第2場 俺は被害者?
希のあまりに衝撃的な話に俺の喉はカラカラに乾いていた。
「……何で、希はそんなに俺たちのことに詳しいんだ?」
俺は枯れた声で希に尋ねた。
「俺、中等部に入学して初めて高等部の文化祭で演劇部の上演を観た時に、演劇部がBLを毎年大会で上演していることを知ったんだ。それから、ずっとそんなふざけた演劇を続けている演劇部に一矢報いてやろうと思って、ずっと観察して来たんだよ」
希の声が冷たく響く。
「でも、どうやって演劇部を潰そうって言うんだよ?」
「そんなの簡単だよ。今度の自主公演で、俺は主役をドタキャンする。もちろん、先輩も一緒にな。先輩知ってる? 今の演劇部の部長の立野が付き合っていた彼氏が、立野にキモいと罵られて中部大会を前に退部した事件。立野もバカだよなぁ。周りに乗せられて、好きでもない男と付き合ったりしてさ。何だって、俺たちのような地獄の世界に自分から足を踏み入れようとしたのか、あいつの頭の中は理解出来ないね。
まぁ、兎に角、立野のせいで、その彼氏は演劇部を電撃退部した訳だ。その時はまだ中部大会まで一か月時間があったから、彼氏のセリフを補って、台本を創り直すことが出来た。でも、直前ならどうだ? もう、どうしようもないだろ? チケットも販売してしまっている。客も集まって来ている時に、ドタキャンすれば、演劇部の評判は地に堕ちる」
「そ、そんな……。でも、俺たちがドタキャンしたら、結局責任は俺たちのものになるんじゃ……」
「そこであんたが告発してやるんだよ。無理矢理に演劇部に連れ込まれ、強制的に男同士のラブストーリーを演じさせられて傷つきましたってな。そうすれば、演劇部もおしまいだ」
俺は何も答えられずに、ただ震えていた。
「ま、すぐに答えを出せとは言わない。よく考えておいてよ。演劇部にとってはあんたはもう使い捨てかもしれないけど、俺にとってあんたの利用価値はあの部活の部員の誰よりも大きいんだぜ」
希はそう言って俺にニッと笑いかけた。
俺はフラフラと希の部屋を出ると、自分の部屋までよろけながら歩いて行き、ベッドの上に倒れ込んだ。俺の利用価値は演劇部にはない。そう希は言っていた。確かに俺の思っている通りだ。俺には舞台を一度横切るだけの通行人の役しか与えられていない。俺は自分の扱いを屈辱的だとさえ思った。全国大会に出るということさえ、もうどうでも良くなっていた。
それに、希が演劇部が演るBLと相容れない感情を持ち合わせていることに、俺は何ら悪い感情は持たなかった。それどころか、希がBLを憎む訳に耳を傾けてみると、それは最もな理由に思えた。BLは所詮作り物。腐女子を妄想させて喜ばせるだけのファンタジー。現実に生きている俺たちをBL作品は見ている訳じゃない。それゆえ、腐女子の姉貴から「キモい」などと言われて笑い者にされれば、BLそのものを嫌悪するようになっても仕方がないだろう。
俺だって、考えてみれば、美琴ちゃんにいいように利用され、「萌え」の道具のように扱われて来た気がする。いや、実際にそうだ。残念なイケメンなどとふざけて呼ばれたのも、航平と二人でBLドラマCDを聴かされたのも、美琴ちゃんの趣味に付き合わされたから。だが、俺はひたすら演劇部の「被害者」だったのだろうか?
希は俺が航平に振り回され続けたのを恨めという趣旨のことを言った。なるほど。俺は今までの一年間、ずっと天真爛漫で自由奔放な航平に振り回されて来た。だが、俺は航平のことを本気で愛している。希の言うような腐女子に媚びを売るだけの最低なやつだって? まさか、そんな訳ないじゃないか。俺は、演劇部をもし辞めたとしたって、航平の彼氏であり続けるつもりだ。
「紡、帰っていたんだ。遅かったじゃん。何処で何してたの? 心配したんだよ?」
そこに、いつものように騒々しく航平が帰って来た。俺は航平の姿をこの目に留めた。可愛くて、愛しくて、大切なやつがそこに立っている。その瞬間、俺は訳もわからずに航平を抱き締めて堰を切ったように泣き出した。
「ちょ、ちょっとちょっと。紡ったら、どうしたの?」
航平はドギマギした声を上げながらも、泣いている俺をギュッと抱き締めた。航平の体温を直接感じている内に、航平に俺の黒い感情を全て吐きだしてしまいたいという欲求が生まれた。その結果、分かり合えないかもしれない。でも、航平には俺の気持ちを包み隠さず知っていて欲しい。
俺は、演劇部の自主公演の配役でショックを受けたこと、演劇部に見捨てられたような気がしていること、部活に通うことが心折れそうになっていることを全て正直に白状した。俺は子どものようにしゃくり上げながら、
「ごめん。こんな気持ち、本当は持ったらいけないのはわかってる。でも、俺、もう演劇部に必要とされていないんじゃないかと思って、嫌になってたんだ」
と言って涙をボロボロ零した。すると、航平は俺をベッドの上に押し倒した。そして、俺の唇を奪うと、俺の隣にドサッと横になった。
「わかるよ、紡。その気持ち。僕もただの通行人の役になったこと、本当はショックだったんだ。何か新入部員の皆、芝居上手いしさ。僕なんか、もう用無しになるのかもしれないってちょっとは考えちゃうよ」
その航平の言葉に俺は驚いた。航平のやつ、役を貰えただけでも有難いって俺に言っていたじゃないか。何だよ。ただの強がりだったのか。
「でも、お前は舞台監督の役目がある。俺にはそういった裏方の役目さえ何も与えられていないんだ」
「本当にそう思ってる? ブタカンの仕事、うちの演劇部には殆どないじゃん。キャストを含めた皆で裏方も兼任しているから、大道具や小道具は皆で準備するじゃん? だから、演出と裏方との橋渡し役なんて、歴代のブタカンさんがしてるの見たことないし。本番の会場での打ち合わせだって、美琴ちゃんが殆ど仕切っているから、そこでもブタカンの出番なし。唯一の仕事は稽古の最初に手をパンパン叩いて指示出しすることと、緞帳の開け閉めの指示くらいのものじゃん」
「そういえば、『再会』の稽古の時、兼好さんも普段は手持ち無沙汰にしていたもんな……」
俺がそう言うと、航平は更に俺が思ってもなかったことを言い出した。
「ねぇ、紡。もし、演劇部辞めたいと思うなら、僕、止めないよ。紡がそんなに辛い思いをしているのに、僕は無理矢理引き止めたりはしない。好きにしてもいいんだよ。紡が辞めるなら、僕も辞める。別に、今僕と紡が辞めても、全国大会にはきっと代役を立てるだろうし。きっと新入部員の二人が僕たちの後を継いでくれるよ」
「いや、きっと新入部員のあいつは……」
「あいつ?」
俺はどうしようか迷ったが、ここまで話したのだ。航平は俺の気持ちを今一番寄り添って理解してくれている。俺は希の話も全て航平に打ち明けた。
「へぇ。のむのむがそんなことをね……。僕が腐女子に媚びてる最低男か。言ってくれるね」
航平はさも楽しそうに笑った。
「でも、確かにのむのむの言っていること、僕もわからないでもないよ。で、紡はどうするの? のむのむに協力する訳?」
「わかんない。でも、あいつの気持ちはわかる。だから、あいつを全否定することはしたくない」
「そうだね。僕はもう少し時間が欲しいな。でも、演劇部を潰そうとは流石に思わないかな」
航平は苦笑いしながらそう言った。
「そうだな。俺ももう少しいろいろ考えたい」
俺はそう答えると、航平と抱き合って目を閉じた。
俺は航平のおかげか、大分気分が落ち着いて来た。演劇部のことも、希のことも、またゆっくり考えればいいや。今日は何だか一日でドッと疲れてしまった。今夜はこのまま航平を抱き締めながらゆっくり眠りたい。俺は航平の温もりを全身に感じながら目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます