第5場 こっそりとプロポーズ

 美琴ちゃんをよく見ると、その目は何処か潤んでいるように見える。青地がそっとハンカチを美琴ちゃんに手渡した。美琴ちゃんはそのハンカチを受け取り、目元を拭う。そして、大きく息をつくと、


「はぁ、困っちゃったな。こんなに感極まってる姿、あの子たちの前じゃ見せたくないもの。本当は、すぐにでも駆けつけてあの子たちを労ってあげたいのに」


と言って苦笑した。


「別にいいんじゃないかな? 教師が生徒の前で少しくらい感情的になる部分を見せたって。僕なんて、いつも生徒たちの前で弱味を見せてばかりだ」


「あんたは実際、弱味しかないじゃない」


「言ってくれるなよ。これでも僕なりに一生懸命やっているんだから」


「わかってるわよ。鼓哲は百合丘の演劇部の顧問、よくやっていると思う」


 今日の美琴ちゃんは、随分青地に甘いんだな。青地もすっかり慇懃無礼さを失って、一見、普通の好青年に見えて来てしまう。いつもは対抗意識を燃やして、二人でバチバチやっている癖に。俺はいつぞや、美琴ちゃんが入院していた時に見た、二人の様子を思い出した。


「や、やめてくれよ。恥ずかしいだろ」


「何赤くなってるのよ。わたしは正直にあんたの姿を見て、尊敬していると思ったからそう言っているだけ。恥ずかしがるようなことじゃないわ」


「いや、どう考えても恥ずかしいから」


「あんたは昔からそうね。覚えてるわ。あんたがわたしに初めて告白して来た時のこと。顔真っ赤にして、声も震えて、言葉にも殆どなっていないような支離滅裂な告白で。ごめんね、あの時、あんまりあんたが面白いから、真面目に恋愛感情を持つ気になれなかったのよ」


「あれは……僕もまだ子どもだったというか……」


青地は真っ赤になって恥ずかしがっている。すると、美琴ちゃんが初めてその頬をポッと赤らめたのがわかった。


「でも、今なら……どうなるかしらね?」


とボソッと呟く。


「え?」


「別に、何でもない。でも、思い出すなぁ。わたしたちが全国大会に出た時のこと。青春していたわよね、わたしたち。懐かしいなぁ、この高校生たちの爆発するようなエネルギー」


すると、青地はやけに真剣な表情になって、美琴ちゃんに向き合った。


「僕は今でも青春しているつもりだよ」


「はあ? 何言ってるのよ。あんたもわたしも、もう青春するには年を取り過ぎたわ」


「何を言っているんだよ。君だってまだ若いじゃないか」


「若いっていったって、もうアラサーになるのよ。いい加減にいい大人よ」


すると、青地は眼鏡を取り外した。あの、端正な容姿が露わになる。演劇部員たちはその青地の素顔に驚いて、全員で小さな感嘆の声を上げた。


「じゃあ、そのいい大人として言わせて貰いたい。美琴。僕と付き合ってくれないか? その……結婚を前提として」


俺たちはもう、声を出さないようにするだけで必死だ。まさかのプロポーズですか! あの青地が美琴ちゃんに? 美琴ちゃんの顔がパッと真っ赤に染まった。そして、青地から顔を背けた。


「だ、ダメよ。そんなの」


「え? どうして……。さっき、って君、呟いたよね」


「そうだけど……。でも、わたしだって急にそんなこと言われたら、心の準備が……。はぁ。でも、わかったわ。考えてみる。だけど、一つだけ条件がある」


「条件って?」


「きっと、今年の全国大会は規約違反でわたしたちは失格になる。中等部の生徒を出しちゃったからね。だから、今年の中部大会でもう一度全国大会進出をかけて全力で戦っていくつもりよ。つむつむとこうちゃんを超えるくらい、最強の新入部員も入ったの。だから、あんたもわたしたちと正々堂々と勝負しなさい。そして、わたしたちに勝って、全国大会に出場を決めたら、あんたの今の告白に対する答え、ちゃんと出してあげる」


俺たちはもう我慢が出来なかった。皆でワーッと美琴ちゃんの周りに駆け寄った。二人は顔を真っ赤にして、


「ちょっと、いつの間にここにいたのよ!」


「君たち、私たちの話を立ち聞きしていたんですか?」


と叫んだ。


「ダメだよ、青地先生。美琴ちゃんはねぇ、そんな簡単に渡せる訳ないんだから。僕たち、来年の全国大会も出場して、今度こそしっかりと優勝させて貰うからね」


航平がニヤニヤしながら青地に言った。


「へ?」


「そうだよ。青地先生が美琴ちゃんと付き合うの、十年は早いんじゃないかな」


俺もそう言って青地を揶揄からかった。


「き、君たちは、教師を揶揄うんじゃありません!」


眼鏡を再びかけた青地は、いつもの剽軽ひょうきんな顔に戻って、そう叫んだ。そこで、美琴ちゃんはやっと、いつもの美琴ちゃんらしいしゃきっとした聖暁学園演劇部の顧問としての顔を取り戻した。


「そういうことだから。簡単には負けないわよ」


青地も普段の慇懃無礼さを取り戻す。


「い、いいでしょう。受けて立ちますよ。百合丘学園の名誉にかけて、今年の中部大会は絶対に負けませんからね!」


 美琴ちゃんと青地はいつものように火花を散らし始めた。俺たちはそんな青地を見て声を上げて笑った。やっぱり、眼鏡を外してそのイケメンな素顔を晒しても、青地は青地だ。カッコいいセリフなんか似合わない。この剽軽な姿こそが、青地の姿だ。

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