第6場 少しわかった愛する芝居

 その週末は、俺は航平と二人で残りのBLドラマCDを聴いたり、台本を読み込んだりしながらゆっくり過ごした。何度聴いても、BLドラマCDの濡れ場シーンは慣れない。どうしても航平と一緒に聴いていると、航平を意識せずにはいられない。航平もそれは同じようで、一つの作品を聴き終わる度に、俺たちは濡れ場シーンのごとく、ベッドの上に倒れ込んで絡み合うのだった。何重もの意味で、このBLドラマCDとかいう代物は俺の体力を消耗させる。


 だが、ストーリーは面白いし、何作品も聴いていると、少しずつこのBLという世界に対する興味が沸き上がって来る。出演する声優の芝居も、よく聴いているとただ声の色っぽさだけだけで俺の心を惹き付けている訳じゃないことがわかる。声のトーンを自在に操り、恋するキャラクターへの恋慕を時に温かく、時に情熱的に、まるでその恋慕の念が目の前に視覚化されているかのように鮮やかに描き出す。セリフを読む速度、絶妙な間、微妙な息遣い。そうか。こうやって「愛」を表現していくのか。


 そういえば、俺が航平と愛し合っていた時、俺はどんなことをどんな調子で口にしていたっけ? どんな仕草をしていただろうか? その時の俺の想いはどうだった? 航平はどうだ? 航平は何をどのように言い、どう行動しただろう? それを一つ一つ自分の芝居に落とし込んで、これからの芝居に生かさなきゃ。俺はメモ帳にそれらを全て書き留めていく。


 メモをしながら俺は思った。BLドラマCDのセリフは実にリアルで、深い共感を覚える。俺は航平と愛し合う時にこういうセリフをこういうトーンで囁きたいし、囁かれたい。そうか。だからこそ、初めて聴いた時、メインキャラクターたちのラブシーンが俺と航平に置き換えられて脳内で再生されたのか。


 何だ。このBLって、こんなに面白い世界だったのか。そして作品を男同士の恋愛だからというただそれだけの理由で、この世界を厭うのは何だか勿体ないような気がする。現実に、俺や航平のように、男同士で愛し合っている人間もいる訳だし、ただ単に御伽噺として完結してしまう世界ではない。


 誰かを愛して、その愛した誰かにまた自分も愛される関係っていいな。これが本当の「恋愛」ってやつだったんだ。俺はBLの世界を通じて、「恋愛」というものの意味を知った。航平と愛し合っているのだという現実も、初めて現実のものとして腑に落ちた。俺にとって、BLはただのファンタジーで終わるものじゃないよな。


 今まで、適当な女の人と付き合い、結婚し、家庭を持つことが出来ればいいやと漠然と思っていたのだが、そんな以前の俺に後戻りが出来ない所まで来ていた。俺は狂おしい程に恋慕する男を求める気持ちをこれでもかと味わい尽くしていた。


 俺のこの恋はその辺のカップルよりもずっと特別だ。航平と、俺の航平と何百人という観客を前に、恋人である役を演じる。役を通して、俺がどれだけ航平を愛しているのかを披露できるなんて、どんなカップルでも出来ることじゃない。それを思うと俺の中の血が滾る。台本を読む俺の中には、既に「恥じらい」の四文字はなかった。


 それに、何故が愛される側になってしまった俺が、劇中では逆に航平演じるハルを愛するアキを演じることが出来るというのも嬉しかった。航平はこの劇中ではひたすら可愛い男の子のままなのだ。もちろん、二人で絡み合う時のあの野性味も、中毒性を帯びて、俺を抜けることのできない「航平」という名の沼に引きずり込んでいくのだが。


 航平は不思議だ。小さくて可愛くて守ってやりたくなる可憐さをいつもは持ち合わせている癖に、いざベッドの上では俺を食らってしまう「男」と化す。そのギャップがまた俺を虜にして航平から離れなくさせてしまう。稲沢航平。こいつは俺の中からとんでもないものを引き出そうとしているんじゃないか。俺は恐ろしいような、一方で楽しみなような感覚に浸っていた。


 週明けの部活でいよいよ立稽古を開始した時、俺はアキのセリフに航平への想いの丈をぶつけんばかりに芝居をした。航平も以前とは目の色が違う。滾るような俺への想いを込めた視線を向け、ぶつけて来る。ハルがアキへの恋心を認め、とうとう二人が結ばれるシーン。二人は抱き合ってキスをする。俺は躊躇なく航平を抱き寄せ、航平の唇を奪った。


 俺と航平の芝居を観ていた美琴ちゃんも先輩部員も、まるで鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くし、ただただ唖然とした表情で立ち尽くしていた。しばしの沈黙の後、美琴ちゃんが


「どうしたの、二人共? 先週とはまるで別人よ!」


と感嘆の声を上げた。


「何だか鳥肌立っちゃったよ」


「すげぇよな、二人とも」


「ちょっと僕、感動しちゃったんだけど」


三人の先輩もワイワイ騒いでいる。俺は航平を見やった。すると、航平はすっかり赤面してもじもじしていた。その様子を見て、俺も初めて少しばかりの恥ずかしさを覚えた。だが、それ以上に何とも言えない爽快感が俺の全身を包んでいた。


「まだ七月にも入っていない段階なのに、こんな出来に仕上げて来るなんて例年になかったことよ! 本当の恋人同士に見えたもの」


美琴ちゃんが熱っぽく語っている。俺は苦笑いした。実は本当の恋人同士なんだよな。秘密だけど!


「やっぱりあなたたち二人は演劇部史上最高の逸材だわ。これは絶対史上最高の作品にもなるわね。私も頑張って残りの台本仕上げるぞ!」


美琴ちゃんはすっかり張り切っている。


「紡、何か僕、本当に紡に愛されてるんだなって思ったよ」


航平が俺に耳打ちした。


「え、どういうこと?」


「今日の紡の芝居、熱っぽくて、カッコよくて、いつも僕が知ってるどんな紡よりもイケメンだった。なんて言ってごめんね」


「そ、そうか?」


俺は思わず赤面した。


「だから、僕も何か本気になっちゃってさ。紡、凄いね」


いつも生意気な航平にここまでべた褒めされたことのなかった俺は、嬉しいやら恥ずかしいやらですっかりのぼせ上ってしまった。今日こそ航平を抱く側に回ってやるぞ。俺は調子良くそんなことを考えていたのだが、舞台を降りると航平はいつも通りの生意気さを取り戻していた。


「ねぇ、紡。今日ずっと気になっていたんだけど、髪の毛寝癖ついてるよ」


寮に戻るなりそう航平に言われた俺が鏡を確認すると、ピンと髪が立っていることに初めて気が付いた。俺は慌てて髪を指で何度も解かすが、しつこい寝癖はなかなか直らない。


「航平、知っていたならもっと早く言えよ。俺、今日一日寝癖ついたまま過ごしていたってことになるのか?」


「だって、面白かったんだもん」


「面白かったって、俺は笑い者じゃないんだぞ!」


「うーん、でもやっぱり紡は真のイケメンにはなれないね。やっぱりなのは変わらないや」


「航平!」


「わぁ、紡が怒ったぁ!」


航平は一目散に部屋の外に逃げ出して行った。あいつめ! さっきはあんなにトロンとした目で俺に対して「なんて言ってごめんね」とか言っていたくせに。やっぱりどこまでも食えないやつだ。

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