命令、背反
アノン家の食堂は紫煙で一杯になる。耕助、ユミナ、コリムが一斉に煙草を吸っているからだ。
「空気入れ替えましょうか」
ヴェルディが尋ねる。
「そうですね、そうしましょ」
ヴェルディは頷き、窓を開ける。新鮮な空気が一気に流れ込む。煙草臭い空気が流れ出る。
「久々の煙草はやっぱり良いわね。ちょっとキツいけど」
コリムは紫煙を吐き出す。
「これはニコチン、タールも重いしね。ああ、ニコチンって言うのは」
「ニコチンは知っているわ。煙草の何が人間に作用するのか分析するよう頼まれたことがあってね、合成できれば煙草葉が不足した今大もうけ出来ると思った貴族がいて。尤も合成はできなかった訳だけど」
「意外、ニコチンなんて知られてないかと思ったけど」
(微生物については無知なのに、ニコチンは知っている。この世界の化学はアンバランスな発展をしているんだな)
耕助はふとそんな事を思う。
「で、ゴブリンの骨、糞便による堆肥で肥料は大丈夫なの?」
コリムが尋ねる。彼女のため口にも耕助は慣れつつある。
「ええ、現状出来るのはそれが最大限の努力でしょう。ゴブリンの骨については誰に依頼すればいいかな」
「ジュビネは言う事聞かないかもしれません、ジャガイモで対立したばかりですし」
ヘルサは苦々しく呟く。ジュビネはアノン家の騎士団長であり、ジュセリの母。だがアノン家の命令を無視し、ジャガイモ接収を決心した。農業大臣となり、接収を回避した耕助の事は快く思っていない筈だ。
「参謀本部と反目している今、兵士に骨あさりをさせるのは簡単ではないかもしれん」
ユミナもその難しさについては同意らしい。
「そんなこと言っても仕方ない、協力を仰ぎましょう。なんならジャガイモを融通したって良い」
「うまくいくとは思えないがな」
「フェリアさん、ヘルサさん名義で参謀本部に魔導文を。兵の一部に骨拾いを命令するよう依頼を。兵糧は融通すると伝えてください」
「畏まりました」
フェリアは頷き、上質な紙を取り出す。だが美辞麗句を並べることなく、端的に書き付ける。軍人との連絡において気遣いは無用ということだろう。
※
ジュビネは幕内で髪を梳かしている。風呂にはしばらく入っていない、本来美しい艶を放つブロンドはくすんでいた。だが気品ある縦ロールは健在、ジュビネは戦場における紅一点の地位を保っている。しかしジュビネが醸す武闘のオーラが男を寄せ付けない。
「ジュビネ副参謀! ヘルサ様より魔導文です!」
従卒が天幕の外から大声で告げる。
「ヘルサ様? 入れ」
従卒は天幕に入り、敬礼。そして魔導文を手渡す。
ジュビネはアノン家の命令を逸脱し、ジャガイモの接収を断行しようと画策した。本来、ジュビネはアノン家の騎士であるからジャガイモ普及という政策に従うべきであった。だが、参謀本部は早期決戦という戦略をとっている、ジュビネはアノン家に背いた。夫を魔王との戦いで亡くし、復讐心に燃えていることもジュビネを魔王討伐優先の判断に至らせた。私怨を戦争に持ち込んだのだ、参謀として褒められた行為ではない。
だから今回の魔導文はアノン家による懲罰ないし召喚の命令だとジュビネは思った、だが予想は裏切られる。
「ゴブリンの骨を集めて転送しろ? なんだこの命令は」
「は、農業で使うとか」
「骨を? 事は私の想定外だ。どうしたものかな…… 食糧は補給を受けられると」
ジュビネは困惑を隠せない。確かにゴブリンの死骸は大量に転がっている、それを送るだけで食糧が得られるのであれば下がっている士気も回復できるだろう。だが、骨をどんな風に利用するのかは想像が及ばない。
「貴様はどう思う」
ジュビネは従卒に尋ねる。
「そうですね、ジャガイモの接収について副参謀はアノン家の命に背きました。無論、参謀本部の決定ではあったものの背いた事実は変わりません。それを勘案に入れると、アノン家への忠誠を示す良い機会だと小官は思います」
「ふむ、そうだな。忠誠を示す機会か」
「はい、アノン家から離れ従軍している現在、貴重な機会です。食糧も得られるのであれば部隊の士気も上がります。逃す手はありません」
「そうだな。よろしい、では従うと連絡を。百人隊分の食糧を確実に送るよう付け加えてな。飢えている現状、食糧が無ければ骨拾いもできん」
「了解。魔導文を送ります」
従卒は敬礼し、天幕を出る。
(ゴブリンの骨か、パロヌ塩湖まで下がれば大量に手に入る。だが、部隊を撤退させる事はアビルに相談せねばなるまいな)
アビルは鉄家グンズの副領主、参謀総長である。
(勝手な後退は命令系統から逸脱する。それは避けねばなるまい)
ジュビネはアビルに会うため天幕を出る、春の穏やかな日差しがくすんだ肌を照らす。ジュビネは若干目をしかめ、歩み始める。ジュビネを見つけた兵士達は起立、敬礼を送る。ジュビネはラフな答礼を返しながらアビルの天幕へと進む。
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