親子
食後ほうじ茶をすすりながら、耕助、耕太、拓斗の三人は食卓を囲む。
(さてと、漸く耕太と向き合う時間ができた)
まだ寝るには早い、父親として言っておきたいこともあった。耕助にとって好機だ。
父親として言いたいこと――
「おい、耕太、お前はこの異世界でこれからどうするつもりだ」
なんて陳腐な言葉だろう。具体的ではなく、質問の意図も測り兼ねづらい。
だが、耕助にとっては今、これが精いっぱいの言葉だった。この異世界召還という非日常が突如現れた今、根を詰めた質問など浮かばない。
そもそも耕助は野良仕事をする父の姿を見て育った。勉強を教えられることはあっても人生について説法をうける事はめったに無かった。
耕助は実直な父の働く姿を見て素直にかっこいいと思い、農協へと就職した。
だから耕太も自分の働く姿を見せて育てるという教育方針であった。
だから、耕助がこういう話を耕太にするのは珍しいのだ。中々いい言葉が出てこないのはそうした理由もあってのことだった。
「異世界もののメインとしては勇者になるルートだと思うんだ、ちょうどそれくらいの歳だし。魔王と戦って、倒す方向性? でも異世界を旅するのもいいかもしれない。どっちにしても女の子要素は必要不可欠だね」
現実とフィクションを取り違えている、やっぱりバカだったか。
「お前は阿呆か。そんな夢見がちな話をしてどうするんだ」
「そもそも異世界召還が夢みたいなモノだからね。親父みたいに力を入れすぎても精神的にまいるだけだよ、楽天的にいこうよ」
「なるほどな、お前なりの考えがあると、まだ安心したよ」
本音だ、たしかにこの異常事態を真剣に受け止め続けるのは心労を溜める。耕太の言葉も案外的外れではなかった。
「だがな、きちんと出来ること、出来ないことの区別はつけろよ。特に魔王だかなんだかを倒すってのは俺達の仕事じゃないんだ。お前にはいずれなにかしらの仕事が言い渡す、そっちをしっかりやれよ。なにしろウチらは村社会だからな、サボると噂になるぞ」
「はいはい、わかりました」
「で、拓斗君は。人様の子に説教する気はないけど、一応聞いておきたくてね」
「はい、自分は完全に命令系統から寸断され、武装しておりません。今後、猟銃で武装するとしても、火力が足りないことには変わりありません。駐在さん達二人とハンター二人の指揮、指導の下でマンパワーを補填しようかと思っております」
なんと理想的な答えだろう、それをスラスラと述べる。耕太にもこれ位の力があってほしい。
「ほら、耕太拓斗君を見習え。この歳でももう立派に自分の身の置き方を知ってるぞ。勇者って現実逃避か何か知らないがもう少し、現実をだな……」
(だが、拓斗君は『できすぎ』だ)
拓斗の立派すぎる回答が達観を通り越し、どこか非人間的に聞こえたのも事実だ。耕太と拓斗が同級生とひとまとめにするには違和感がある。
(これが兵士というものか…… )
人間としてどこか歪な気もする、まるで機械のようなのである。
「じゃぁ、父さんはどうするつもりなのさ」
耕太が尋ねる。拓斗に関する違和感でわずかに動揺した隙を耕太は付いてきた。
「どうするって……、そりゃぁ土いじりに決まってるだろ。今までと変わらないぞ」
なるたけ父親の威厳というものを滲み出そうと努力する。今まで威厳というものを見せつけたことの無い耕助には至難の技だ。
「でも異世界と日本じゃ勝手が違いすぎるじゃん。それこそ単なる現実逃避だよ。今までの日常の延長でしか物事をはかれない。いや、はかりたく無いんだ」
耕太はほうじ茶をすすり、歌舞伎揚げを齧る。
「異世界だよ、海外で農業する以上の難易度だよ。それを今までと一緒って一括りにするのは立派な現実逃避だよ、もう少し身近な目標とかなにかないの。そうじゃないとツブれるよ、多分」
確かに、その通りかもしれない。勇者云々の方向性は別として意外と息子は成長していた。
S町の復興を目指すのははたして身近な目標と言えるだろうか。一度死んだ町だ、難易度は高い。が、絶対に成功してみせる。
「ふむ、確かにそれはあるかもしれない、ちょっと考えてみよう」
敵の首を討ち取ったかのように、どこか耕太は誇らしげだった。
(こうして子供は親を超えていくのか)
耕助は異世界でしみじみと感慨にふけっていた。
(だが勇者というのはどうかしてるぞ)
「そういえばおばさん、どちらにいらっしゃるんですか」
拓斗が皿洗いをしながら問うてくる。
「妻は今俺の親の介護で札幌に行ってる、農家のバァさんどもは温泉に慰安旅行だ」
「なんというか、運命ですねそれ。異世界召還から逃げてるみたいだ。温泉か、こんなことあるなら温泉入ってくればよかったな。千歳空港の中のスパ銭」
「いや、異世界だから温泉回はあるでしょ、たぶん」
「メタ的にはな。海があれば水着回もあるかもしれない」
耕太と拓斗は暗号文で会話している。
食器を下げている間に、妙なごみ袋を見つけた。こんなもの耕助は出した覚えがない、耕太のゴミか。
半透明のゴミ袋から『耕太へ』と書かれた女の文字が書かれた便せんが透けて見える。
こんな奴に手紙を出すのは耕太の彼女、澄佳しかいない。なんでそれを捨ててある。
「おい、耕太これ捨ててもいいのか、澄佳ちゃんからの手紙」
「あ、オヤジ……それ返せよ」
耕太ははっとした表情でそれを奪い取る。
「捨てるって、いい子じゃないか、別れたのか」
「オヤジには関係ねぇよ」
耕太気色ばむ。
(二人の間に何があったんだ)
耕太はごみ袋をひったくるなり二階へと駆け上がる、勢いよくドアが締まる音が響く。
「おじさん、今の耕太にアレは地雷ですよ」
拓斗は皿を洗いながら、小さい声で話す。
「澄佳、ホストに惚れて耕太のことフッたんですよ。おじさん知らなかったんですか。営舎で夜中に何度も電話されて苦労したんですよ」
意外だった。子供の少ない町では同じ年頃の子供は必然的に友達にならざるを得ない。澄佳は幼いころから耕太と仲が良かった、中学あたりで友情は恋に変わった。
澄佳はよく家にも遊びに来ていた、家庭菜園なんかも手伝ってくれる気立てのいい娘だった。
(それが札幌にでるなりホスト、か)
あまりにも非情な結末だ。耕助もさすがに言葉を失った。
「だから、これからは澄佳のことは禁句ですよ、おじさん」
拓斗はそう言い残すと、車から荷物を取り出す言い残し去っていった。
(ふむ、確かに長年連れ添った彼女がホストに奪われるとなると相当なショックだろう。何せあいつは香澄ちゃんしか女の子を知らないのだから)
なるほど、耕太がオタクになるのも耕助は理解できる気がした。
耕助は残ったほうじ茶を一気に飲み干すと耕太のいる二階へと向かう。
踊り場を曲がり、耕太の部屋の前へとたどり着いた。だがなんと言葉をかければいいのか。
悲劇的な失恋を耕助は経験したことが無い。だが、なんらかのフォローは必要だろう。
耕助は決心しドアをノックする、答えはない。
「父さんから言いたいことは一つだ」
返答はない、ただ耕太の涙交じりの荒い息遣いは何となく感じられた。
言いたいこと、それは異世界だろうと現実だろうと変わりはしない。
「ここは異世界でも現実だ、親より先に死ぬな。それさえ守れば勇者にでもなんでもなれ。そして生きて帰って母さんに自慢話の一つでもしてやろう、な」
これは耕助自身の決意でもあった、こんな理解できない事に巻き込まれて死にたくない。
(きっと現代に戻ってやる)
そう心に刻み、無言で耕太の部屋の前を後にする。
「おじさん、布団勝手に敷かせてもらいました。おやすみなさい」
一階から拓斗の声がする。普段なら身勝手な客のセリフだ。が今じゃそれは気遣いだ、これから布団を敷くのは面倒くさい。
眠気がかなり来ている、耕助は自室へと足を運ぶ。
耕助と三智枝はこの歳になっても一緒のクイーンサイズベッドで寝ている、部屋も広い。
風呂に入れないことにいまさら気が付いた、どうしようもない。
自分の体の臭いをかぐ。が、クサいかどうかはわからない。
明日からはドラム缶でも見つけてきて、五右衛門風呂にでもしよう。
まてよ、この世界じゃ鉄は金の価値を持っている。
こっちの世界の人間からすると鉄のドラム缶はきっと我々の黄金のバスタブと同じ価値だろう。
それなら鉄と金を交換して黄金風呂に浸かるってのもバブリーなロマンだ。
農作業後程ではないが土埃で汚れた作業服を脱ぎ、パジャマに着替える。布団に入ると普段ならすぐに寝付くはずの耕助の頭にはまだ血が昇っている。
(この昂りはなんなんだ、いつもよく寝付く筈なのに)
布団に入って一時間以上たった、普段は長くても三十分で寝付く。
(何故だ、なぜ寝付けない)。
異世界召喚されてもここは俺の家だ、布団も変わらない。
確かにいきなり異世界に呼び出されたのだから寝付けないのも当然かもしれない。
だが、これだけの寝付けなさはそれだけが理由なはずではないはずだ。
きっと召喚以外の理由がなにかあるに違いない。
その理由を見つけ出さなければ、きっと耕助は寝付けないだろう。
三智枝の趣味で作った木彫り時計の音が木霊する。
この一日、いろんな情報を一気に流し込まれた。
農協の取りつぶし、召喚、変な魔女っ娘、金と鉄、農民、魔王、戦争、凄い情報量だ。
その上、農業を再生させろ、か、ヘルサも随分と簡単に言ってくれたものだ。
その文句と裏腹に、耕助は興奮状態にあることを自覚した。
(同時にこれはチャンスだ。黄金によるS町の復興。それもS町が奮闘し手に入れる対価だ、S町の活躍は必要不欠。そのリーダーは俺だ)
耕助の愛郷心が燃えたぎる。
(大量の情報と、愛郷心の滾りが睡眠を邪魔しているんだ)
耕助は棚に置いてあるウィスキーに手を伸ばす。寝酒だ。七面鳥のラベルが貼られた酒瓶からコップへ琥珀色の液体をそそぎ、一口であおる。
寝付きの悪さの原因を自覚したことと寝酒で耕助はまもなく睡眠に落ちた。
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