第2場 ビバ!平凡人生
「紡、俺の方を見て」
俺がベッドの上で寝ていると、俺のすぐそばからそんな囁きが聞こえて来た。俺が薄目を開けると、俺のすぐ横に奏多が寝ている。俺は飛び起きた。
「か、奏多? どうして俺のベッドの中なんかに……」
「紡。俺、実はお前のことが好きだったんだ。俺の恋人になってくれないか?」
「は、はぁ? そんなの無理に決まってるだろ」
「俺はもうこの気持ちを抑え切ることができないんだ。悪い、紡。許してくれ」
奏多は俺をそっと抱き寄せると、俺の唇を奪った。や、やめろ! 俺は、俺は、男を好きになんかならない。いくら奏多が俺の大切な親友だとしても、恋人になどなれる訳がない。俺は普通の男になるんだ。だから、これ以上俺を壊すような真似はやめてくれ。
俺は奏多の腕の中でもがき続けた。だが、奏多はそんな俺に構うことなく、俺に濃厚な口付けを続ける。ダメだ。これ以上やられると、俺の知りたくはなかった一面が出てきてしまいそうだ。やめろ、奏多。やめろー!!
その時、
「つーくん、起きなさい。もう朝よ」
という母さんの声が空からいきなり降って来たかと思うと、俺は今度こそ現実の世界へガバッと飛び起きた。俺は母さんに起こされて目を覚ましたのだった。この「つーくん」というのは、俺の母さんからの呼び名だ。俺の下の名前が
何だ。夢か。変な夢を見ちゃったな。深夜にあんなアニメを観たりするからこんなヘンテコな夢を見るんだ。現実では、奏多は俺を抱きしめてもいないし、恋人になるように迫ったりすることもない。きっとこれからも親友のままだ。俺はホッと胸を撫で下ろした。
「つーくんがお母さんが起こすまで寝ているなんて、珍しいわね。夜中に何かしていたの? もう朝ごはん出来てるわよ。早く下に降りてらっしゃい」
俺はギクリとした。深夜にあの変なアニメを見ていたことを知られたか? いや、知られたからって何だ。俺は別に興味があってあんなものを見た訳じゃなくて、たまたまテレビをつけたらそんな番組をやっていただけだ。そりゃ、最後まで見てしまったのは事実だけど、それは別に心魅かれた訳ではなくて……。などとあれこれ言い訳を考えていると、
「つーくん、早くしなさいよ!」
と再び母さんに階下から呼ばれ、俺は慌ててベッドから飛び出した。
「つーくんもとうとう高校生ね。頑張ってやって来なさいよ」
食卓についた俺に、母さんはいつものように話しかけて来る。よかった。バレてないみたいだ。俺はホッと一息ついた。
「うん。これからも特進クラスで勉強できるように頑張るよ」
「あんまり無理するなよ。身体が資本なんだからな」
父さんはもう既に朝食を食べ終わっていて、新聞を広げながら食後のコーヒーを飲んでいる。
「わかってるよ。でも俺、こう見えて結構丈夫なんだ。ほら、俺って今まで風邪もほとんど引いたことないだろ?」
「まぁ、そうだな。紡は健康優良児だからな」
「何だそれ」
俺はアハハと笑い声を上げた。
「兄ちゃんは元気だけが取り柄だもんね」
生意気な小学六年生の弟
「は? サッカーばかりしてる海翔にだけは言われたくないね」
「サッカーばかりじゃないよ。僕、ちゃんと成績もいいんだよ? 小五の三学期の成績表、オール5だったんだもん」
「あー、はいはい。凄い凄い。でも、小学校のテストなんて簡単なんだぞ。本番は中学に入ってからな」
「いいよ。僕も聖暁学園来年は受験するつもりだからね。兄ちゃんよりいい点数で合格してやるんだ」
「へぇ、やれるもんならやってみろよ」
「はいはい、二人共いい加減にしなさいよ。つーくんはお兄ちゃんなんだから、もっと大人になりなさい。かいくんと張り合ってどうするのよ」
母さんが俺をたしなめながら俺の前に朝食のパンを置いた。
「そうだそうだ。兄ちゃんは高校生になったのに、精神年齢はまだまだお子ちゃまなんだから」
「海翔!」
生意気な海翔に鉄拳を食らわそうとした俺を母さんが止めた。
「つーくん、いい加減にしなさい。かいくんもこれ以上お兄ちゃんを揶揄わないの」
本当に海翔はムカつくやつ! この海翔に舐められないためにも、絶対特進クラスのまま、高等部の三年間を走り抜けてやる。
ま、でも、これが俺ん家の日常だ。父さんがいて、母さんがいて、弟の海翔がいて。父さんは一部上場企業の課長をしているエリートサラリーマン。母さんは専業主婦だが、実は昔、通っていた大学のミスコンで準グランプリに輝いたこともあるらしい。海翔は生意気な弟だが、地元のサッカークラブのキャプテンで、勉強も学校で断トツトップの秀才だ。家族全員仲も良く、和気あいあいと過ごして来た。これが、世間一般でいう典型的な幸せな一般家庭のあるべき姿だ。俺が目指す人生は、こんな家族を持つこと。それに他ならない。
さあ、今日はこれから、この家を出て聖暁学園の寮へと旅立つんだ。六年間の聖暁学園での学園生活も折り返し地点に来た。これから、俺の目下の最大の目標である大学受験へ向けて、勉強の日々が始まる。俺は気をキリッと引き締めて、家を出た。
電車の車窓を眺めながら、俺はこれからの高校生活に想いを馳せた。次のルームメイトはどんなやつだろうな? 奏多よりいいルームメイトなんて早々他にいないだろうし、できれば今回も奏多と同室がいいな。無理だとしても、これからも特進クラスの仲間として、奏多とは固い友情を育んでいくんだ。
そういえば、明日はクラス分けの発表もある。中等部三年生の最後に受けた実力テストの結果によって、高等部でのクラス分けがなされるのだ。俺はまぁ、クラスを確認するまでもないけど。どうせ、特進クラスに残るだけなんだから。とりあえず、高等部に入ったからには、一層勉強に力を入れるんだ。部活? そんなものしている暇はないから、帰宅部決定だな。
俺にとって、これからの高等部での生活に何の憂慮もなかった。俺の目指す普通の人生への行路は脇道へそれることもなく、順調な目的地まで続く一本道として、俺の前に続いているはずだった。
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