末は博士か大臣か

将軍達の決裂

 ダスクは執務室、否ある種の作戦本部と化したアノン家客室に閉じこもっていた、魔王軍と交戦する前線と後方に居るダスクとの間に生じた乖離を解消するためだ。

 魔導文で交信する為ほぼ即時的な対話が可能となる、このことは軍事的に大いに有利を生み出す。特に詳細な情報が剥ぎ取られ、戦略、戦術レベルで即時的な判断が求められる将官クラスでは、情報があくまで文章に依る所は隠れた長所として働いている。細かすぎる情報は返って判断を遅らせるという面を孕んでいるからである。

 こうしたやりとりは多いときは二日に一回、少なくとも四日に一回は設けられている。


 だが今日のそれは普段と空気が異なっていた。

「ええい、前線は後方を全く理解しておらん。戦場で勝てば戦に勝てると思っておる、大きな過ちじゃ」

 ダスクは今し方届いた魔導文を忌々しく投げ出す、魔導文の転送を取り仕切るリンタはそれを半ば狼狽しながら宥めようとしている。

 だが、その試みも無駄なようだ。リンタは応援に呼んだペスタに鎮静作用のあるミヘナの茶を入れるよう指示を出す。


「何故だ、何故そこまで戦果を早く求める、この戦争は絶滅戦争ぞ。腹を据えて、魔族を確実に根絶やしにしなければならない戦、最早目先の戦勝では満たせぬこと位理解していると思ったが」

 ダスクは椅子に座り直すとペンを取り、紙に向かい直る。


『我が軍の疲弊は重々承知の上、再度具申致す。本戦争の要であるジャガイモはその生産性、満腹感十分に優れるものであり、その普及は戦争終結後の王国復興を担うものと考える。よって今回の生産量に満足することなく、拡大再生産に回すべきであると判断する。この判断は戦争行為に囚われものではなく、国家の戦略的観点に立ったものであり王国の覇権を確たるものにすべく政治的見地を含んだものでもある。必要とあらば早馬にてアノン領への視察をお願いする。このジャガイモなる作物を理解し、賢明なる御再考をお待ち申し上げる』

 ダスクはそう書き付けるとその紙を鍵の付いた黒塗りの箱に入れ、リンタに手渡す。

 この箱こそが通信内容の機密を保全し、かつ通信相手が鍵を持った限られた人間同士であることを担保する。この小箱の鍵を持つのはダスク、王国を支える鉄家御三家の一つにして軍事を受け持つグンズ家のアビル、そしてジュセリの母ジュビネ、以上の参謀本部の首領のみである。

 リンタは恭しくそれを受け取ると転移魔導で最前線へと送り届ける。


 ダスクに送り付けられた魔導文は要するに今あるジャガイモを前線に送り、そのそれによる戦力補充を以て大決戦を行うモノである。


 遠く離れた前線のジュビネとアビルが発案者である。

 その遠く離れた前線ではその二人もまた嘆いていた。

「ジュビネ、ダスクはまさか後方で臆病風に吹かれたという訳ではあるまいな」

 ジュビネは軽いため息をつきながら、たった今送り届けられた魔導文を黙読している。

「軍神に限ってまさか、と言いたいところだが」

 アビルは頬杖をついて自らがしたためた文章を読むジュビネを眺めている。

「だが、絶対にそうではないと言い切れないのが恐ろしい所である」

 ジュビネは読んでいた文章をアビルに手渡す。

 一読したアビルも遂にため息を漏らした。


「最近のダスクの行動は最早軍事ではなく、農業のそれぞ。スラッタ派には農業に勤しめと檄文を飛ばす、加速魔導は前線から引き抜く。前線では撤退戦に向けた兵力温存ではないかという懸念から士気低下の噂もある」

「我が軍に下がる程の士気があったとは驚きだ」

 ジュビネは苦々しげに吐き出す。

「先日の輜重兵への奇襲といい、百人隊の包囲殲滅といい魔王軍も戦術を変えつつある。それも急速に、だ。我々も行動を早めなくてはならないのは必然だろう、それが我々の共通した認識で良いな、ジュビネ」

 アビルはダスクからの手紙を放り出し、ジュビネの顔色をうかがう。

「無論だ、攻撃において速度に勝る威力はない。騎兵のダスクであれば重々承知していようなものだがな。だが、輜重兵の生き残りを引き抜いたり彼の行動はあまりにも奇妙だ。飯の番など態々兵科に組み込んでやるべきかということすら懐疑的だと言うのに」

 ジュビネは不満を露わにし、その縦巻き髪を撫で上げる。


「では共通の見解として植え付け前のジャガイモを再生産出来る量で再度植え付け。残りは全て戦力補充に回すよう『命令』するか。いくら軍神とはいえ鉄家の副領主と騎士団団長の言葉には逆らえまいて」

 アビルは憂鬱げにつぶやく。

「それしかないが、それはダスクとの関係を完全に崩壊させるぞ。今後、軍人として忠実であったとしても、一人間とは信用されなくなる。本当にそれでいいのか」

 ジュビネはやや気色ばみ、椅子から腰を浮かせアビルに迫る。

「構わないだろう、本当の軍隊というのはそう言うものだ。彼はあくまで下位貴族から生まれた英雄に過ぎん、上意下達も出来ずして何が軍人だ。それに人間の信頼など戦後に回復すればいいではないか」

 アビルは頑として持論を崩す気はないのを示すよう、大きな所作で足を組んだ。


「承知、した」

 ジュビネは力なく椅子に座り直す。

「何か不満でも」

「不満、というより不安だな」

 ジュビネはパイプを取り出すと、葉を詰め始める。

「ほう、それは何故」

 アビルは興味深そうにジュビネの真意を探ろうと、彼女の目を覗き込む。

「彼は恐らくこの命令を受け取れば、恐らく遅延工作を行う。彼は何をやってのけるか解らない、貴殿もそのことはパロヌ会戦で知っているだろう」

 アビルは無言で頷く。

「それが彼と我々の亀裂を否が応でも明らかにする、隠蔽できぬ程にな。士気は当然下がるだろう、なにせ軍神が去りゆくのだから。それだけではない、彼は我々には持ち得ないフットワークの軽さがある、底知れぬ戦略眼と共に重要な能力だ。果たして我々だけで戦線維持は可能なのか」

「当然、他の人材で補完する、と言いたいところだが彼以上の逸材もいないのも確かだ」

 アビルは深くため息を吐き出す。


「だが、彼が懸念される遅延工作を行うこと自体、重大な軍紀違反である。これは看過するすることの出来ぬ問題だ。士気低下に関しては貴様の言っていたではないか、我が軍は食料も無くこれ以上下がりようも無いほど士気は低下しておる、悲しいかな問題は無いといえば無いのだ」

 ジュビネはパイプに火をつけると、独特のリズムで呼吸をし、火だねを大きくする。

「そして、人材としての問題だが、軍律に従えぬ者が果たしてそもそもからして軍人として優秀な人材か疑問があろうに。ここは一致した命令を出し、彼を動かす他あるまい」

 この言葉にはジュビネへの言外の非難も匂わせていた、ジュビネは従う他あるまい。

 ジュビネは軽く紫煙を口元から漂わせる。

「委細承知した、共同の命令としてこれを通達しよう。従卒、筆を」

 ジュビネは従卒から筆と紙を受け取ると書をしたため始めた。


 この文章が耕助の命運を大きく左右することになるとは誰も知る由もなかった。


【捕捉】

1話から改稿し始めますのでその間投稿はお休みさせていただきます。

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