第3場 部長と聖暁学園演劇部のBL事件

 昼休みに男だらけの聖暁学園の食堂にぞろぞろと集まった女子高の花たちに、再び男共の視線が集中する。青地がその度に目くじらを立てて「シッシッ!」とハエでも追い払うかのように、鼻の下が完全に伸び切った男子生徒たちを蹴散らして行く。食堂の真ん中にデーンと陣取った俺たちは早速昼飯を食い始めた。相変わらず青地は男子生徒たちに目を光らせては、周りに男子生徒が近寄らないように見張っている。まるで人間版防虫剤のようだ。


 だが、男どもが百合丘学園の女子生徒に近寄れないおかげで、俺は葉菜ちゃんとじっくり話が出来る環境を手に入れた。


「あの後、莉奈ちゃんとはどうなったの?」


俺がそう聞くと、葉菜ちゃんは大きな溜め息をついた。


「ちゃんと立野部長が言う通り、莉奈の告白は断ったよ。でも、何だかその後ずっと気まずくて、話も出来ていないの」


告白を降った相手と気まずくて話が出来ない心理というのは、何となくわかる気がする。俺も奏多からの告白を断った後、少し気まずい部分はあったしな。


「まだ告白を断ったばかりだし、それは仕方ないんじゃないかな?」


俺がそう言うと、莉奈ちゃんは首を横に振った。


「ダメなの。わたしたちには時間がないの。だって、中部大会はもう数週間後に迫ってる。わたしと莉奈は恋人同士の役を演じるから、ちゃんとお互いに息を合わせてやらないと上手くいかない。でも、このままじゃ、お互いに気まずくてちゃんとした芝居にならないよ」


すると、俺の横に座っていた部長が俺たちの会話に口を挟んで来た。


「でもね、皆月さん。もし桐嶋さんと仲直り出来なくても、ここはもう逃げることは出来ないんだよ。泣いても笑っても、中部大会は十二月の終わりにやって来る。そこで今の気持ちを引き摺って芝居をしても、乗り越えて芝居をしても、それはその時の結果にしかならない。正直、芝居はその時の気分や体調によっても出来不出来のムラが出来やすいんだ。でも、そのムラは出来るだけ小さなものにしないといけない。しかも、出来るだけベストな時のレベルにそれ以外の時のレベルを合わせるようにしてね」


葉菜ちゃんは黙って頷いた。


「それから、今俺たちがどんなことを相手に思っていようが、舞台に上がってしまえばその役の人物になるんだ。どんなに嫌な相手でも、その相手を好きになる役なら、舞台上では好きにならなきゃいけない。逆に、どんなに好きな相手でも、その相手を台本の展開として傷つけなきゃいけないのなら、舞台上では傷つけることになる。そこに、俺たち役者の感情は介在しないんだ。そこにあるのは俺たちが演じる役だけ。どんなに桐嶋さんと気まずくても、舞台の上では、桐嶋さんと恋人になるのなら、愛し合わないと」


葉菜ちゃんにとって、その部長からの言葉は大分厳しいものだったようで、すっかり落ち込んでいるようだ。そんな葉菜ちゃんに部長は今度は優しく言った。


「でも、ちゃんと桐嶋さんとケリをつけたんだよね? 頑張ったじゃん」


葉菜ちゃんは「え?」と顔を上げた。


「皆月さんは頑張って桐嶋さんと向き合って話をしたんだから、これ以上悪い方向にはいかないと思うよ。皆月さんの真剣な想いは、きっと桐嶋さんにも伝わっているから」


葉菜ちゃんは「ありがとうございます」と泣きそうな顔で頷いた。


 それにしても、部長はやけにこの件に関して熱く語るよな。何か過去にあったかのように、葉菜ちゃんへの助言も真に迫っている。俺はそれとなく部長に聞いてみることにした。


「部長、何か葉菜ちゃんと莉奈ちゃんのようなことが過去にあったりしたんですか?」


俺の問いに暫く黙っていた部長だったが、ボソリと呟いた。


「……うん。あったよ」


え、まさか、本当にあったんだ! でも、どんな事件があったというのだろうか? 部長は静かに自身と聖暁学園演劇部の過去に起きたとある事件について話し始めた。


「俺はさ、この聖暁学園の演劇部員としては珍しくノンケなんだよ」


「ノンケ、ですか?」


「異性を好きになる男ってこと!」


「あぁ、そういえばそんな言葉聞いたことがあります」


「だから、最初にこの部活に入った時は驚いた。作品の内容がBLだったっていうのもそうだけど、それ以上に、リアルなBL男子の多さにね。ここの部活では俺のようなノンケの男の方がマイノリティだ。俺、初めて自分がノンケであることで肩身の狭さを味わったよ」


部長はそう言って笑った。


「でも、よくよく考えてみれば、男が男を好きになる同性愛者や両性愛者って、一歩外の社会に出れば、逆に少数派な訳じゃん? だから、あぁ、この人たちは日常的にこんな感覚を味わっているんだなって思った訳。俺、何だかこの部活の中にいると、男を好きでいなきゃいけないんじゃないかと思ってしまってさ。別に俺がノンケだから悪いとか、男を好きになれとか誰にも言われたこともないのに、自分で勝手にそう思っちゃってね。自分で自分に勝手に同調圧力のようなものをかけていたんだと思う。


 そんな時に、俺は当時の部長から告白されたんだ。俺は去年、演劇部に入部してから、その部長のことを誰よりも尊敬していたんだ。芝居も人一倍上手かったし、部員皆に思いやりがあって、優しくて、頼り甲斐のある先輩だった。俺、その部長が憧れでさ。ずっと、その人のこと、追いかけるようになったんだ。そんな時に受けた突然の告白だった。


 正直、俺は部長に先輩や部長として以上の感情は持ち合わせていなかった。でも、俺の周囲は皆男と付き合っている。だから、何だか俺も男と付き合わないといけないような気がした。しかも、相手は俺の憧れの先輩だ。ここで断って、俺の大好きな先輩から嫌われるようなことをしたくなかった。だから、俺は部長の告白にオーケーしたんだ。


 でも、それからはずっと地獄だった。ただの先輩と後輩だった俺たちの関係は激変した。先輩は俺にキスを求めて来たし、休日になるとこっそり俺の寮の部屋に忍び込んで、俺と身体の関係を持とうとした。でも、俺はどうしてもそれが生理的に受け付けなくて、でも、それでも我慢しないと部長との関係が切れてしまうと思ったから頑張っていた。でも、ある時、俺はとうとう我慢していたのが爆発してしまったんだ。


 俺の部屋にいつものようにやって来て、俺の唇にキスをして押し倒そうとした部長を、俺は思わず蹴り飛ばしてしまった。その上、変態で気持ち悪いって怒鳴ってしまったんだ。その言葉に部長は深く傷ついた。元々ナイーブで繊細な性格だったから、好きだったはずの俺にそんなセリフを投げかけられて、特にショックだったんだと思う。


 部長はそれでも、部長の責務を最後まで果たそうとした。でも、とうとう限界が来たんだと思う。県大会が終わってすぐ、部長は演劇部に退部届を提出した。その時、他の部員たちは当然部長をなじった。こんな大事な時に抜け出すのは無責任だって。部長が抜ければ、部長がいなくなった分の台本を書き直さないといけない。一か月半で仕上げるには、かなり大変な作業になる。皆が怒るのは当たり前だよな。


 でも、本当に悪いのはこの俺だったんだ。俺は何とか部長に謝って残って貰おうとした。でも、無理矢理俺に付き合わせちゃって悪いなって部長は言うんだ。そう言われると、俺もそれ以上のこと何も言えなくなっちゃってさ。


 結局部長は演劇部を辞めてしまった。しかも、それに続くように、聖暁学園まで辞めてしまったんだ。俺が部長の人生を滅茶苦茶に壊してしまった。好きでもない相手と無理に付き合おうとしなかったら、こんな結果にはならなかったはずだ。だから、無理して好きになれない相手と恋人関係になるなんていうのは絶対にやめた方がいいんだ。いい結果にはどうしたってならないから」


俺も葉菜ちゃんも箸が完全に止まり、ただただ部長の話に驚き、聞き入っていた。


「だからね、皆月さんには俺と同じ思いをして欲しくないんだ」


部長はそう言って淋し気に笑った。

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