
「燿平さん! 紡くん!」
という聞き覚えのする声が聞こえて来た。葉菜ちゃんだ。
「来てくれたんだ」
部長の顔が少し和らぎ、頬がほんのりピンク色に染まった。
「うん。だって、燿平さんの晴れ舞台だもん。わたしも観たいと思って応援しに来ちゃった」
葉菜ちゃんもはにかんで部長の手をそっと握った。そうだ。今日のこのピンチを乗り越える切り札は葉菜ちゃんだよ。元カレの忌まわしい記憶に囚われる部長を救い出すのは、今カノを置いて他にいないんだ!
俺は挨拶もそこそこに、葉菜ちゃんを人気のない場所まで連れて行った。
「ちょっと、いきなりどうしたのよ!」
戸惑う葉菜ちゃんに、俺は頭を下げた。
「頼む! 俺たちに協力して欲しいんだ。このままじゃ、今日の上演が台無しになってしまうかもしれないから」
「え、どういうことよ?」
俺は葉菜ちゃんに、部長の前に元カレである涼太さんが現われたことを話した。葉菜ちゃんの顔が青ざめる。
「も、もしかして、燿平さんを取り戻しに?」
「話を訊く限り、それはないと思うけど……」
そう言いかけて、俺はふと思った。
俺は演劇部に入ってから数多の恋愛模様を見て来たんだよな。俺と航平、兼好さんと西園寺さん、奏多と漣、希と優……。それぞれがそれぞれに三者三様な恋模様を見せて来たが、一つ共通して言えることといえば、嫉妬は物凄く大きな力を生むということだ。俺は葉菜ちゃんをチラッと見やると、不安そうに落ち着かない様子だ。俺の中にある考えが閃いた。
「ねぇ、葉菜ちゃん。部長、まだ元カレのことを引き摺ってるらしいんだ。そのせいで、昨日から気分が落ち込んでる。このままだと今日の舞台は台無しになるかもしれない」
「そんな……」
「彼女の葉菜ちゃんがいるのに、いつまでも部長ったら過去の彼氏に囚われているんだぜ。この状況、ちょっと不味くないか?」
俺の言葉を訊いた葉菜ちゃんはブルブル震え出し、バッと部長の元に向かって走り出した。そして、部長を捕まえると、ギュッと抱き着いた。
「ど、どうしたんだよ、急に」
困惑する部長に、葉菜ちゃんは捲し立てた。
「ダメだよ、燿平さん。昔付き合っていた彼氏の人が現われたからって何? まだ、元カレさんのこと見ているの? 今、燿平さんが付き合っている恋人は誰? わたしじゃないの? 今はわたしだけを見てくれなきゃ嫌だ」
「は、葉菜ちゃん……」
驚く部長に、葉菜ちゃんは何か言葉を発せる猶予を与えなかった。部長の唇をそのまま奪うのだった。演劇部員たちがどよめいて、希や優など自分たちが顔を赤く染めている。
「今日の舞台、元カレのせいで燿平さんがヘマしたら、わたし、絶対に許さないよ。全国大会に出られなかった、地区大会から中部大会まで戦って来た全部の演劇部員たちの想いも懸かってるの。いい加減なお芝居は許さないから」
葉菜ちゃんのその言葉を訊いていた部長の顔に、少し血の気が戻って来た。虚ろだった目に光が戻り、部長が今度は自分から葉菜ちゃんを抱き締めた。
「そうだね。俺、一番大切なことを忘れていたよ。葉菜ちゃん、ありがとう。俺は今日の舞台を絶対に成功させる。誰が来ていようが関係ない。俺たち演劇に関わる人間は観客に誰が来ていたって、今出来る最高の芝居を見せる義務があるんだよね。頑張るよ。絶対にヘマはしない」
部長は力強くそう宣言した。
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