革命家の寝床

 封建制度、そしてその先にあるであろう資本主義、そして社会主義。歴史の発展段階についての問題をどう解消するか、伊藤は一室で考え込んでいた。


 本棚には普通の小説や雑誌が並べられているが、読んだことは一度もない。

 肝心の資本論、共産党宣言、実践論、遊撃戦論、ゲバラ日記、ゲリラ戦争、腹腹時計その他諸々は隠し本棚にしまってある。潜入中はアシがつかないよう、一度手放した品々だ。隠居し、S町に住み着くようになってようやく『公然』と隠し持てるようになった。


 異世界に来てこれらの社会主義の書籍が役に立つ。

 読み返してこれからの方針を定める際の参考にしてもよし、翻訳して頒布できるなら尚良しだ。


 そもそも、伊藤に規定された教条はなかった。

 各国それぞれで労働者、生産の場といった下部階層の在り方は異なる、これを一括りにして一つの理論の元で革命を起こそうというのは当然無理な話である。

 だから伊藤の目指す理想の社会は共同体を軸にした労働と社会によって支払われる平等な対価を目指している。だが、その発展段階については偉大な革命家とも論を別とする。国ごとに実践方法は異なるからだ。

 そもそも社会主義社会の樹立という目的が重要なのであって、手段は重要ではない。


 だが、資本家すらいない領主、封建制国家の革命について実践論を思案したことはなかった。

 とにかく、王政と領主制を倒さねばならないことはわかっている。

 あのヘルサという娘も、イムザとかいう男も領民からの搾取によって成り立つ収奪者である。

 略取という点において、領主、貴族は山賊となんら変わりはないのだ。

 

 だが、王政を廃し、表面的平等を成しえた市民革命もその後の資本家制度への移行は免れ得ない。

 機械が発明されば十年、いや魔導の力で直ぐにでもブルジョアジーが生まれるだろう。


 (そうだ、この世界には機械はなくとも魔導がある、あれは確かに便利だが危険だ)

 人々は魔導の力の元に、機械の部品めいた労働を強いられることになるだろう。

 そう、工業機械が魔導に成り代わり、魔導士が資本家となる。

 それでは現在の封建制度と何が違うのか、賃金奴隷と化した分性質が悪いかもしれない。


 賃金奴隷、貨幣という媒介で労働力と資本家を平等な売り手買い手と欺瞞する幻影。だが、実際労働者はその賃金が不等価交換により、搾取される。

 しかし、生活の為であるとか、より高い地位を目指すには『奴隷』の如く働かざるを得ない。マルクスによる指摘はもっともである。


 だからこそ、失敗した『革命』が多いものの社会主義は世界的な広がりをもつ思想になった。

 だが、この領地ではそれも難しいだろう。

 余りにも領主が信頼されすぎている。

(では都市市民革命を主軸にするか。ダメだ、ブルジョアジーの発展を助長するだけだ)


 それを抑止するのは農民を主体とした革命を行う他ないだろう。ジャガイモが農民の生産性を向上させ、それが革命の原動力となる。

 だが、それは原始共産制に回帰するだけではないか。

 再び奴隷制度を復興させるだけの浅はかな考えではないか。


 伊藤は熱くなっていた、かつて本当に日本で革命を起こそうとしていた時の様に。

 毛沢東の個人崇拝主義を批判し、内ゲバを繰り広げるセクトには対話を促した。

 自身も暴力革命の準備をしながらも、先鋭化する連合赤軍を押しとどめようとした。

 すべては革命の為だ、人民からの理解がなければ革命は成しえないという信念があった。

 だが、総中流化と学生の武闘路線化により日本国民の感情と革命勢力は乖離した。

(アレをもう一度やってはならぬ、社会主義を打ち立てるためにも)

 伊藤は布団に横になり穏やかな目で、しかし熱い闘志を天井にぶつけていた。


「異世界、か――」

 ぼそりと伊藤は一人呟く。鈴石課長の息子は『転生』だと言っていた、成程これは転生かもしれない。

 革命に失敗した俺にもう一度機会が与えられたのだ、これを逃してはならない。

 革命は俺の個人的欲求ではない。これは共産、社会主義というイデオロギーが試されているのだ。

 異世界の地、歴史的段階という壁を乗り越えて革命が達成できるか、維持できるか。

 そしてそれは果たして人民の為になるのか。異世界で共産、社会主義の真価が問われている。


 この世界における社会主義の肝は魔導かもしれない。魔導を共有の生産手段化することで、資本主義を通り越し、魔導社会主義社会を成立できる。

 魔導士は農民の生産した作物に依存せざるを得ない、農民もまた魔導士に依存する。

 共依存の関係を維持し、互いの生産物を共有化することで社会主義社会に近づけるのではないか。

 その為には先ず魔導を知る必要がある、今後の偵察目標に加えよう。

 身分制と魔導、これが今後の主軸となる。

 

 そう言えば魔導士にも階級があるらしいことは会話の端々から伝わっていた。

 もしかしたら魔導士の中にも身分制があり、それへの恨みを抱いている者がいるかもしれない。

 彼らをうまく使えばより革命は力強く進歩するだろう。


 伊藤は少し熱くなりすぎた自分に気が付く。

(いかんいかん、これでは寝る時間を削ってしまう)

 不眠は革命戦士の敵だ。ゲバラも「よく寝る兵士が優れた兵士」だと言っていたではないか。


 異世界を偵察中の身としては、常に思考を研ぎ澄ませる必要がある。そのためには十分な睡眠が必要不可欠だ。

 伊藤は少し厚い布団をはねのけると、本格的に寝る体制になった。


【追記】

『唯物史観』(私なりの簡単な見解です。多分ツッコミどころ満載

社会は一定の法則、即ち経済的な関係が変化することで発展するという考え方。

基本的には下部構造、即ち経済が発展し、それが現存の政治体制を追い越した時に革命が起こる。

 人々が共に生産物を共有していた原始共産制が始まり。権力者による暴力で下部構造を強制的に使役した奴隷制。土地の私有等一定程度の自由が認められた封建制度。明日の生活のために能動的に奴隷の様に成り下がり、人間が機械の一部のように扱われる賃金奴隷を生み出す資本主義社会、そしてその先に生産手段を共有化し、個々人の能力に応じて働き、平等な対価を得られる社会主義社会が訪れるという歴史観である。

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