第5場 迎えた大一番
地区大会本番を迎えた朝、俺と航平は緊張の余り、普段よりも随分早起きして、ずっとソワソワしていた。先輩部員も、更には奏多や漣までも同じように緊張して早く目が覚めたらしく、俺たちは朝の七時には、寮から歩いて五分ほどの場所にある河川敷で発声練習やストレッチをしたり、セリフ合わせをしたりと準備に余念がない。
「寝れた?」
「全然寝れなかったよ」
「俺も、昨日二時まで寝れなかった」
「それ、キッツ!」
俺たちは一様にソワソワしている。朝飯も演劇部員全員で集まって一緒に食う。普段は飯など別々に好きな時間に食っているのだが、今日は何だか一人で飯を食うのが落ち着かないのだ。それに、今日という日は、このチームで過ごしたいと誰もが自然に思って集まって来た。
いよいよ美琴ちゃんも合流し、いざ決戦の地へと乗り込む。先に会場入りしていた百合丘学園演劇部のメンバーたちも皆、緊張した面持ちだ。中でもあの青地など、昨日の威勢は何処へやら。誰よりもガチガチに緊張して、美琴ちゃんに挨拶されてから初めてこちらの存在に気が付く始末だ。
「せ、せ、聖暁学園の皆さん、お、お、おはようございます」
裏返った声で情けない挨拶を返す青地に、俺たちは一斉にクスクス笑い出した。
「え? 何が可笑しいんですか? え? え?」
青地がクスクス笑う生徒たちに聞いて回る。その様が可笑しくて、俺たちは更に腹を抱えて爆笑した。そんな青地のおかげか、俺は少しだけ朝から感じていた極度の緊張感が解れた。いつもは嫌味な青地だが、この時ばかりは感謝の念を覚えたよ。
俺は別れ際に、葉菜ちゃんと親指を立てたグーマークで互いにエールを送り合った。出番が前半の俺たちは、早速楽屋に入り、衣装に着替える。舞台メイクを決め、本番に向けて台本の最終チェックを行う。いよいよ俺たちの出番だ。
テキパキと大道具を舞台の定位置に据える仕込みの作業を終え、俺たち役者は最後に美琴ちゃんを中心に集まった。
「もう泣いても笑ってもこれが最後よ。県大会に行きたいという気持ちは皆もわたしも同じ。でも、今はこの『再会』という作品を最高なお芝居として皆に見せることを第一に考えましょう。何より大事なのは、楽しむことよ!」
「はい!」
「つむつむ。今までいろんなことがあって、いきなりBLなんてやらされることになった時は戸惑いもあったわね。でも、よくここまで一生懸命頑張って一緒にやって来てくれた。ありがとう」
俺は思わぬ美琴ちゃんからの言葉に、思わず涙が零れてしまった。
「ありがとうございます!」
「こうちゃん。中等部の時から演劇部を支えて来てくれてありがとう。いつもあなたがこの演劇部のために一生懸命動いてくれていたこと、わたしはちゃんと見ていたからね。つむつむなんて、最高の役者を連れて来てくれたのも、ハル役で最高の役者になってくれたのも、全部こうちゃんなのよ。今日は頑張って」
「はい!」
航平も泣き出して目をゴシゴシこすっている。美琴ちゃんは先輩部員たちにも一人一人声をかけ、本番前にも関わらず、部員全員が既に感極まって号泣していた。
「ほら、何泣いているのよ。いい? 皆、しっかりして。折角のメイクが落ちちゃうでしょ? じゃあ、いくわよ」
俺たちは美琴ちゃんの号令で小さな声で円陣を組んだ。
「ファイト―、オーッ!」
俺たちの芝居の開始を告げるベルが鳴る。俺と航平は互いの顔を見合わせた。大丈夫。俺たちはやれる。だって、俺たちはアキとハル。二人は恋人同士なのだから。劇中でもリアルでも。だから、俺たちの絆は、この『再会』の中で完璧に輝くんだ。緞帳が上がり、BGMが鳴り始める。俺は初めて観客の前で演じる舞台へ向かって一歩を踏み出した。
それからは、俺はもう夢中だった。照明に照らされた俺の一挙手一投足に、観客の注目が集まる。時に笑い声が漏れ、時に緊張感がホール全体を支配する。俺たち役者が表情を変え、セリフを話し、動き回るのを、同時に観客も感じている。俺たちは一体だ。演劇部員全員が一体である感覚を味わったのが昨日のゲネプロであれば、今日のこの一体感は、会場にいる全ての人を巻き込んだ一体感だ。俺たちが呼吸するように、観客も呼吸する。まるで、コミュニケーションを図っているかのように。
このホールの空間は、完全に『再会』の世界になっていた。『再会』のアキとハルの切ない恋心に、観客が心を打たれ、最後のシーンに向かって感動が高まっていくのがわかる。アキがハルに告白し、ハルを抱き締めながらキスをした時、客席から鼻をすする音が聞こえて来た。
勝った。俺は確信した。観客はこの一時間に渡る芝居の時間中、ずっと俺たちの舞台の世界に引き込まれていた。手応えは十分だ。俺は気分の高まるままに、航平と熱烈に抱き合いながら緞帳が閉まっても熱いキスを交わし続けていた。俺も航平も泣いていた。泣きながら抱き合い、互いの唇を合わせていた。
「お疲れさまー!」
先輩部員たちが声を掛け合っている。その声に、俺と航平はやっと現実の世界へ引き戻された。
「あはは、紡、本当に泣いてるよ」
「航平こそ泣いてるだろ」
俺たちは涙を拭いながら笑い合った。そして、もう一度ギュッと互いを抱き締めあった。
「はいはい、二人共。いつまでも余韻に浸ってないで。バラシの時間もそんなにないんだからね」
美琴ちゃんは感動も何もない。折角最初にあんなに感動するようなセリフで俺たちを鼓舞してくれたのに、いざ終わってみれば淡泊なものだ。でも、実際に大道具を片付けるバラシに残された時間はそんなに多くない。俺たちは急いで先輩部員たちと共に作業に入った。
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