帰途
耕助と倉田は葉巻と蒸留酒を、ヘルサはカクテル、耕太はナム酒を楽しむ。飢餓の世にあって最大限の贅沢と言っても過言では無いだろう。葉巻一つとっても大臣の俸給の五分の一にも当たる額だ。葉巻の灰が伸びる。
一行がアノン家別邸に着く頃にはヘルサは半分寝ていた。ヘルサはジュセリが支えないと歩けない、だがそれは幸いなことである。なぜなら明日の朝の出発、ジュセリは御者兼護衛である。深夜まで付き添わなければならなくなればジュセリの労は計り知れない。
「鈴石さん、もう灰を落としてもいいでしょう。トントンとはじく様に落とすのが良い。この葉巻は確かに旨い。ふむ、えぐみの無い、良い苦みだ」
倉田の言葉に従い耕助は葉巻をトントンと弾き灰を落とす。確かに苦みが出てきた、優しい渋みとも言える。くどく無く、いがらさも感じない。
「親父、葉巻似合わない。倉田さんみたいなハードボイルドな人の方が似合うね」
酒で頬を赤らめた耕太がいたずらっぽく耕助をからかう。
「ハードボイルドね、元刑事ってだけで所詮は公務員だよ。それよりも鈴石さんはいまや大臣閣下だ。お父さんの方が私よりも似合う地位にある」
「そうだ、父さんは大臣、貴族様。そこをわきまえろよ」
耕助は冗談っぽく受け流す。
「おしゃけ、無くなちゃった」
ヘルサは顔面を弛緩させ、空のゴブレットを眺める。
「お言葉ですが、これ以上お飲みになられても後が辛いだけでございます」
ミラが諫言する。
「でもぉ」
ヘルサは口をへの字にしてミラを軽くにらむ。
(酔ったヘルサの介抱はジュセリに任せれば良い、だが潰れた状態で運ぶのは流石に荷が重いだろう。ジュセリは明日からずっと御者の仕事がある、多少でも楽をさせてやりたい)
「そろそろ限界でしょう、お開きにしましょうか」
耕助の言葉にヘルサが強いにらみを効かせる。
「別邸にもスミナの蒸留酒があるでしょ。それを飲めばいい」
「ほうですね、そうしましょ。ごちそうさまでした」
ヘルサが椅子から立ち上がる。
「本日は当店をお選びいただき誠にありがとうございました」
ミラは深々と礼をする。
「こちらこそ。どれも手が込んでいて美味しかった。お酒に葉巻、ありがたくいただきました」
「お支払いはまた後日、シルタ家より伝票をお送りいたします。では出口までご案内いたします」
ミラを先導に一同は歩む。
出口ではジュセリとフェリアが待っていた。
「嗚呼! ヘルサ様! そんなに酔っぱらって!」
ジュセリは悲鳴を上げる。
「よってましぇん! よってるけど!」
ヘルサは千鳥足、平衡感覚もないらしい。
(これで二日酔いにならないっていうんだから相当強いな)
耕助は改めてヘルサの肝臓の強さに感嘆を覚える。
ジュセリはヘルサの脇を支える。
「鈴石殿、どうして止めてくださらなかった」
ジュセリが恨みがましい視線を耕助に向ける。
「いや、明日から禁酒生活でしょ。若いのに酒ぐらいしか楽しみがないって言うからかわいそうだなと思ったんだけど。ここまでとはね、申し訳ない」
耕助は両手を合わせ、ジュセリを拝む。
「まぁ、仕方のない事です、ある程度は想像していましたし」
ジュセリは諦念を顔に浮かべる。
一行はフェリアの案内で王都を進む、ヘルサが酔っぱらっているから低速だ。
外の新鮮な空気で葉巻の味わいが変化する、バニラの香りの中にうっすらとシナモンのようなスパイシーな味わいが混じる。
「葉巻、外で吸うとまた違った味わいですね」
「風もないから葉巻をふかすのにはちょうどいい。空気が変わると味も変化する」
肩にショットガンを吊るし、がっしりとしたガタイの倉田には葉巻がよく似合う。耕太の言う通りハードボイルドだ。
(確かに俺には葉巻は似合わないかもしれない、貧乏くさいし)
耕助は葉巻を吸っている自分の姿をイメージする。
(オールバックがせめてもの救いか。それ以外はダメだ。痩せこけてるし、風体というものがよろしくない)
葉巻は半分ほどになった。
「こういうのって火を消して、また吸うものなんですか」
耕助は倉田に尋ねる。
「それをやると貧乏くさい、味も雑味が混じる。おすすめしません」
「そういうものですか、なら吸いきってしまいましょう。道は長いのだし」
耕助は葉巻を咥える。紫煙をゆっくりと吸い込み、口で転がす。芳醇な香りが口いっぱいに広がる。香りを楽しんだのち、ゆっくりと吐き出す。
「葉巻、吸ってみたいぃ」
ジュセリに支えられたヘルサがうなるようにつぶやき、耕助の方に手を伸ばす。
「未成年の喫煙、まぁヘルゴラントじゃ問題ないのか。でも咽るよ、絶対。それが原因で吐いちゃうかも、やっぱりダメだね」
耕助は葉巻を持ち上げ、ヘルサから遠ざける。
「そうですよ、ヘルサ様。それに煙草は貴重品、今からハマると余計な出費が増えるだけです」
ジュセリは首を横に振る。
「もう、わかりました! みんな意地悪!」
ヘルサは面倒くさい酔い方だ、耕助の手に余る。
「家着いたら飲みなおそう、だから機嫌悪くしないで。ね」
「しょうですねぇ。ジュセリ、付き合いなさい」
「鈴石殿!そんな事をおっしゃられても困ります!」
ジュセリは悲痛な面持ちとなる。
「ヘルサさん、私が付き合おう。ジュセリさんには明日御者をやってもらわねばならぬ」
倉田がジュセリに助け船を出す。
「うーん、ジュセリがいいんだけど。まぁいいわぁ」
ヘルサはそれを最後に言葉が途切れる。限界だったのだ。
一行は夜の王都をゆっくりと進む。
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