第3場 新ルームメイトは自由奔放
寮の前に着くと、新しい部屋割が入口前に貼り出されている。今度のルームメイトも、奏多とまではいかなくても、奏多のように、勉強に対して真面目なやつがいい。俺に刺激を与え続け、勉強へのモチベーションを与え続けてくれるようなやつでありますように。そう願いながら見た俺のルームメイトの名前には「
この航平ってやつがちょっとした曲者で、俺は正直苦手だった。成績はそんなにいい方ではなく、もちろん特進クラスではない。だが、その一風変わった性格は学校内でも特に目立っていた。所謂
「つーむぅぐくんっ」
と下の名前を呼ばれたかと思うと、いきなり俺は後ろから抱き着かれて頓狂な叫び声を上げた。慌てて振り返ると、俺の新しいルームメイト、稲沢航平が俺に抱き着いて上目遣いで俺に笑いかけていた。ゲゲッ。まだ部屋に着いたわけでもないのに、こんなところから航平に絡まれなきゃいけないのかよ……。
「な、何だよいきなり。それに、まだ稲沢とはそんなに親しくないんだから、下の名前で急に呼ぶなって」
「えー? 何でダメなの? 一ノ瀬くんって呼ぶより、紡くんって呼んだ方が親しみがあっていいじゃん。親しくないって言っても、僕たち同室になったんだしさ。これから一緒に三年間過ごすんだから、仲良くしていこうよ」
「わ、わかったよ。じゃあ、紡って呼んでもいいから……」
「やったぁ! 紡くんも僕のこと、航平って呼んでいいよ」
この航平の押しの強さに俺は太刀打ちできず、すっかりこの小さいやつのペースに飲まれている。
「いや、それは……」
俺はやんわりと「航平」呼びを拒否しようとしたが、航平は俺の考えなどお構いなしにこんなことを言い出した。
「ダメだよ。こうへい憲法第二十四条により、僕と同室の子は僕とファーストネームで呼び合うことが規定されているの」
「こうへい憲法!?」
「そう! 紡くんと一緒に住むのは今日が初めてだけど、僕の法律には今この瞬間から従ってもらうからね」
「はあ? 何でお前の定めたこうへい憲法とやらに俺が従わなきゃいけないんだよ」
「さ! 部屋行こ、部屋! 僕と紡くんの王国に出発進行だぁ!」
って、結局俺のツッコミは完全無視かよ!
航平は「シュッシュッポッポ! シュッポッポ!」と蒸気機関車の真似をしながら俺の手を引いて俺たちの部屋へ意気揚々と歩いて行く。同級生だけでなく、先輩たちもそんな俺たち二人をクスクス笑いながら見ている。俺は顔から火が出そうになる程恥ずかしかった。
トホホ。この調子で三年間過ごさなきゃいけないのか。高等部の初日にして前途多難な俺の高校生活を予見するかのようなスタートだ。
「我らが王国にとうちゃぁく!」
俺と航平の部屋の前に着くなり、航平は大声でそう叫んだ。
「おい、うるせぇぞ、一年!」
隣の部屋の先輩が顔を覗かせて俺たちに怒鳴った。
「す、すみません!」
俺は慌てて頭を下げるが、航平は少しも臆することなく、
「ごめんちゃい」
と、上目遣いで謝ってみせた。
「ったく、誰かと思ったらこうくんかよ。じゃあ、仕方ねぇな。あまり騒ぐなよ」
相手が航平だとわかるや否や、先輩はすっかり甘い顔に変わる。しかも「こうくん」って……。先輩までやめてくれよ。
航平はこういう所がいちいち上手だ。普通だったらこんな風変りな後輩など、いじめられるのがオチだと思うのだが、誰もが航平にはどうしても冷たく当たることのできない、目に見えないオーラのようなものがあるらしい。かく言う俺も、航平の手など振り払えばいいものを、ここまで航平の列車ごっこに付き合っていた訳だし……。航平が近くにいると、周囲の人間は何故か彼に抗うことができずに、振り回されっぱなしになるのだ。
「航平、さすがに今のはまずかったんじゃないのか?」
俺は部屋に入ると、航平を少し諫めた。しかし、航平はそんな俺の忠告など、全く聞く素振りがない。
「ええ? だって許してくれたじゃん。優しい先輩がお隣さんでよかった! ねぇ、紡くんもそう思うでしょ?」
「それは俺も思うけど……。しかしだな!」
「やっぱり紡くんもそう思うんだ! じゃあ、今度お菓子持って引っ越しのご挨拶に行かないとね!」
航平は俺の話をどんどん遮って自分の話を進めていく。
「お菓子って……。冗談はその辺にしといてくれよ。俺、お前と話すの疲れたわ」
「え? じゃあ、紡くんもおやつ食べながら休憩する?」
と言うなり、航平はグミを机の中から取り出した。
「お、お前! 寮の中にお菓子は持ち込み禁止だろ!」
「うん、そうだね。でも、ルールって破るためにあるんでしょ?」
「や、破るため!?」
「そうそう。そんな固いこと言っていたら、まだ十五歳なのにおじいちゃんになっちゃうよ」
「お、俺はじじいなんかになったつもりはない!」
「はい、どうぞ」
俺の開いた口に航平はグミを放り込んで来た。
「美味しい?」
航平が上目遣いで俺に尋ねる。俺はもぐもぐしながら、グミの甘味が口いっぱいに広がるのを感じていた。俺の感覚器官ですら、航平のペースにすっかり順応しているようで悔しいが、実際口に放り込まれたグミは美味い。
「あ、ああ。甘かった……」
「そりゃよかった。じゃあ、僕も一個いただきまーす」
航平はそう言うと、グミを一個自分の口に放り込んだ。
「ん~、甘くて美味しい」
たかがグミなのに、満面の笑顔で美味しそうにグミを頬張る航平を見ていた俺は、なぜだか胸がドキドキ高鳴るのを感じた。俺ってば、何航平を見てドキドキしているんだよ。落ち着け、俺。航平のような超マイペースなルームメイトなんかに、俺は絶対影響などされないぞ。俺は勉強を頑張るんだ。俺は航平とは違う。平凡なごく普通の人生を送るために、いい大学に行き、いい会社に就職するために、今は勉強に集中しなければならないんだ。俺はそう自分に言い聞かせた。
だが、俺はこの航平という小悪魔を見くびっていた。俺が勉強を始めるなり、俺の横に立って首を伸ばし、俺のノートを覗き込む。
「お、おい。集中できないだろ。あっちに行ってろ」
俺は冷や汗を流しながら航平を追い払おうとした。だが、今までの展開から察することのできるように、航平は俺の話など聞いちゃいない。
「へぇ。紡くんって勉強好きなんだね。特進クラスだっけ? 頭いいんだなぁ。今度テスト前になったら僕にノート写させてね」
「は? 何言ってるんだ。ちゃんと自分で授業中ノート取って勉強しろよ」
「それ無理。だって、授業中いつも眠くなるんだもん。眠いの我慢するのはお肌に悪いんだぞっ!」
「あのなぁ。夜ちゃんと寝ればいいだけだろ? それで、授業中は集中する。それだけでお前も少しは成績上がるだろ」
「僕、夜もちゃんと寝てるよ? でも、寝る子は育つっていうじゃん? 僕、いつも眠いから。ほら、今だって」
航平は大きな欠伸をした。
「じゃあ、航平は寝てろ。俺は勉強してるから」
「ダメだよ。もうすぐ晩ごはんの時間だもん。お風呂も入らなきゃだし。そろそろ食堂の前に行って並ぼうよ。今行かないと大行列になっちゃうよ」
「俺は後で食うからいい。お前だけ先に行ってろ」
「こうへい憲法第二十五条! 僕と同室の一ノ瀬紡は、必ず僕とご飯とお風呂は一緒に行くこと!」
「は? これ以上勝手にこの部屋で憲法なんか作るなよ。俺の自由意志はどうなるんだ?」
「さ、てことで行こうか」
相変わらず俺の話に航平からの返事はない。航平には俺の「自由意志」を認めるつもりなど、さらさらないらしい。
「ちなみに、憲法違反は重罪だよ? もし違反したら罰金だから」
「ば、罰金!?」
「そ! 例えば、購買のアイスクリーム、一か月間奢り続ける刑とか。あ、もちろん高いやつね。ハーゲンダッツのアイスクリーム!」
ハーゲンダッツを毎日奢れだと!? さすがにそれは俺のアイスを買うための小遣いがなくなる。俺だって購買のアイスを食べるのを楽しみにしているのだ。航平なんかにその楽しみを奪われてたまるか。俺は仕方なく航平と共に食堂の列に並ぶことにした。
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