第5場 ただの通行人
配役決めのオーディションの結果だけでもショックを受けた俺だったが、芝居の稽古が本格的に始まると、俺は余計に落ち込むことになった。希と優の舞台上での輝きは、立稽古が始まるとより一層眩しくなった。しかし、それだけではない。主人公たちの友人役として、脇役ながら重要な役を射止めた奏多と漣の演技力が格段に上がっていたのだ。『再会』ではアキやハルのクラスメートとして、殆どセリフらしいセリフもなかった二人が、今では主役の二人を支える役者として、いい味を出している。
それに対する俺はどうだろう? パワーアップするどころか、どんどん実力も落ちているのではないか。だから、こんな端役の端役になってしまったのではないか。俺はこの一年間で成長したと思っていた。だが、それは全部俺の自己満足なのではないか。俺の思考はどんどん疑心暗鬼に、ネガティブな方向へばかり向いていく。俺は稽古中、悶々と悩んでいた。
「ちょっと、つむつむ! 通行人の出番でしょ! 何、ボウッとしてるのよ!」
俺は美琴ちゃんに叱られてハッと気が付く。俺は慌てて通行人として舞台の上を通り過ぎた。
「はい、ちょっと待って!」
美琴ちゃんが稽古を止める。
「つむつむ、ただの通行人だと思って手を抜かないで! 今のつむつむ、姿勢は悪いし、ダラダラ舞台を横切ったせいで、芝居の空気を台無しにしたわよ。しっかりと出番を確認して、通行人らしく歩いて頂戴!」
ただの通行人役もまともに出来ていないのか。俺は更に落ち込んだ。
勿論、俺だけがダメ出しを受けている訳ではない。こんなに舞台上で輝いて見える希や優も等しくダメ出しを受けている。だが、二人が受けているダメ出しは、俺よりももっとレベルの高い要求をされているからなのだろう。俺なんか……。
つい先日の三月末まで活き活き活躍していた俺が遠い昔の自分に思える。「史上最高の逸材」などと呼ばれて、すっかりいい気になって舞い上がっていたんだっけ。それが今や、ただの通行人役に成り下がり、入ったばかりの新入部員に実力差をまざまざと見せつけられ、俺は自信を完全に喪失してしまっていた。
「つむつむ、大丈夫?」
俺がどんよりと落ち込んでいると、西園寺さんが俺にそっと話しかけて来た。
「大丈夫……です」
俺は殆ど消え入りそうな声でそう答えた。
「まぁ、ショックだよね。わかるよ、つむつむの気持ち」
西園寺さんはそう言うと、俺の隣に腰掛けた。
「僕もね、去年、実はつむつむとこうちゃんに同じ感覚を覚えたんだよ」
「え?」
「だって、君たち、史上最高の逸材なんて美琴ちゃんに言われていたでしょ? 僕と健太は一年生だった時、大会で主役を張って、聖暁学園の華なんて形容されたりしていた。大会でファンまで出来てさ。でも、それが四月に入った途端、美琴ちゃんの注目株は完全に君たち二人に移ってしまった。正直、最初はとても複雑な気持ちだった。僕のこの部活での存在価値って何なのかなって、虚しくもなった」
俺は少しばかり罪悪感を覚えた。これまで、俺はずっとノー天気に「史上最高の逸材」などと言われていい気になっていた。だが、その陰で先輩部員たちがどんな状況に置かれていたのかを考えたこともなかったのだ。
「俺、西園寺さんがそんなこと思ってるなんて全然気が付かなかった。ごめんなさい……」
西園寺さんはそんな俺の頭を優しく撫でた。
「謝らないで、つむつむ。でもね、僕は演劇部を続けていて良かったと思っているよ。あのまま演劇部を辞めていたら、つむつむとこんなに仲良くなれることもなかったし、聖暁学園演劇部として全国大会に出る経験も出来なかった。それに、やっぱり僕は演劇が好き。だから、今回音響のスタッフになったのも、頑張らなくちゃなって思っているよ。皆でいい作品にしようよ、ね?」
だが、西園寺さんにそうやって慰められても、俺は完全に前を向けた訳ではなかった。確かに、西園寺さんの言う通りだ。演劇部をこのまま続けていれば、また何かいいことがあるかもしれない。辞めてしまえばそこで全て終わりだ。きっと、希や優、将隆とだって、これから一緒に活動していけばいい想い出がたくさん作れるのかもしれない。
でも、西園寺さんは俺とは違うじゃん。去年の自主公演でもちゃんとした役を貰い、『再会』でも俺と航平の主役コンビに次ぐ準主役としてのポジションがあった。今回の自主公演だって、音響スタッフとして芝居全体に関わる重要な役割を任されている。航平だってそうだ。俺と同じ通行人の役とはいえ、舞台監督の役目も任されているのだ。稽古から本番までの段取りを一手に引き受けるという重要な役割がある。
一方の俺が受け持つのは、ただ、舞台を通り過ぎるだけのいてもいなくてもいい通行人役と演出助手、それだけだ。もしこの芝居を上演するのに人数が足りなければ、こんな役は削られてもおかしくはないだろう。そのシーンに出ていない他の役を演じる役者が兼役することだって出来る。演出は殆ど美琴ちゃんが演技指導から演出プランまで考えている。一応の演出担当として部長がいるが、その部長さえ出番は大して多くはない。その上、俺は部長の助手の立場だ。俺など、居てもいなくてもいい役割しかどのみち与えられてはいないのだ。
「俺、この部活で必要とされているのかな?」
俺は、そうポツリと呟いた。誰も聞こえないであろう小声で。本当は大声で叫んでこの悶々とした想いを一気に吐き出してしまいたい気持ちを必死に抑えながら。
俺はその日の稽古が終わるなり、そそくさと荷物を纏めると、一人でその場を後にした。涙が溢れて視界が霞み、俺は何度も目をゴシゴシ擦った。外に出ると、数日前まで満開であんなに綺麗に咲いていた桜の花はすっかり散ってしまい、花びらが地面に落ちて泥で汚れている。まるで今の俺みたいだ。俺は舞台の中心でスポットライトを浴びて輝いていたのが、昨日の配役オーディションを機に、みすぼらしい端役に追いやられてしまったのだ。俺は桜の木の幹に突っ伏して人知れず泣いた。
「あはは、つむつむ先輩、そんなに泣いちゃって。かっわいいの」
俺が泣いていると、いきなり後ろから声を掛けられ、俺は慌てて涙を拭って振り返った。見ると、希がヘラヘラ笑いながら俺が泣いているのを見ていた。
「うっせぇな。放っといてくれよ」
俺が気まずくなってその場を立ち去ろうとすると、希は俺の腕をつかんだ。
「ちょっと待てよ。すぐに逃げなくてもいいじゃん。もうこの前みたいに強引にキスしたりしないしさ」
希はそう言うと、俺を自分の寮の部屋まで連行した。
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