酔っ払い達の異世界転移
六時に始まった通夜振る舞い、すなわち宴会はもう十時近くまで伸びている。当然、近所に寿司屋やピザ屋なんてものは無い。酒宴は手作りの品々が並ぶ。ストーブで作った熱燗で蒸かしイモやらスルメやらを肴に飲みかわす。全くもって豪勢ではない、だが手近な品々がどこか耕助の悲しみに寄り添い、鬱屈した気持ちが和らいだ。
結局、話題の中心は組合長への不満と、U市の暴虐ぶりへの批難だった。
「これじゃ明日から仕事にならないですね」
耕助は酒に酔った一同を見回し苦笑を浮かべ、心にも無いことをぼやく。
旧S町農協職員は一応U市農協に組み込まれた上で、『自主的な』早期退職という名のリストラという運命にあるのだ。明日の仕事なんてものはない。
リストラ、耕助の虚しさの原因である。収入だけの問題では無い、耕助は最早愛する土地の農家を助けることすらできなくなる。それが耕助の愛郷心と矜持を荒いヤスリが如く傷つける。打ち砕きはしない、が表面を毛羽立たせそれがチクチクと痛みを生み出す。慢性的な心の傷とでもいうべきだろう。
「いいじゃないか、仕事しなくたって。初日からストライキ。耕ちゃんやっちゃおう、うん」
伊藤は満面の笑みを浮かべながら豪快に大笑いし、膝を叩く。
(それができたらどれだけ楽しいだろうか)
だが、そんな勇気が耕助には無いこと位本人が一番知っている。
時計が十時ちょっとを指そうとしたその時だった、急に外が真昼の様に明るくなる、ブラインド越しでもわかる明るさだ。
(U市の農協トラックのヘッドライトだろうか。もう早倉庫を強奪しに来たか)
だが車のヘッドライトにしては柔らかい光に見える、耕助は事務椅子から腰を上げブラインドを上げる。
ブラインドを上げるとまだ夕日が沈むところだった。
(あぁ飲み過ぎてほぼ丸一日潰れたか、弱くなったものだ)
耕助は現実をそう受け止めた。
耕助は自らの老化を自覚してはいた、だかその進行速度に改めて驚かされたのである。
(多分農協の独立抗戦で疲れからくる類いのモノだろう。この半年で体重は落ちた、頬も痩せこけ、髪には白い毛がところどころに散らばっている。歳に過労、リストラされたらしばらく休むか)
耕助は見た目からして四十半ばにしては少し老けている。
(ポツポツと友人の訃報も聞こえてくるようになった。その内、大きな病院で診てもらおう、何か病気でも抱えているかも知れない。大学生の息子と女房を残して早逝というのも申し訳がたたない)
西へ沈む夕日を背に耕助は振り返る。意外なことに耕助以外のメンバーもその場にいた。
(てっきり潰れた状態で一晩ほったらかされたのだと思っていた)
「ははは、全員潰れちゃったみたいだね、歳はとりたくないね」
耕助は後ろ頭を掻きながら皆を振り返る。
「いや、耕ちゃん、あんた潰れてなんかないよ」
マダムがサングラスを人差し指でくいと押し上げ真顔で答える。
「じゃぁ、なにが起きたって言うんですか」
耕助は苦笑いしながら返す。
「今起きているのは天変地異」
マダムはさらりと言い流す。同時に事務所のドアがガラリと空いた。
麻のズダ袋に首と手を出す穴をつけましたと謂わんばかりの粗雑な服をまとった金髪の少女が事務所に入ってくる。
透けるように白い肌、艶っぽいセミロングの金髪、整った鼻、所謂白人だ。
(まだ若いな。かわいいと言ったほうがいいだろう、将来は美人になるな)
耕助は少女に見入る。
(そのだがなんだこの格好は)
貧相な服装だが、首に金の鎖で下げた紅い宝石は本物じみた輝きを放っている。
「頼もう、頼もう。我はヘルゴラント王国にに従えし、アノン家副領主士ヘルサ・イム・アノンと申す」
堅苦しいが流暢な日本語だ。
(大河ドラマの熱狂的なファンか何かだろうか。それにしてもどうしたんだろうこの外国人は。バックパッカーでもなさそうだし、どうにも胡散臭い)
こんな貧相な恰好をしている人間を耕助は見たことがない、それも外人観光客である。冬空にに似つかわしい格好ではない。
ヘルサは事務所の中へと歩む、続いて重厚な鎧を身にまとい、槍を持った屈強な男が入ってくる。
(ああ、俺の知らないところでお祭りでも開かれてるのか)
酒に酔った耕助は薄ぼんやりとそう判断した。
「コスプレなんかして、デリヘル頼んだ覚えはないぞぅ。怖いお兄さんなんか連れてさ」
酔っ払った渡が手を振って追い返そうととする、この近辺に嬢を送れるデリヘルなんて無いという事実を失念している。
一方、もう一人の警官である倉田は素早い所作で拳銃を引き抜き、鎧の男へ向けた。素人の耕助でもわかるくらいなんの躊躇もない素早く、そして正確な動きであった。
「おい佐藤巡査部長、あの槍は刃が引いていない、本物だ。貴様ら銃刀法違反の現行犯で——」
「もうここはあなた方の国、日本ではありません。ヘルゴラントの地であり王法の元にあります」
ヘルサと名乗る少女が平然と答える。
「ちょっと、冗談はよしてよ。もう、なんのお祭りか、ドッキリかは知らないけども――」
「この娘の言ってることはきっと本当よ」
マダムは平然と言ってのける。
「外を見なさい。さっきまで初雪だったのが、ほら今は春よ」
ブラインドから覗くと一面緑に覆われ、ところどころに華が咲く大地が広がっていた。
ヘルサは事務所の中へとぐいと一歩踏み込む。
「我々、ヘルゴランド王国は魔王スワリスコが率いる軍勢との長年にわたる戦争にて疲弊しております」
(ヘルゴランドが疲弊? 悪いがS町は過疎化で疲弊どころじゃない。なにせ合併しまったのだから)
だが耕助のそんな胸の内とは関係なく、少女は続ける。
「多くの若い男が戦いに斃れ、新たに兵士を動員。農奴も動員されております。残された者は女と老人ばかり」
(S町の若者も札幌か東京へ動員されて今や老人ばっかりだ)
「然るに我が魔導によりて、農の先駆者たるあなた様らを召喚いたしました」
(ここまでくるとはぁ、さいですかとしか言いようがない)
「ちょっと待て、聞きたいことは山ほどある、が先ずその槍を手放してもらおう」
倉田が拳銃を構えたまま、低い声で恫喝する。
(なんなんだ、この新参者は、とてもじゃないが日本の警官とは思えない。やたらと凄みを放っている。さっきまでは倉田という男はこんな印象ではなかった)
「承知いたしました、騎士の無礼をお詫びします」
少女が二人の大男に目配せすると二人は槍を静かに地面に下ろした。
「先ず聞きたいのは、前提としてこれが俺の幻覚じゃなければだが、なぜ軍事力を召喚しない。魔王軍とやらを倒せればいいんだろう、貴様らは」
倉田は拳銃を仕舞いながら、それでも警戒した様子で尋ねる。
(理論的にそれは正論だ。だがだが他にも聞くことがあるだろうに。そもそもヘルゴランドとは何か、召喚ってなんだとか。余程、倉田には自分が狂っていないという自信があるらしい)
耕助はそう推察した。
(そういえば倉田は酒を飲んでいなかったか)
「わたくしの父がそれを試み、恐らく武器であろう物体を手に入れることはできました」
ヘルサは悲し気にうつむく。その格好を除き、美少女子役って枠になるだろう。
「しかし、父はそれを召喚すると、手を触れるなと一言残し憤死したのです」
(憤死ってのは歴史上の人物で聞いたことがある、確か中世の教皇かだれかだ。実際は脳溢血かなにかだろう)
耕助はそう勝手に解釈した。
(つまりこれはこの間見た歴史番組のせいで見てる夢か、西洋風のドッキリだ)
「そして、別世界からの兵力の召喚は禁忌となりました」
ヘルサは顔を上げたが悲しみを顔に浮かべたままだ。
「ですから、別世界の農法によりイムガンドを立て直すよう勅命が下ったのです、私はそれに従いあなた方S町農業組合並びに農家の方々を召喚したのです」
耕助には物事が解らない、が何とか理解に努めようと腹の底から声を絞り出す。
「しかしですね、そうは言っても我々も死に体ですよ。合併されてしまった。それがどうやってお国を支えるなんてマネができるんですか」
耕助は愛する故郷を卑下してまで、ヘルサに食らいつく。
「私たちが期待しているのはあなた方の持つジャガイモという作物です。そちらの世界ではこの作物が普及してから大幅に人口が増えたとか。我が国もその恩恵にあずかりたいという訳です。納得していただけましたか」
ヘルサは力説する。
(飢饉の世界にジャガイモを持ってくる。最適解ではある)
確かにジャガイモは幾度となく歴史を変えてきた。
ドイツの元となるプロイセン王国はジャガイモが根付くことで勃興。ジャガイモが根付くことで倍も人口が増えた。現代ドイツもジャガイモが主食である。
逆にアイルランドでは疫病によってジャガイモが壊滅、総人口の半分が餓死ないしは移民となった。それだけジャガイモがアイルランドの胃袋を満たしていたことになる。
アメリカ大陸よりもたらされたジャガイモはヨーロッパの食卓を大いに下支えした。
しかし、ジャガイモは繊細な一面も持つ。疫病に弱い、酸性の土地を好み、アルカリ性が強いと病気になってしまう。また毒性の芽が出たり、米、小麦などの穀物と違い腐ったりもする。
「確かにジャガイモは救国の作物です。が、そう簡単には植え付けられませんよ。そこまで単純な作物じゃない」
「問題ありません、魔導の力でサポート…… いえ、そちらの科学技術と我々の魔導の融合で解決いたします」
(まどう…… なんだそれは)
耕助は困惑する。
突如外で車の停まる音がした、急ブレーキのけたたましい音が響く。
「オヤジ、ヤバいってこれ」
耕助の一人息子、
「オヤジ、これ何? 地震か、これは……あっ、カワイイ。ハ、ハーワーユー?」
ヘルサに見惚れたまま石化した馬鹿息子が状況説明の流れを断ち切った。
【補足】
『ジャガイモと国家』
ジャガイモは量当たりのカロリーこそ低いものの、高い栄養素を持つ食物である。
加えてアンデス高地原産であり、高い環境順応性はやせた土地での開拓も可能にした。
これ即ち人口増加を支えるものであり、大陸国であれば富国強兵の源と言っても過言ではない。人口増加は軍備と産業の拡大の源であるからである。
この例として18世紀、プロイセン、フリードリヒ2世の治世があげられる。プロイセン、フリードリヒ二世は自ら農民に新大陸から来たジャガイモの作付けを命じて回った。
結果、その統治の間に人口は200万から400万へと増大、軍人も22万人拡大した。
彼は七年戦争という大戦争の勝利者であるが、その影には農業改革の影響もあった。
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