第9場 子ども時代と今の俺
「海翔くん、はい」
美琴ちゃんは海翔に俺が握っていたおもちゃの刀を手渡した。
「さぁ、こうちゃんと二人でチャンバラごっこをして遊んでみよう」
美琴ちゃんの唐突な指示に、海翔は目を真ん丸くしたままポカンと立ち尽くしている。
「ほらほら、早く早く」
美琴ちゃんに急き立てられ、海翔は体育館のステージの上で航平と向かい合わされた。だが、海翔は困った表情で何も出来ずに突っ立っている。
「遊んでいいのよ。ほら、こうちゃんをその刀で切り付けなさい。海翔くんは今からお侍さんになります!」
「僕……こんな遊びしないよ」
海翔は演劇部員全員の注目を浴びる中、すっかり委縮して縮こまっている。ただでさえ、普段は同級生よりちょっぴり大人びている海翔のことだ。小学六年生にもなってチャンバラごっこをて遊ぶなど、恥ずかしくて出来ないのだろう。航平はノー天気に、そんな海翔に向かって「とりゃあ!」と叫びながらおもちゃの刀で切りかかって行くのだが、海翔は無反応でその場に座り込んでしまった。そうなると、航平もどうしたらいいのかわからなくなったらしく、俺に助けを求めるような目を向けた。いや、そこで俺に助けを求められても困るのだが。
すると、部長が航平の持つ刀を取り上げ、海翔に向かい合った。
「海翔くん、俺、幼稚園児になってみるから、海翔くんも幼稚園児になったつもりでチャンバラごっこしてみないか? 来年から海翔くんは、俺たち演劇部に入るつもりなんだろ? お兄ちゃんが小学生の役をやっているように、いずれ海翔くんも自分より小さい子どもの役をやらなきゃいけないかもしれない。だから、予行演習だと思ってやってみようよ」
海翔は顔を上げて部長を見た。
「予行演習?」
「うん。そうだよ。幼稚園児の役をこれから海翔くんはやるんだ。俺と一緒にね」
「部長さんがそう言うならやってあげてもいいよ」
海翔は心なしか照れを隠すようにぶっきらぼうに返事をした。部長、子どもの扱い上手いなぁ。さっきまであれ程頑なにチャンバラごっこを拒否していた海翔が、少しだけ表情を和らげている。俺はそんな部長の手腕に舌を巻いていた。
だが、いざ、チャンバラごっこをやるとなっても、どこかぎこちない。演劇部全員にの視線を一手に集めている上、海翔は幼稚園児という設定の役になり切ることがまだ恥ずかしいのだろう。海翔には海翔なりのプライドがあるのだ。すると、今度は部長が海翔の脇腹をくすぐり始めた。海翔は思わずキャッキャと笑い声を上げる。
「何するんだよ! 仕返しだっ! とりゃあっ!」
海翔はおもちゃの刀を部長の頭にコツンと当てた。
「やったなぁ?」
部長が刀でやり返そうとするのを、海翔も応戦する。そこからは、すっかり童心に戻った海翔は無邪気な笑い声を上げながら、部長とじゃれ合い始めた。そこに航平が加わり、西園寺さんが加わり、兼好さんも加わる。最終的に俺も巻き込んで、鬼ごっこやらだるまさんが転んだやら、全員で小さな子どもに戻った気分になって遊んだ。しまいには全員汗だくになりながら、その場に倒れ込んでいた。
「全くもう、夕方になっちゃったじゃない。今日の稽古は終りよ」
美琴ちゃんは苦笑いしながら言った。
「すみません」
と謝る部長に美琴ちゃんは笑いかけた。
「明日もう一回芝居の稽古をして、今日やったシーンがうまくいけば、その後はまた、お盆休みまで大道具の制作の続きに充てることにしましょう。じゃあ、また明日ね」
「ありがとうございました!」
演劇部員たちは汗だくで座り込んだまま美琴ちゃんの背中を見送った。
「どう? つむつむ、海翔くんと一緒に遊んでみて」
部長がそう俺に尋ねた。そこで俺はハッとした。俺はすっかり子どもとしての海翔の行動を観察するというミッションを忘れ、皆との遊びに夢中になっていた。せっかく、部長が俺のために気を利かせてくれたのに。
「す、すみません。ちゃんと海翔のこと見ていませんでした……」
俺は部長に申し訳なくて消え入りそうな声で謝った。そんな恐縮することしきりな俺を部長は笑った。
「あはは、そうか。つむつむ、めっちゃ楽しそうだったもんね。でも、今日のつむつむは童心に返ったって感じだったよ?」
「童心……ですか」
「紡のはしゃぎっぷり、高校生には見えなかったよ」
航平がいたずらっぽく俺の顔を覗き込む。
「や、やめろよ、恥ずかしい」
俺は顔を真っ赤にした。航平はキャッキャと笑い声を上げた。そんな航平にすかさず兼好さんと西園寺さんがツッコミを入れる。
「こうちゃんはいつも通りのこうちゃんだったけどな」
「そうそう。いつもの感じで賑やかだったね」
「それって僕がいつも子どもっぽいってこと?」
航平が膨れっ面をする。
「いや、自覚ないのかよ。お前は年齢だけ高校生、中身は小学生だろ」
「紡に言われたくないよーだ」
「何だと、こいつ!」
俺と航平が喧嘩ともじゃれ合いともつかない掴み合いを始めるのを、
「兄ちゃんと航平くんが一番子どもっぽい!」
と海翔に叱られ、俺たちはしゅんとなった。俺が子どもっぽい、かぁ。航平とじゃれ合う時もそうだし、今海翔と演劇部員と遊んだ時も俺は童心に返っていたんだよな。何もかも忘れて、遊びに夢中になる感じ。そういえば、俺は航平と何気なくじゃれ合っている時も同じ感覚だ。もしかして……。
「皆にちょっと聞きたいんですけど、俺が航平といる時って、俺、何歳くらいに見えてますか?」
俺がそう聞いてみると、海翔が
「確実に僕よりは年下だね。兄ちゃん、年上には見えないもん。五歳児ってとこじゃない?」
と生意気な返事をする。
「お、お前に言われたくないんだけど!」
「兄ちゃんの質問に答えてやっただけだよ」
海翔の減らず口に航平まで同調する。
「やっぱり、素の紡って子どもっぽいや」
「お前ら、覚えとけよ!」
俺は悔し紛れにそう叫んだ。いや、でも強ち間違いではないかもしれない。俺、航平と一緒にいるようになって、引き出されたのは航平への恋心だけではなかった。屈託がなく、自由奔放な航平に振り回されるうちに、俺は航平といると、その航平の屈託のなさに自然と影響されていることに気が付いた。
俺が幼かった頃、友達と遊んでいた時はどうだったっけ? 昼休みに皆で外に出てドッジボールをした時に、夢中でボールから逃げた思い出。夏休みのお泊り会で、肝試しに出た時に、本当にお化けが出ると信じて大泣きした思い出。友達とバカみたいに毎日笑って、時に喧嘩して、自分に素直に生きていたっけ。
その感覚を俺は航平と共に過ごすようになって取り戻したのだ。聖暁学園に入学してから、どんどん勉強に追われ、特進クラスで奏多に嫌われないように、俺はどんどん周囲に合わせて目立たないように、普通な一男子生徒になるように変化していった。俺が普通を意識するようになったのも、聖暁学園に入学してからだ。普通、普通と思う内に、自分の好きなことが何なのかも見失い、自分の心に正直に生きることもして来なかったんだ。
じゃあ、『再会』で俺の演じるアキはどうだ? 小学生の頃、アキはハルと何の気兼ねもない友達だった。でも、高校に上がるまでに母親を失い、片親であることをコンプレックスに感じるようになり、自分の殻に閉じ籠るようになったのだ。俺と状況は違うけれど、でも、自分の在り方が年を経るごとに変化した、その方向は殆ど同じなのではないか。俺は少し自分の演じる役が理解できた気がした。
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