第10場 大人の風格

 八月のじりじり照り付ける太陽の熱を溜め込んだ暑い体育館で走り回り、疲れ切った身体をゆっくりと風呂場で癒した俺は、ベッドに寝転がりながら、明日の稽古に向けて台本を読み返していた。


「部長さんってカッコいいね」


海翔が俺の隣にちょこんと座りながらポツリと呟いた。


「どうしたんだよ、急に」


「誰よりも優しくて、頼もしくて、カッコいいお兄ちゃんなんだなって思ったんだ」


「何だよ。だったら、俺だって優しくて頼もしい兄貴だろ?」


「はぁ? 部長さんと兄ちゃんを一緒にしないで!」


「何だと、この生意気小僧!」


「ベーだっ!」


しんみりしていたと思ったらすぐにコレだ。海翔は結局、俺からしてみればどんなに背伸びをしようが、生意気盛りの小憎らしい小学生だ。


 でも、海翔が部長に憧れるのも最もだ。海翔に気を取られて気がそぞろになっていた俺は、部長が気合を入れてくれたおかげで芝居に集中することが出来たのだ。海翔の屈託ない小学生らしい一面を引き出したのも部長だ。もっと遡れば、俺が航平と喧嘩をし、部活を辞めようとした時に、俺や航平を心配してわざわざ声をかけに来てくれたのも部長だった。人一倍気が利いて、他人の心の中を慮ることのできる人なんだよな。だから、立野燿平先輩は部長をやっているのだ。自分のことで既に手一杯な俺は、どんなに頑張っても部長のようにはなれないだろうな。


 子ども扱いされてご機嫌斜めだった海翔は、部長に俺たち演劇部員と「対等な立場」として扱われたのがよっぽど嬉しかったらしい。部長も海翔と同じ立場になり、一緒に幼稚園児の役を演じるということによって。自尊心が守られただけでなく、高校生の俺たちと同じ演劇部員になった気分を味わえた海翔は、そんな部長の気遣いを知ってか知らずか、部長にぞっこんになってしまっていた。それから寝るまでの間中、俺と航平はずっと部長についての話を海翔から聞かされ続けた。


「そんなに部長が好きだったら、今夜は部長の部屋に行って一緒に寝てみたら?」


だんだん海翔の部長談義に疲れて来た俺がそう海翔に提案してみた。部長に海翔を押し付けて、今夜は少しベッドのスペースを空ける作戦だ。だが、海翔は顔を赤くして首を横に振った。


「そ、そんなことしたら、部長さんに迷惑がかかるもん」


何だよ、海翔。俺にも普段からそのくらいの配慮を見せてもらいたいものだね。それに、部長には、聖暁学園演劇部にサッカークラブの合宿を抜け出して逃げて来た時点で既に迷惑かけまくりじゃないか。


 だが、いくら部長が好きになったとはいえ、夜はやっぱり兄貴である俺の隣がいいらしい。昨夜と同じく俺の布団に潜り込んで来て、俺に抱き着きながら安心したような寝顔を見せて小さな寝息を立て始めた。昨夜に違わず、もう片方にも航平が俺に抱き着きながら眠っている。今夜も寝不足になりそうだ。全く二人揃って世話の焼けるやつらだ。




 翌日の稽古で、俺は少しずつ、自分でもしっくり来る子ども役を演じる芝居のスタイルをつかんで行った。部長が海翔を昨日遊ばせたのは、海翔の小学生らしい姿を俺に見せて学ばせる、というよりも、俺の中にある「子どもらしい」一面を引き出してくれたのだということに俺は気が付いた。おまけに、アキの小学生時代と高校生時代の内面の変化まで深く考える機会を得た俺は、以前よりも、このアキという役をより理解出来た気がする。小学生としてのアキと高校生としてのアキの表現の違いを、何となく感覚で俺は会得していった。


「つむつむって、何だか海翔くんそっくりね」


俺の芝居を観ていた美琴ちゃんがクスクス笑った。


「確かに、やっぱり兄弟なんだなって思ったよ」


「声を高くしたら、まんま海翔くんだよね」


「言えてる」


部員たちも一斉に笑い出した。声の高さ以外は海翔とまんま同じだって⁉ 心外だ。俺と海翔は、


「どこがですか?」


「全然違うよ!」


と同時に叫んだ。どうやら海翔も、いつも「子どもっぽくて頼りない兄貴」である俺と一緒にされるのが心外らしい。生意気なやつめ。


「ほら、そうやって喧嘩しながらも気も合うだろ?」


兼好さんが大笑いしながらそんな俺たちを揶揄った。俺も海翔も顔を真っ赤にして俯いた。部長は「まぁまぁ」と俺たちを宥めながら、笑いを堪えている。だが、部長も


「でもやっぱり二人は似ているよ」


と言い出すので俺も海翔もいじけて膨れっ面をした。部長は苦笑いをしながら、


「いや、だって、素直じゃないけど、結構相手を思いやってる優しいところとかさ。それに、本当は思いっきりはっちゃけて遊びたいのに、プライドが邪魔してうまくそんな自分を出せない所とか、一回はっちゃけちゃうと、夢中になって走り回る可愛いところとか」


と続けた。俺は海翔と互いの顔を見合わせた。確かに、言われてみれば、俺も海翔も素直じゃない所は似ている。俺も海翔もいらない所でプライド高い。それに、昨日は俺も海翔もすっかり部長に乗せられるまま、羽目を外してじゃれ合っていたもんな。タガが外れると大体、俺たちはいつもそうだ。


 それでもやっぱり、俺と海翔が互いに似ているなんて認める訳ないじゃないか。俺は少なくとも、幼い頃はこんなに生意気な小学生ではなかったからな! それに、俺は海翔と違って、もう高校生だ。まだまだ子どもの海翔にはない、大人の男としての風格ってものがあるんだよ。そこを部長も美琴ちゃんも他の部員の皆もわかっていない。


「僕は兄ちゃんなんかと違うもん! 僕、こう見えてもサッカークラブでキャプテンなんだよ! 兄ちゃんみたいな運動音痴と違うからね」


海翔が一生懸命、自分の方が兄貴の俺よりも「上」だと部長に熱弁を振るっている。ムッとした俺は、負けじと海翔に言い返す。


「お前みたいに、夜、一人で寝られないなんてことは、俺が小六だった時にはもうなかったけどな」


「あ、兄ちゃん、その話バラすなんてずるい!」


「お前だって、俺が運動音痴なんて言う必要ないだろ!」


喧嘩を始める俺たちの間に美琴ちゃんが割って入った。


「はいはい。そういう喧嘩のレベルは二人共同じね」


美琴ちゃんに並んで叱られている俺と海翔を航平が腹を抱えて笑っている。いや、俺は認めないぞ。海翔より俺はずっと大人でカッコいい男なんだからな!

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