狂犬の宴

 倉田は運転席をやや後ろへと倒し、東に沈みかけた二つの月を眺めている。

 農業実験隊を護衛するのが今のところの「任務」だ。今はその移動日の夜であり、一日が終わりを告げようとしている。


 月明かりに照らされて前方にもう一台の電気自動車が見える。夜間にモンスターや夜盗に襲われた時、二台一気に逃げる為の二台体制。流石に一台に五人で寝るのは無理だ。皆椅子を立てたまま寝ている。かなり窮屈ではあるがしかたない。不測の事態に備え全員を車内にとめておきたいのだ。

 現に薬草刈りの連中はモンスターに襲われた。


 因みに倉田が乗っている車の充電は満タン、もう一台は二十キロも走ればガス欠だ。今晩何も起きなければ明日の朝一にガス欠の車を農協事務所へ送り返す。そして事務所で充電し、こちらに送り返される。


 それにしても今日の行程は流石に強行軍だった。元々フヌバの荷馬車に合わせた轍しかないような所を電気自動車が走るのだ。振動と騒音はすさまじく、異世界組は車酔いになっていた。結果何回か道端で『休憩』を余儀なくされ、回復には三十分は必要になった。


 車酔いは倉田はまだマシだったが、藤井もかなりキていた。幸いだったのは毎度の休憩のたびに水が送られてきたことだ。吐しゃ物臭のこもった車にて揺られるのはさすがに本意ではなかった。


 手紙のやり取りによると、鈴木率いる探検隊はこちらのモンスターと交戦したとのこと。

 結果は完封勝利で、こちら側の負傷者はなしだそうだ。

鈴石課長はこの速報にかなり狼狽した、息子耕太の安否が気になったのだろう。

 今、車内には女の匂いが立ち込め、寝息も聞こえる。倉田にはそれが『敵』に対抗するための思考に邪魔だった。

 少し窓をあけ風を通す。この車には倉田に加えコルとペスタの三人が乗っている。


「お嬢さん方はお巡りさんと一緒の方が安心だよね」

 鈴石課長はそういって、この車に二人を追いやった。

 確かに身長百五十程度のコルの小さい体ならセダンでも十分に三人で寝れる。


 だが、課長ははき違えている。

 最早、倉田こと『重田』は警官でも公僕でもない、一匹の狂犬なのだ。


 満足な獲物を日本で得られない番犬は、異世界で狂犬になり存在理由を見出す決意をした。

『警官が犯罪者を捕まえるためにその予兆を見逃す』

 わざと煽ってスピード違反を生み出し取り締まる覆面とは同列にできない。

今回の犯罪者、否、想定すべき『敵』はは国家転覆を計っているのだ。もはや倉田は警官が持つべき職業倫理にとらわれていない。

 

 そして、この矛盾じみた状況は既に狂犬の中では問題視されていない。

 如何に満足できる敵と戦えるか、それだけをこの狂犬は期待し、涎をたらし待っている。

 表向きは番犬のままだ。


(きっと――)

『重田』は想う。

(日本でなければ現世でも満足したのかもしれない。明け暮れぬテロとの戦い、敵国との諜報戦、俺にはその最前線に立つ自信がある。そして、エモノを喜んで次々と喰い殺してやっただろう)

 

 だが、今倉田が相手しているのは本物の革命家らしい。それに異世界となれば、倉田も伊藤も日本よりも自由に動ける。

 かつて番犬だった狂犬は、番犬の作法を忘れず時を待つだけの根性を備えていた。

(だが――、いつ俺は奴と戦えば最大の満足を得られるんだ)

 ふと倉田の脳裏に不安がよぎる。

 

 奴が革命を起こすまでは手を出してはならない、何故なら最大の満足を得られないから。しかし時を逸すれば、奴は革命を成就し、倉田は敗北する。

 

(まて、奴が最初から革命に失敗するケースもある。なんてことだ、なら日本でテロリストを追っていた方がずっと『面白そう』だ)


 狂犬は満足の最大化を求めるが故に、その手段について矛盾をきたした。

(否、もう決めたではないか)

 敵を信頼しよう、『本物の革命家』、それでいい。

 倉田はポケットからスキットルを取り出し、好物のバランタインを一口呷る。

 これまで真面目な警官を装ってきた、だからこっそりと持ってきた。経歴と人格が乖離していては潜入捜査は露見する。

 

 今回の同行人にゲリラはいない、だから酒をたしなむには好機だった。

 琥珀色の酒を舌で転がすとバニラのような香りが鼻を抜ける。少し開けた窓から草原の香りがする、決意の一杯には最高の肴だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る