第7場 大一番は文化祭で

 俺と漣との間に吹く隙間風など何も関係ないかのように、特進クラスの演劇はどんどんレベルアップしていった。特進クラスの雰囲気は未だかつてないほどに活気にあふれていた。中等部の頃は、全員勉強だけしているような物静かなクラスだったのに、今や笑い声が廊下に響き渡っている。特進クラスから響くその賑やかな笑い声に、思わず教師が驚いて顔を覗かせることもしばしばだ。


 奏多は演出家としてここ数週間ですっかり様になり、俺も航平もほぼ口出しする所はなくなった。二学期に入ってからずっと演劇部で過ごして来ただけある。美琴ちゃんが演技指導でいつも口にしている内容を、奏多は完璧に覚えており、クラス演劇の演技指導にもちゃっかり活かしている。さすが、学年トップの成績を誇る秀才だけある。


 芝居をしているうちに、ずっと固くなっていた漣の表情も少しずつ豊かになって来た。俺との喧嘩以来、ずっと一人の殻に閉じこもっていたのが、奏多と笑い合う姿も見せるようになっていた。相変わらず俺とは口をきいてくれないままではあったが。


 一方の演劇部でも、文化祭の上演に向けた準備は万端だ。県大会で露呈した稽古不足・調整不足も大分解消され、自信を持って舞台に立てるくらいには俺たちもレベルアップしていた。だが、どうも文化祭の本番が近づくに連れて、西園寺さんと兼好さんはどんどん口数が少なくなっていった。俺たちは、また、県大会の前のように二人が喧嘩でもしたのかと心配したが、どうやらそういう訳でもないらしい。ただ、どちらからともなく、目が合うと慌てて目線を逸らせている。


「困ったなぁ。せっかく、皆の調子も上がり調子なのに、また県大会の前みたいなことになったら。中部大会も近いのに」


部長はそう言ってヤキモキしている。ただ、今回は美琴ちゃんは至って冷静だった。それどころか、ニコニコしながら二人の様子を眺めている。


「あの二人、心配じゃないんですか?」


俺が思わずそんな美琴ちゃんに尋ねると、美琴ちゃんは「まさか」といった反応を返した。


「いい具合に青春してるじゃない? こういう青春の悩み多き日々が、芝居に彩りを添えるものなのよ」


「はぁ」


「兼好も西園寺も去年からこうしておけば、去年も全国大会に行けたかもしれないのにね」


「どういうことですか?」


「つむつむとこうちゃんが揃うまで、兼好と西園寺が史上最高の逸材だったのよ。でも、いくら史上最高の逸材が揃ったとしても、心身共にベストな状態じゃないと、なかなか思ったような結果は出ないものね。去年はそれ以外にもいろいろな事情があって、全体的にうまく回っていかなかった。でも、今年は更にあの二人を超えるベストカップルがいる。史上最高の逸材と、史上二番目の逸材が揃った今年だもの。最後まで気は抜けないけれど、かなり期待値は大きいわ」


 「いろいろな事情」って何だろう? 何か含みのある言い方が気にかかる。それに、兼好さんと西園寺さんが史上最高の逸材ね……。美琴ちゃん、毎年新入部員を「史上最高の逸材」ということにしている訳じゃないだろうな。俺、案内史上最高の逸材と言われたこと嬉しいと思っていたんだから、それだけは美琴ちゃんの本心であってくれよ。




 文化祭の当日を迎えた特進クラスはガチガチに緊張していた。信輝など、あんなに尊大な態度を取っていた癖に、今では緊張感からか腹が痛いと何度もトイレに駆け込んでいる。


「今から緊張しても仕方ないよ。それより、俺も裏方で関わっているから、演劇部の上演も皆で見に来てくれよな。気楽に楽しんで観てくれればいいからさ。ちょっとは緊張もほぐれると思うし」


奏多がそうやってクラスメートたちに声を掛けて回っている。


 だが、演劇部は演劇部で、兼好さんと西園寺さんのむっつり具合がピークに達していた。何やら、二人も極度に緊張感しているらしく、何度もトイレに駆け込んでいる。大会の時でもこんなに緊張していなかったのに、ただの文化祭の上演で何をそんなに緊張しているのだろう?


 俺は最後まで二人がそこまで緊張している理由がわからず仕舞いだった。だが、もう二人に構っている場合ではない。俺たち演劇部の上演が始まるのだ。上演会場となっている体育館にはゾロゾロと観客が集まって来ている。見ると、奏多に言われた通り、特進クラスの連中も一堂に会している。最初は特進クラスなどに負けられないと対抗心を燃やしていたが、今はもうそんなことなどどうでも良くなっていた。俺たち演劇部の『再会』という作品を純粋に楽しんで欲しい。俺の心にあるのはそれだけだ。


 体育館のカーテンが一斉に閉められ、照明が落とされる。部長がアナウンスを入れ、俺たちは所定の位置にスタンバイする。緞帳が開き、とうとう文化祭での上演が始まった。


 大会のような緊張感がない分、俺も航平も芝居に力みがない。積極的にアドリブを入れ、観客の笑いを誘う。今日の上演はいつもにも増して特に楽しい。文化祭のノリは大会の緊張感漂う会場の雰囲気とは別物だ。兎に角ノリがいい。笑って欲しい所で必ず笑ってくれるし、見せ場ではクラスメートたちから歓声が上がる。俺たちは観客のノリに乗せられて、どんどん芝居を盛り上げていった。


 そして、ナツに対し、フユが自分の隠していた想いを告白するシーンが始まった。フユを演じる西園寺さんは心なしか固い表情のまま、台本にはないセリフを語り始めた。


「俺は、お前のことがずっと好きだったんだ。お前はいつも俺以外の女の子ばかり見て、俺には見向きもしてくれなかった。でも、俺はそれでもよかった。だって、お前は俺の恩人だから」


「え?」


兼好さんは台本にないセリフを話し始めた西園寺さんに明らかに困惑している。だが、西園寺さんは構わずに続けた。


「親父の言いなりになっていた俺を変えてくれたのがナツだから。ナツは俺を親父の支配下から解き放ってくれた。その身を張って。俺なんてお前にとってはただの他人なのに、俺のために俺の親父に言い放ってくれたよな。フユは貴方の所有物じゃないって。俺、あの時凄く嬉しかった。ナツは初めて俺の味方になってくれたんだ」


「なんだよ。しゃらくせえな」


と、今度は兼好さんが台本にはないセリフを口にした。


「え?」


今度は西園寺さんがキョトンとする。


「そんなこと思っていたんだったら、もっと早く言えよ。俺はバカだから、ちゃんと口に出して言ってくれないとわかんねえんだよ。女引っ掛けて遊んでるように見せてさ。本当は今まで誰とも付き合ったこともないのに、経験豊富そうな顔してみせて。それも、全部フユに見栄を張りたかったからだ。それに、他の女に興味でも示せば、お前は俺に嫉妬してくれるんじゃないかとずっと期待していたんだよ。本当に俺ってどうしようもないよな」


兼好さんはそう言うと、西園寺さんに近付いてそっと抱き寄せた。


「フユ。好きだ。俺はお前のことを愛している」


西園寺さんは泣いていた。演技ではなく、本当に泣いていた。


「ありがとう、ナツ。俺もナツのことが好きだよ」


二人はしっかり抱き合い、そのまま唇を重ね合わせた。

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