黄金の湯

 「異世界でこれからの方針も決まってないのに温泉とは、少しばかり呑気すぎませんか」

 倉田は農家の空気を読みつつどうも温泉行きを回避したいようだ。たしかに呑気な気もする。しかし張り詰めた空気だからって会議の効率が上がる訳でもない。むしろ柔軟な発想が求められる場合もあるだろう。


「確かに温泉は呑気すぎるかもしれませんが、どうせ話し合う必要はあるんです。これって単なる場所の問題じゃないですか、やる気もでるし私はいいと思いますけど」

 耕助は自分の体臭もさることながら、この加齢臭漂う小さなプレハブで会議を続けるのも嫌だった。


 それに異世界に放り出された一同に必要なのは柔軟性だ、温泉はみなの脳を緩めるだろう。

「それに我々の食糧や農地の問題もあります。知恵を出し合うべき事案が山積してます。ならば多少でもいい環境で話し合うべきじゃないですか」

「昼食ならこちらでメイドに用意させている。倉田殿、ご足労頂ければ幸いです」

 ジュセリも耕助側についた。異世界組はどうもこちらのご機嫌を取りたいらしい。

 確かにご機嫌取りは重要だ。長期的スパンで考えれば耕助達が自発的に農業に取り組み、王国に貢献する方が望ましい。


「そこまで言われたらしかたない、全員でお邪魔させて頂くとしましょう」

 結局、倉田が折れる形で話がまとまった。


 ガタガタと揺れる荷車で一行はアノン家へと向かう。サスペンションがないから地面の凸凹が伝わってくる。ただ荷車自体は一応人が座れるようなベンチがついたものだった。


「あの、もっとマシな荷車ってないの」

 耕太がヘルサに話しかける。

「一台だけ、当主用のものでして、この人数は運べないのです」

 ヘルサは申し訳なさげに返す。

 

 昨日通った邸宅の門をくぐる、荷車は庭の端の方へと向かう。アノン家の庭に建てられている、大理石のような石で出来た一軒家が風呂場だった。

 ローマの遺跡、そんな感じの造りだ。なかなかの趣である。


 荘厳さはどう見ても貴族専用の建物だ。一行はその佇まいに気後れし、足を止める。

「こんな豪華な風呂想像つかなんだ。これ貴族様専用かね」

 後ずさりしながら小林組の班長がジュセリに尋ねる。

「いや、イムザ様はメイド、兵にも開放されておられる。イムザ様は寛容なお方なので」


「じゃあ、さっそく私達も入りますか。ところで女将さんはどこに」

「は、はぁ。風呂のメイドは中におりますが」

 ジュセリが戸惑いがちに返す、女将フェチ沢村の気迫は凄まじい。

「温泉専属のメイド、即ち女将ですよ、課長。いいなぁ、異世界なりのおもむきがある」

 余りにも熱い沢村にジュセリは気圧されている。異世界でも女将を求めるその情熱、真のマニアであると認めざるを得ない。


 沢村は何事にも熱心だった、農協反合併合併運動にも休暇の秘湯女将探しにも。

 合併反対のビラを一軒一軒を巡りながら配り、一方余暇では北海道中を駆け回り理想の女将を探し出そうとした。こうなってくるとマニア度は耕太よりも沢村の方が上である気がしてきた。


 「ささ、どうぞどうぞ」 

 面倒くさい客をあしらう様に、ジュセリは一行を脱衣所へと押し込んだ。

 沢村は昨日の耕太のはしゃぎっぷりよりも勢いがあった。沢村は調子の良いところがある。渡の脳天気とも違う、ギアが入るとでも言うのだろうか興味のあること、やる気のあることには一直線なのだ。

「では後程、昼食をご用意させて頂きますので、会食の場でお会いしましょう」

 ヘルサが一礼し、去った。


 「いらっしゃいまし、私ここの統括を命じられておりますミリネアと申します」

 脱衣所の入り口で女中、いやメイド、いや女将が頭を下げ出迎えた。


 不味い、彼女は沢村の好みにドンピシャのタイプだ、あいつ大騒ぎになるぞ。

 そのメイドは三十五位で沢村より年上、黒い髪には艶があり、すこし素朴な顔だが整っている、声は落ち着きと安心感を与える響きがあり、目の前に居てもくつろげるタイプの美人だ。

「この湯は源泉かけ流しでございますので、心行くままごゆるりとお寛ぎください」


 肝心の沢村はアタックを仕掛ける様子はない、どうした事だろう。

「おい、沢村お前の好みじゃないか。どうして話しかけないんだ」

 ミリネアには聞こえぬよう、服を脱ぎながら沢村に耳打ちする。

「課長、女将をいきなり落すなんて無粋中の無粋です。先ずは常連になるのが先です。話はそこからなんですよ、旅情と安心感のある、絶妙な関係になってからですね…… 」

「もういいよ、わかった。ただの奥手じゃなくてお前にこだわりがあるのは納得したよ」

 沢村の話を打ち切り、湯気が立ち込める浴場へと向かう。


 『黄金の湯』なんて謳い文句は日本の温泉では使い古されたキャッチコピーだ。夕日がキラキラと水面に映る露天風呂の写真、そんな広告は捨てる程溢れてる。

 だがこの風呂の黄金色は本物の金で輝いている、思わず感嘆の声があふれた。

どうも砂金が温泉に交じってあふれ出ているらしい。

 

 一行はよくよく体を流し、風呂につかる。

 どこか硫黄臭くやわらかい泉質、すこしばかりとろみもある、なかなかの湯だ。

 ちょっとぬるいが、かえって長風呂ができそうな心地よさ。

 「これ、底に泥と砂金が混じってますね。多分噴き出す途中で混じったんでしょう」

 温泉専門家沢村の分析が始まる、こいつは話し出すと止まらない所がある。

「地熱で暖められた地下水かな。でも、山はないから恐らく火山温泉じゃなくて、化石水温泉です。こんなやわらかい泉質滅多にないですよ」


 温泉マニアのご高説を聞き流しながら風呂場のつくりを見回す。

 だいたい二十人程がゆったりと入れる大きさの大浴槽が一つ、一人用の浴槽が一つある。

 きっと一人用はアノン家専用のものだろう、浴槽には丁寧に家紋らしきレリーフが刻まれている。


 こんなに白い大理石なのにカビが生えていない、かなり念入りに掃除されているようだ。

 建物内部は余り凝った造りではない、が磨き上げられた金の彫刻が飾られている。

 手桶があることから、体を洗う習慣はあるようだ。隅に籐椅子がおかれている。


 温泉そのものは体育座りで胸まで浸かれる深さ、底に沈殿した泥に包まれる感触が心地よい。

 粒子が細かくサラサラした泥は、砂金でキラキラと輝いている。耕助は一息つけると旧S町の異世界対策会議を再開することにした。


「で、倉田さんは銃の取り扱いについて取り決めたいそうで」

 ついに温泉会議が始まった、その様子ままるで温泉に浸かるニホンザルのやりとりみたいだ。

「ええ、銃は殺傷能力もありますし、危険な道具です。正直素人には持たせたくない」

 倉田は筋骨隆々とした体つきをしている。

「ですが、異世界に来てしまったとなると話は別です。どんな動物、それに化け物がいるかわからない」

「モンスターとかが居ても自然だし、自衛の為にも武器は必要だと思います」

 拓斗も具申した、彼は倉田とは対照的にしなやかな筋肉質だ。

「拓斗に賛成、俺たち剣なんて渡されても使えないし」

 まるで銃なら扱えるかの様な口ぶりで耕太も賛同する。


 「そう、剣と違い銃は目標の殺傷が容易です、だからこそ注意が必要なのです」

 倉田はまってましたと言わんばかりに切り返した。

「倉田さんよ、貴方の言いたいことはわかる、そう銃なら狙って引き金を引くだけだ。だけども剣技となると距離も詰まるし、体力も必要となる、弓矢も熟練が必要になる」

 専業猟師の斎藤が湯の中でストレッチしながらしゃべる。

「でも、あんたの最終的な意見がわからん。倉田さん、要はなにを言いたい」

「私がこの場で決めたいのは銃の使用目的、そして射手の決定要因についてです。緊急措置として、銃刀法の逸脱を認めるとしても銃の自由を無制限には許可できません」


「つまり、異世界に合わせた銃刀法に代わる取り決めをしたい、と」

 耕助は背中を伸ばしながら問うた。

「そうです、偶々ここには自衛官の拓斗君もいる。彼も銃を扱えるでしょう、ですが無制限に銃の所持、使用を許してはいけないでしょう」

「確かに、シビリアンコントロールと武器の管理は大切だねぇ」

 伊藤は意外にもニコニコと笑いながら倉田に同意した。この話題は長くなりそうだ。

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