第8場 優しくも熱い部長

 これから暫くの間、海翔は俺たちと演劇部の活動に参加することになった訳だが、生憎しばらくは演劇部らしからぬ日曜大工の仕事が続く予定になっていた。ところが、


「折角、将来の演劇部員が来てくれているんだし、今日は大道具の制作はお休みにして、わたしたちのお芝居を観て貰いましょう」


という美琴ちゃんの鶴の一声で、俺たちは急遽通常の稽古をすることになった。しかし、俺は内心乗り気ではなかった。いくら何でも、航平とのラブシーンを海翔の前で演じるのは抵抗がある。しかも、海翔は体育館のステージの前の特等席ともいえる場所に鎮座し、俺たちの芝居を一心に眺めているのだ。俺は、どうしても海翔が気になり、芝居に集中出来ずにいた。


「つむつむ、手がもじもじしているわよ! 意味のない動きを芝居の中でするのはやめなさい。そういうあなたの手癖は劇中の人物と何の関係もないのよ」


「ほら、一体何処を見てセリフを言っているのよ。ここではね、アキはハルに真剣に向き合って話をしようと頑張っているのよ。目が泳いでいたら、そんなアキの繊細な恋心を描くこのシーンが台無しだわ」


「声が小さい! 本番ではホールの最後方の客席に座っているお客さんにまで声が届かないと意味ないでしょ。それに、実際はBGMも入るんだから、そんな声じゃ何言っているのかわからなくて、お客さんはポカーンとなるわよ!」


美琴ちゃんの手厳しいダメだしが飛んで来る。体育館のステージの上は相変わらず暑い。海翔の視線もどうしても気になるし、今日の俺の芝居は絶不調だ。


 一旦休憩に入ると、俺は冷たい水道水を頭から被った。もう嫌だ。芝居に集中出来ない。こんな絶不調なのは初めてだ。すると、海翔が俺の横に歩いて来て、


「なーんだ、兄ちゃん。全然演劇部員らしくないじゃん。演技も一番下手だし、何で兄ちゃんが主役やってるの?」


と生意気にもダメ出しをかまして来た。演劇なんてかじったこともない癖に一丁前なこと言いやがって。そもそも俺が調子を崩しているのは誰のせいだと思っているんだ。俺はムッとして思わず海翔に反論した。


「お前がじっと見ているからだよ。海翔に見られていると俺の調子が狂うんだ」


「そんなことではダメだよ」


と、そこに部長がやって来て俺たちの口喧嘩に口出しした。まさかの部長の登場に、俺は意表を突かれたが、部長にまで俺の芝居にダメ出しされたことに少し不貞腐れた。


「いつもだったら、もっとちゃんとやれるからいいんです」


俺がそう反論すると、部長は静かに言った。


「どんな調子のいい時でも悪い時でも、全力で芝居をする。俺たちは同じ演目を何度も演るから一回くらい失敗してもいいと思うかもしれないけど、その時観に来るお客さんにとって、俺たちの芝居を観るのは大抵その一回しかないんだ。そこで半端な芝居をして、ガッカリされたら悔しいだろ? 雨が降ろうが雪が降ろうが、客席にどんな客がいようが、俺たちは毎回全力をぶつけて最善のものを見せなきゃいけない。だから、海翔くんが観ていようが観ていまいが、つむつむのやるべきことはただ一つ。今この瞬間を一生懸命全力で生きること。それだけなんだよ」


 俺は部長の説教に対してそれ以上何も反論することが出来なかった。部長の言っていることは至極真っ当だ。弟が来ているくらいで芝居の調子を落として折角の稽古の時間を無駄にしていてはダメじゃないか。


「せっかく海翔くんが観てくれているんだ。一番いい芝居を見せてあげようよ。折角、俺たち演劇部に興味を持ってくれたんだ。最高じゃないか。ずっと海翔くんは真剣に俺たちの芝居を観てくれていたよ? 海翔くんは冷やかしに来ている訳じゃないだろ? そんな海翔くんに、今俺たちが出来る最高のモノを見せようよ。な?」


「はい……」


俺は素直に頷いた。


 いつも冷静沈着な部長のこんな熱血な部分を俺は初めて見た。熱血だけど、俺を必要以上に落とすこともせず、逆に俺のやる気を掻き立ててくれる。何だかカッコイイな。俺は少し胸がドキドキした。見ると、海翔も何やら熱っぽい視線を部長に向けている。部長の熱にでも当てられたのか。すぐに影響されるんだから。俺は苦笑いしつつも、気持ちを入れ替えて芝居に集中することにした。


 芝居の稽古が再開されると、俺は心機一転、自分の芝居に集中した。アキとハルのラブシーンも、俺は海翔が観ているという状況に臆することなく、航平を一心に見つめ、そっと抱き寄せ、その唇にキスをする。


「いいじゃん。やっぱり、二人は付き合っているだけあって、キスシーンは息ぴったりね」


美琴ちゃんは喜んでいる。何とか次第点は出せたようだ。


 だが、それで稽古が終わる程美琴ちゃんは甘くない。美琴ちゃんは容赦なく、すぐに別のシーンのダメ出しを入れる。他でもない、アキとハルが子ども時代に遊んだ記憶を回想するシーンだ。海翔の騒動に巻き込まれるままに、俺は「子どもの演技」について考える時間を全く失ってしまっていた。


「やっぱり、つむつむの子ども役は不自然ね。うーん。どこかに参考になるモデルでもいたらいいんだけど……」


そう言いかけた美琴ちゃんは思いついたように片手の拳でもう片方の手のひらをポンと叩くと、


「丁度いいモデルがいるじゃない」


と嬉しそうに叫んで海翔に目線を向けた。いきなり演劇部員全員から注目を集めた海翔はポカンと口を開けている。とうとう海翔にも美琴ちゃんの暴走の被害が及ぶことになりそうだ。でも、これは海翔の責任なんだぞ。美琴ちゃんに気を許した瞬間、俺たちは即、美琴ワールドに強制的に連れ込まれることになるのだ。不用心に聖暁学園演劇部を訪れたのが運の尽きだ。観念しろよ、海翔。

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