第5場 弟に駄々洩れな兄の隠し事
「兄ちゃん、男の子が好きってどういうこと?」
美琴ちゃんが電話をしている間、海翔が俺につぶらな瞳を真っ直ぐ向けてそう聞いて来た。いつも生意気な弟だと思っていた海翔に、そんな純な目を向けて尋ねられると、俺は
「つまり、僕と海翔くんとお兄ちゃんは同じ感覚を持ってるってことだね」
答えられずに口ごもっている俺の代わりに、航平が海翔にそう答えた。
「同じ感覚?」
「うん。ああ、僕、自己紹介するの、忘れていたね。僕は稲沢航平。お兄ちゃんと寮のルームメイトであり、部活の仲間であり、クラスメートでもあるんだ。でも、一番大切なことは、僕がお兄ちゃんの彼氏だってこと」
「へぇ。兄ちゃんと何でも一緒なんだね」
「うん。紡とはずっと一緒にいるんだ」
「じゃあ、頭もいいんだね」
「僕が? うーん、勉強はそんなに出来ないけどね」
「え? でも、クラスメートってことは、兄ちゃんと同じクラスなんでしょ? 特進クラスにいるんじゃないの?」
「まさか! 紡は高等部に上がってからずっと普通クラスだよ。高等部に進級するのと同時に特進クラスから移動になったんだ。だよね、紡?」
俺は「しまった」と思った。俺が普通クラスに降格したことを、まだ家族の誰も知らないのだ。更に、演劇部に入ったことも、誰にも言っていない。今日一日で海翔にいろんなことがバレ過ぎだ。海翔にこれ以上舐められないように、特進クラスの出来る兄貴でいたかった俺の見栄はあっさりと崩れ去っていった。
「兄ちゃん?」
海翔が責めるように俺を睨む。
「い、いや。だって、別にそんなことお前に言う必要なんかないと思ってさ……」
「何だよ、兄ちゃん。ゴールデンウイークの時は特進クラスで上手くいってるなんて言っちゃってさ。兄ちゃんの見栄っ張り!」
もう終わりだ。海翔に対する俺の「年齢」以外の優位性は全て無に帰してしまった。
「へぇ。紡、そんな見栄張ってたんだ。でも、紡らしいや。そうやってしょうもない見栄張っちゃたりしてさ。どうせ、兄ちゃんだからって海翔くんに偉ぶりたかっただけでしょ?」
航平の推測は図星だ。俺のちんけな兄貴としてのプライド故のちんけな嘘だ。
「そ、そんなことねえよ。それに、海翔の前で変なこと言うなよ!」
「ごめんね、海翔くん。紡はね、プライドだけは人一倍高いんだ。だから、普通クラスに落ちたことがそれだけショックだったんだよ。だけどね、今の紡は演劇部でとっても輝いているんだよ。僕たち楽しくやっているんだ。だから、あまり紡のこと責めないであげて? 紡、硝子のハートの持ち主だから、すぐ落ち込んじゃうんだ」
航平の減らず口は一向に止まらない。そんな航平に海翔はクスクス笑い出した。
「確かに兄ちゃんらしいや。うん。あんまり兄ちゃんのこと責めたら、兄ちゃん泣いちゃうからもう僕もいろいろ言わない。だって、弟に泣かされた、なんていったら、兄ちゃんそれだけで後々面倒くさくなるからさ」
「か、海翔! 俺は海翔に泣かされたことなんか一度もないぞ!」
「嘘だぁ! 兄ちゃんが中一の夏休み、僕が友達に借りて来た映画を勝手に観ていて、僕に見つかりそうになった時に、兄ちゃん慌ててDVD隠そうとして踏んずけて割っちゃったじゃん。弁償してって僕が怒ったら、お金ないから出来ないって言って来てさ。だったらお父さんに言いつけてやるって言ったら、それだけは勘弁してくれって泣いたじゃん。もう中学生だったのに、涙ボロボロ零しちゃってさ」
「あ、あれは……俺がまだ子どもだったっていうか……」
「今でも大して変わってないでしょ!」
どこまでも生意気な弟だ。確かに、俺が海翔の借りて来た映画のDVDを誤って割ってしまったのは事実だし、そのせいで海翔と大喧嘩になったのも事実だ。海翔に親や教師に言いつけると脅されて、思わず泣いたのも……嘘じゃない。だけど、そんな昔の俺の恥ずかしい話を航平の前でわざわざしなくてもいいじゃないか。案の定、航平はそんな俺の恥ずかしいエピソードを聞いて、すっかり喜んでいる。
「へぇ。やっぱり紡ってどこか子どもっぽいと思っていたけど、家でもそうだったんだね。これじゃ、どっちがお兄ちゃんなのかわからなくなって来ちゃうね」
「ね、ね? 航平くんもそう思うでしょ?」
航平と海翔は妙に意気投合するのだった。そういえば、何処となくこの二人は似ている気がしていたんだ。そうか。その似ている点とは、この生意気さだ。海翔に負けず劣らず航平も生意気盛りなのだ。
「お、お前らに子ども扱いされる程、俺は子どもじゃねえよ!」
俺が二人に怒鳴った時、美琴ちゃんが受話器を置いた。
「つむつむ、電話している時に大きな声出して兄弟喧嘩なんかしないでちょうだい! サッカークラブの監督さん、兄弟喧嘩するくらい元気で良かったですって笑っていたわよ」
俺の声が先方に駄々洩れだったなんて……。俺は真っ赤になった。
「す、すみません」
「全くもう。人が電話をしている時くらい、静かにしていなさい」
美琴ちゃんは俺の頭をコツンと拳で軽く叩いた。
「さてと、つむつむの親御さんとも話したんだけどね、海翔くんを暫くうちで預かることにしたの」
「へ?」
「海翔くんがお兄さんを訪ねて来た理由は、大体わかっているわ。こうちゃんが中等部の時にわたしたちの門を叩いた時と同じような理由でしょ?」
航平がコクリと頷く。航平が演劇部を訪れた過去に何があったのだろう。俺は少し気になったが、美琴ちゃんは続けて海翔に、
「それに、つむつむを海翔くんは誰よりも信頼しているからこそ、こんな遠い所までやって来たんじゃない?」
と問いかけた。俺が海翔の顔を見やると、海翔はすっかり顔を赤くして照れ臭そうにもじもじしている。海翔……。さっきまでの海翔への怒りはそんな海翔の様子を見た途端、一気に鳴りを潜めてしまった。何だよ、お前にもこんなに可愛いところがあるんじゃないか……。いや、別に俺は憎たらしい弟のお前なんかに「可愛い」なんて思ったりしないからな。
「だから、少しじっくりと兄弟で話をしてみるといいわ。演劇部に興味があるなら、活動にも参加してごらんなさい」
「ちょ、ちょっと待ってください。暫く置いておく、なんてご飯や風呂や寝る場所はどうするんですか?」
「それなら、寮母さんにも連絡を取った所だから。給食を追加で一食分出すくらい、何てことないそうよ。お風呂もお兄さんと一緒に入ればいいって。それから、夜はどうせ恋人同士なんだから、つむつむはこうちゃんと一緒に寝るでしょ? だったら、ベッドが一つ空くじゃないの」
俺と航平の夜事情まで美琴ちゃんは容赦せず口にする。小学生の前で、しかも弟の前でそんなことを暴露された俺は真っ赤になって叫んだ。
「そ、そんな、変なこと言わないでくださいよ!」
「いいじゃん、いいじゃん。だって、いつも一緒に寝ているのは本当のことなんだしさ。紡、いつも僕のベッドで寝ているから、紡のベッドは殆ど使っていないでしょ?」
「こ、航平!」
「ってことで、しばらくこっちでゆっくりして行きなさい。もうすぐお盆休みになるから、演劇部がお休みになったら、お兄さんと一緒に帰ればいいわ」
と美琴ちゃんから暫く聖暁学園で俺と過ごすことを許可された海翔は、飛び上がって喜んだ。
「わーい! やったぁ!」
はぁ……。また俺の心労が一つ増えそうだ。
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