第3場 好きな感情は普通なこと
「僕ね、サッカーの合宿抜け出して来ちゃったんだ」
海翔はそう切り出した。俺の血の気がサッと引く。いなくなった海翔のことで、今頃サッカークラブは大騒ぎになっているはずだ。このままでは、失踪した小学生としてテレビのニュースにもなるだろう。このまま俺がこっそり海翔を匿ったりすれば、俺だってただでは済まないはずだ。俺は思わず海翔に詰め寄った。
「おい、海翔! 抜け出して来たってどういうことだよ? そんなことしたら警察沙汰になるぞ」
「わかってる! でも、でも、あの場所にはもういられなかったんだ」
海翔は再び目にいっぱい涙を溜めて、握りしめた拳をぶるぶる震わせている。何やら相当思い詰めるようなことがあったらしい。
「そうか。どうして合宿にいられなくなっちゃったのかな?」
部長が静かに優しく海翔に語り掛けた。その穏やかな声に、俺の波立っていた心も少し落ち着きを取り戻した。この中では、部長が一番冷静なようだ。海翔は俯いて暫く躊躇った後、震える声で
「僕っておかしいのかな?」
と答えた。
「おかしいって、何がかな?」
航平は部長の問いになかなか答えず、俯いたまま震えている。そんな海翔を部長はそっと抱きしめた。
「大丈夫だよ。俺はちょっとやそっとのことじゃ引いたりしない。犯罪に手を染めた、とかじゃない限りね」
「うん……。僕さ……小六に上がってから何処か変だったんだ。修学旅行のお風呂とか、プールの授業の着替えとか、僕、同級生の子が服を脱ぐところ、気になってじっと見ちゃうんだ。何かね、凄く変な感じがするんだ。身体がかあっと熱くなって、恥ずかしいんだけど、目が離せなくなるんだ。触りたいって思っちゃうけど、それも何だか恥ずかしくて触れないの。何かね、おしっこする時みたいに、おちんちんがむずむずして来て、でも、おしっこが出る時とは別の感覚で……」
俺は航平と顔を見合わせた。まさか、これは、海翔が俺や航平と同じく「男が好きになった」ってことなのか? 俺はふとゴールデンウイークに海翔が俺の部屋で話していたことを思い出した。
『僕が兄ちゃんの思う普通じゃない人だったらどうする?』
あの時、海翔は俺にそう尋ねた。なるほど。俺はあの時、海翔と同じことで悩んでいた訳だ。俺は航平というパートナーを得た。だけど、海翔は今独りでその想いを抱えているのか。それはしんどかったよな。俺は兄貴として、海翔の心の内を汲み取ってやれなかったことに自責の念を覚えた。
「サッカーの合宿でもやっぱりお風呂で他の子が気になって服を脱ぐとこ見てた。でもね、昨日の夜、皆が僕のことそのせいで気持ち悪いって話しているの、聞いちゃったんだ。僕のこと、頭おかしいって皆笑ってた。でも、僕、そんなの聞かなかったことにして、今日も練習に出ようと思ったんだ。だけど、やっぱり昨日のこと考えちゃって、集中できなくて、監督に怒られて……。だから……だから……」
海翔はそれ以上の言葉を紡ぐことが出来ずに、しゃくり上げながら泣いた。部長が優しく、
「だから、合宿を飛び出して来たって訳だね」
と海翔の後に続くであろう言葉を付け足した。海翔はしくしく泣きながらコクリと頷いた。
「そうか。それは辛かったよな」
海翔は泣きながらまたコクリと頷く。部長がそんな海翔に話し始めた。
「俺、去年からこの演劇部にいるんだけど、俺の先輩で、男同士で付き合っていた先輩がいたんだよ。もう、卒業しちゃったんだけどね。今は大学に通ってる」
「付き合っていたって?」
「うーん、そうだなぁ。海翔くんは、同級生の子が着替える所が気になっちゃうって言っただろ? それとたぶん、同じ感覚を持つ男の先輩がいたってこと」
海翔は泣き止んで顔を上げた。
「え……、それ本当なの?」
「うん。本当だよ。そして、同じ価値観を共有する二人の先輩が俺たち演劇部で出会って、お互いのことが好きになったんだ。そして、二人は結ばれた」
「結ばれたってどういうこと?」
「そうだなぁ。海翔くんとお父さんとお母さんは海翔くんやお兄ちゃんが生まれるもっと前に、その先輩たちと同じような好きって感覚をお互いに持った。そして、今は二人で夫婦になっている。それと似たようなことかな」
「僕のお父さんとお母さんと同じなの?」
「うん。それに、海翔くんが同級生やサッカークラブの友達の着替えの時間に、他の子が気になっちゃう感覚を突き詰めていくとそうなる。海翔くんは男の子にそういう感情を持ったんだよね? お父さんとお母さんは男の人と女の人で同じ感覚をもった。それだけのことだよ。だから、別に海翔くんはおかしくない。その先輩もとてもいい人だったし、何も変な所なんかなかったよ。そうだよな、兼好、西園寺」
兼好さんと西園寺さんも頷いた。
「だから、大丈夫。海翔くんは誰か今、特別気になる子とかいないの?」
「気になる子?」
「着替えの時間に特に気になって見ちゃうなって子」
「……うーん、よくわかんない」
「そっか。じゃあ、まだそんな人が現われるのはもうちょっと先って感じだね。でも、覚えておいて。もし、そんな特別に感じる人が男の子でも女の子でも、海翔くんは変でも何でもない、普通のことなんだって。他の人がどう君のその気持ちを評価しようが、君が幸せでいることが一番重要なんだ。幸せでいたいって気持ちは変なことじゃないだろ?」
「うん」
「でも、世間では、どうしても男の子が男の子にそんな感覚を持つと、おかしいものだって言う人がいるのも事実。それに、多くの人は男の子なら女の子のことが好きになる。それに、幼い頃は、あまり人の気持ちを考えることが出来なかったりするからね。サッカークラブの子もきっとそう。皆、まだそういう人の感覚を理解できていないだけなんだよ。俺も、小学生の頃なんか、何も考えていなかったからね。そうやって悩めるなんて、海翔くんは俺よりずっと大人だよ」
海翔はポッと頬を赤く染めた。
「でも、あまりお風呂や着替えの場所で、他の子をジロジロ見るのは良くないな。自分がもし同じことを誰かにされたらどう思う? 気持ちいいかな?」
海翔は首を横に振る。
「気持ちよくはない。恥ずかしいよ」
「だろ? だから、自分がされて嫌なことは、誰かにしちゃダメだ。後は、またサッカークラブの皆とも普通に接してごらん? それでうまくいかなければ辞めてもいいんだよ。別にサッカーを続けることは義務じゃないんだからね。もし続けたいと思うんだったら、また俺たちに相談しなよ。いつでも話聞くからさ」
「……うん。ありがとう。そうしてみる」
海翔は恥ずかしそうにもじもじしている。
「じゃあ、つむつむ、こっちは俺たちに任せて、海翔くんのこと親御さんやサッカークラブに連絡しなよ。このままじゃ不味いからね」
「すみません。お願いします」
俺は部長の言葉に甘えて、大道具作りを他の部員に任せ、海翔の手を引いて、まずは美琴ちゃんに報告することにした。美琴ちゃんから俺の両親やサッカークラブにも連絡を入れて貰えるはずだ。何故か、そんな俺たちに航平もついて来る。海翔に興味津々といった様子だ。
「僕、兄ちゃんならいるんだけど、弟なんていないからさぁ。やっぱり弟っていいね、可愛くて」
そうやって一人はしゃぐ航平に、海翔は困ったような表情で俺の顔を見上げた。はぁ。航平。弟がいるってことは、別にいいことばかりじゃないんだぞ。いつもお前ってやつはノー天気で幸せだな。
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