第6場 大人で子どもな弟海翔

 小学生が、いきなり高校生の寮に入って生活を共にする。どう考えても、すぐにうまく馴染めず、帰るとごね始めるだろうと期待していた俺だったが、海翔は我が物顔で高校生たちに混じって寮生活を開始した。とはいえ、今は夏休みで、寮の中はガラガラなのだが。それでも、いきなり入って来た小学生に残っていた寮生たちは嫌でも目を引かれる。海翔は注目の的だった。ところが、人当たりもよく、機転も人一倍利く海翔は、すぐに高校生たちに可愛がられ、まるでずっと以前からこの場所に住んでいたかのように馴染んでいた。


「一ノ瀬よりずっと大人なんじゃねえの?」


「いいじゃん。ずっと俺たちだけの生活だと飽きるしさ」


「一ノ瀬の弟にしては、素直でいい子だよなぁ」


寮生たちは口々に海翔を褒め称えるのだが、これ、遠回しに俺の悪口言ってるよな。ったく、何だって俺が海翔より子どもっぽくて捻くれた情けない兄貴ポジションに認定されなきゃいけないんだ。心外だ。


 だが、海翔は勝手気ままに高校の寮生活を楽しんでいる。食堂でもお代わりまでする程食欲は旺盛だし、風呂に入ると、誰も他に入っていないのをいいことに、浴槽で盛大に水飛沫を上げながら泳いでみたり、最終的には航平とお湯を掛け合って水遊びを始める始末だ。ただでさえ、航平がいつもこんな調子で苦労している俺なのに、二人分のの相手に追われる俺の苦労も、少しは他の寮生たちに理解して貰いたいものだ。


 ようやく就寝時刻になる頃には、俺は普段の倍は疲れ切っていた。こういう時は、自分のベッドで一人で寝たいのだが、今日から暫くは海翔のために疲れていようがいまいが、航平のベッドで寝なくてはならない。何重にも不自由な生活だ。


 寝る前のトイレを済ませ、欠伸をしながら部屋へ戻ると、海翔は航平の服を貸して貰い、二人で仲良くベッドの上に座って話し込んでいた。航平は高校生のくせに、貸した服がダボダボになることもなく、海翔の体型に馴染んでしまっている。航平のやつ、そんなに小さかったんだな。そう思うと、何だか可愛くて思わず笑みが零れた。


「あ、紡が一人でぐふぐふ笑ってる。変なの!」


航平がそんな俺の様子に目ざとく気付く。


「兄ちゃん、家でもいっつもこうなんだ」


「本当、面白いよね」


「うん」


生意気な二人が俺を見てクスクス笑い合っている。


「はいはい、面白い、面白い。取り敢えず、お前ら二人共もう寝ろ。俺は疲れているんだ」


俺はもう怒る気力もない。


「えー? もうちょっと話していたいよ」


「まだ眠くないよ」


ブツクサ文句を垂れる二人に構わず、俺は電気を消した。


「はい、おやすみー!」


俺は航平のベッドの中に身体を滑り込ませた。


「仕方ないなぁ」


航平も俺の隣に横になると、俺にギュッと抱き着いた。


「紡、好き」


「うん。わかってる。わかってるから、早く寝てくれ。俺はもう眠い」


「もう、つれないなぁ。お休みのチューしよ」


「海翔の前でそんなことする訳ないだろ」


「いいじゃん。部屋の中真っ暗なんだしさ」


「ったく、仕方ないな。一回だけだぞ」


俺は航平の唇にそっとキスをした。


「これで、満足か?」


「えへへ、紡も本当は僕とキスしてから寝たかった癖に」


「う、うるさい。俺はもう寝る。お休み。海翔も早く寝ろよ。もうお前がいつも寝る時間なんだからな」


俺はそう言うと、目を閉じた。


 どれくらい寝ただろうか。暑い。暑すぎて汗だくだ。しかも身体が重くて仕方がない。俺は思わず目を覚ました。すると、片方から航平、もう片方から海翔が俺に抱き着いて寝ていることがわかった。美琴ちゃんは航平と俺にベッドをシェアしろと言ったけど、三人まとめて一つのベッドで寝ろとは言ってないぞ。


 俺はあまりの暑さに航平のベッドから逃げ出そうとすると、海翔が俺の身体をギュッと強く抱きしめて、俺が出て行こうとするのを止めた。


「海翔、起きてるのか?」


俺が小声で海翔に問いかける。すると、海翔がぐすんぐすんと鼻を啜り上げる声が聞こえて来た。


「お前、泣いてるのか?」


海翔は俺に顔を埋めたまま、小さな泣き声を漏らした。俺のパジャマに海翔の涙が浸透していく。


「どうしたんだよ。もういい時間なんだぞ。何でこんな時間まで起きて泣いてるんだ」


「……だって、だって、淋しかったんだもん」


海翔が泣きながら答えた。


「はぁ? だって、お前、いつも家では一人で寝てるだろ?」


すると、海翔は首を横に振った。


「兄ちゃんには言ってなかったけど、僕、夜はいつも父さんと母さんの部屋で寝ているんだ」


俺は驚いた。海翔のやつは、小学校低学年の頃には既に、自分の部屋で寝るようになったと思っていた。ある時、枕を持った海翔が俺の部屋を訪ねて来て、「今日から一人で寝る!」と宣言したのを思い出す。それ以来、海翔は一人で自分の部屋で寝ているものだとばかり思っていたのだ。


「それに、この部屋には豆電球もないし、真っ暗で怖いよ」


俺は思わず吹き出しそうになった。海翔のやつ、いつも生意気ばかり言って、やけに大人ぶっていた癖に、実はこんなに甘えん坊でまだ子どもだったんだな。偉そうな口ばかりきいて来る海翔に、毎度毎度俺はまともに腹を立てていたが、実はまだまだ子どもな海翔が俺にじゃれついていただけなんだ。大人っぽい部分も、もう子どもに見られたくないというプライドから、無駄に背伸びしていたのかもしれないな。そう思うと、海翔が急に可愛く思えて来た。


 俺は海翔の頭を優しく撫でると、


「ちょっと待ってろ」


と言い、部屋のブラインドを少し開けた。すると、外の街灯の光が部屋の中に差し込んで来た。


「これなら少し明るくて安心できるだろ?」


海翔は恥ずかしそうに、涙に濡れた目をゴシゴシこすりながら頷いた。そして、俺の方へ歩いて来ると、パジャマの裾をギュッと引っ張った。


「ん? どうしたんだよ?」


「今日は……兄ちゃんに迷惑かけちゃって、ごめん」


「は? どうしたんだよ、いきなり」


「何でもない。でも、兄ちゃんにいろいろ面倒かけちゃったから」


決まりの悪そうな海翔は俺とは目を合わせようとはしないが、俺のそばにぴったりくついている。


「それに、僕のこと、助けてくれてありがとう」


俺はそんな殊勝なことを言い出す海翔を初めて見た。俺に「ありがとう」だの「ごめん」だの、そんなセリフを素直に伝えて来たことなど、今まで一度もなかった癖に。今夜の海翔は素直で可愛くて、いつもこんな風なやつだったら俺ももっと可愛がってやるのに。


 ふと海翔の方に顔を向けると、何やらもじもじしている。


「海翔、トイレ大丈夫か? 小便したくなったら、いつでも言えよ」


「ううん……大丈夫。だけど……」


「だけど?」


「トイレ、ついて来て」


全然大丈夫じゃねえじゃん。俺は仕方なく、海翔の手を引いてトイレまで連れて行った。すると、海翔は、


「ここから絶対動かないでね」


と言うなり、個室に飛び込んだ。何だ。大の方だったのかよ。俺は恥ずかしそうにしている海翔が何だか可笑しくて笑いを噛み殺していた。


「兄ちゃん、そこにいる?」


と、海翔は何度も俺に個室の中から声をかけて来る。


「いるよ。大丈夫だから安心してさっさとうんこしとけ」


「う、五月蠅い!」


海翔は個室の中で顔をすっかり赤くしているのだろう。面白いやつ。俺は声を押し殺して、海翔にバレないように笑った。

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