第7場 彼氏と弟とサンドイッチ

 やっとトイレを済ませた海翔は、大便をしたという恥ずかしさに顔を赤らめながら、俺と目を合わせようともせずに手をゴシゴシ洗っている。そういえば、小学生の頃、学校で大便をした児童は友達に囃し立てられていたんだよな。海翔も学校ではそんな感じなんだろうな。そんな海翔の様子を見ていると、小学校の頃が何とも懐かしく感じられる。


 手を洗い終わると、暗い廊下を一人で歩くのは怖いのか、海翔は俺の腕に再びしがみついた。


「さ、戻るぞ」


俺は海翔と一緒に部屋に向かって歩き出した。真っ暗な廊下に、海翔の俺にしがみつく力が強くなる。こんなに海翔は怖がりだったんだなぁ。いや、俺もお化けは苦手だけど、流石に夜トイレに一人で行くことくらいは平気だ。それだけで、いつもは生意気なセリフを言われっ放しの俺が海翔に一矢報いたような気分がして、俺は暗闇に紛れてほくそ笑んだ。


 部屋に戻ると、航平は相変わらずよく眠っている。流石に、航平のベッドで三人一緒に寝るのはしんどい。俺は自分のベッドの中に海翔を寝かせると、俺も海翔の隣で布団にくるまった。


「航平くん、一人にしちゃって大丈夫なの?」


海翔が心配そうに尋ねた。どうやら、航平も海翔と同じ様に一人で寝るのが怖いのではないかと心配しているらしい。


「大丈夫だよ。だって、航平はもう高校生だぜ?」


「そっか。なら良かった」


すると、海翔は俺に再びギュッと抱き着いて来た。


「ねぇ、兄ちゃん」


「うん? 何だ?」


「兄ちゃんはさ、の人生を送りたいってずっと言ってたじゃん? それは今も変わってないの?」


「そうだなぁ。少しは変わったかも」


「どんな風に?」


「うーん、航平と一緒にこれからも暮らして行きたいって思う程度には、かな」


「ふうん……。兄ちゃんも変わったんだね」


「まあな」


「あのね、僕、本当はもうずっと前から自分が男の人が好きなこと、わかっていたんだ。クラスの男子の友達が裸になるのが気になるのも、そういうことなんだって薄々わかっていた。


 でも、そんなの変じゃん。だって、父さんと母さんだって男と女だから結婚したんだし、学校でも男の先生と女の先生が付き合ってるって噂になったりするしさ。それがどういうことなのか、今まではよくわかってなかったけど、最近ちょっとわかった気がするんだ。だから、僕が男の子に持ってる感情っておかしいんだなって思った。


 でも、そんなこと考えるとやっぱり怖くてさ。あまり認めたくなかった。でも、今日、部長さんや美琴ちゃんに話を聞いて貰って、少しだけ僕ってこのままでも大丈夫なのかなって安心したんだ。


 兄ちゃんも僕と同じで怖かったりした? だから、今まで航平くんと付き合っていることを隠していたの?」


海翔のやつ、いつの間にこんなませたことを考えるようになっていたんだろう。海翔の言っていることは全部当たっている。俺も航平を好きな自分を認めるのが怖かった。のレールを踏み外すことになることが怖くて、航平を傷つけたんだった。


「ねぇ、兄ちゃん。僕、別に兄ちゃんが特進クラスじゃないからって笑ったりしないよ。生きてるとさ、思っているようにいかなくなることもあるんだな、って僕わかったから。もし兄ちゃんが兄ちゃんの思うじゃなくなっても、僕は別に兄ちゃんのこと嫌いになったりしないよ。それに、兄ちゃんが演劇部でとても楽しそうにしているのを見て、僕、兄ちゃんが中学生だった時より生き生きして見えたよ。今の兄ちゃん、僕、悪くないと思う。兄ちゃんはさ、兄ちゃんらしくしていてくれればいいよ。じゃあ、おやすみ!」


海翔は呆気に取られる俺に一方的にそう告げると、俺にしがみついたまま寝息を立て始めた。海翔に一本取られたな、俺。海翔は俺が思っているよりずっと大人じゃないか。ゴールデンウイークの時は「拒絶したりしない?」と不安がっていた海翔が、自分からどんな俺でも受け入れる、などと言い出すとはね。成長しているんだな、海翔も。子どもらしい一面を見せたかと思うと、急に大人びたことを言い出したり。敵わないよ、こいつには。俺は海翔の体温をそばに感じながら、目を瞑った。




 だが、感傷に浸っているのもこの時までだった。翌朝、俺は再び異様な暑さと息苦しさで目を覚ました。すると、俺を挟んで、一方に海翔、そしてもう一方には航平が、両側から俺にひっついて寝ていたのだ。いつの間に航平まで俺のベッドに入って来たんだろう。俺は海翔がこっちにいる間中、こいつらに挟まれながら寝ないといけないのか。一晩寝て回復しているはずの体力は、二人にすっかり奪われてしまい、むしろマイナスだ。


「航平! 何でお前までこっちのベッドで寝ているんだよ!」


俺が航平を叩き起こすと、航平は目を擦りながら大きな欠伸をした。


「紡、起きるの早過ぎ。もうちょっと寝かせてよ。紡と海翔くんと三人で寝るには紡のベッドが狭くて、僕、よく寝られていないんだから」


「いや、だったら何で俺のベッドで寝るんだよ」


「だって、いつの間にか紡が僕のベッドからいなくなっているんだもん。探したら海翔くんと抱き合って寝てるしさ。僕より海翔くんと一緒に寝ていたいんだね、紡は」


航平は膨れっ面をする。昨日、海翔が航平を一人にしたら淋しがるんじゃないかと心配していたが、本当にそうなるとはな。俺は溜め息をついた。


「仕方ないだろ。海翔は小学生だし、夜一人で寝るのが不安だったらしいんだよ。だから、海翔と一緒に寝てやることにしたんだ。航平は俺といつも一緒に寝ているんだから、今回くらい我慢してくれよ」


「僕だって、目が覚めたら紡がいなくなっていて淋しかったよ。それに海翔くんと一緒に寝ていて、何か、僕、紡を海翔くんに盗られた気がした」


「何言ってるんだよ、お前は。海翔は俺の弟で、お前は俺の彼氏だろ。そもそもの立場が違うんだから、そこんとこもうちょっと弁えてだな……」


「わあ! 紡が僕のこと彼氏って言ってくれた! なかなかいつも恥ずかしがって口に出して言ってくれないのにね」


「お、おい。俺はそういうつもりじゃ……」


「やっぱり、紡のこと好き! じゃあ、これからお盆休みまで三人で一緒に寝ようね!」


片方で疲れたなどと言いつつ元気にはしゃぐ航平と、もう片方で未だに呑気な寝顔を晒してぐっすり眠っている海翔。自由気ままな子ども二人を、俺は忌々しく眺めていた。俺はいつベビーシッターに転身したのだろう。二人の子守をさせられるのはこれを最後にしてもらいたい。俺の体力がもたん。今日もこれから部活だというのに、どうしてくれるんだよ、一体。

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