ジャガイモサーガ
亀吉くん
プロローグ
とある農協の死
ふるびれ、どこかほこり臭い部屋、二人の男が相対していた。応接用のソファーは使われていない。壮年の男は立っており、事務机に悠然と座る初老の男に迫る勢いだ。
「組合長、農協合併の件ですがご再考いただけませんか。最後にもう一度」
壮年の男は姿勢こそ威圧的だが口調は丁寧。男は軽くオールバック、白髪が交じり痩せ気味である。頬はこけており、肌もハリが無い。
「鈴石課長、くどいぞ。U市農協への合併前日に今更何を言う」
組合長と呼ばれた男が耕助を睨み、不快そうに答えた。組合長の頭は僅かに白髪をのこし禿げて、てかっている。
「しかし、越冬芋は順調に成熟中です。それをブランド化、六次産業を目指せばU市農協と合併せずとも独立は可能です。六次化に協力してくれる農家も確保済みです」
耕助は食い下がる。表情は必死、疲労も相まって四十六歳ながら老けて見える。秋も終わりだと言うのに耕助の額には汗が浮かぶ。
「だが、その農家も爺さん婆さんばかりだろう。ああいうのは若者の視点、体力があって初めて成り立つものだ。六次化をコンサルに依頼する金も無い。独力の六次化、そんなその場しのぎが通用しないこと位わかるだろう」
組合長は鼻毛を抜き始めた。
「その場しのぎがうまくいくかもしれません、可能性があるなら試すべきです。それから合併しても遅くは――」
なおも耕助は食い下がる、だがその言葉を組合長は遮る。
「旧S町はもう手遅れだ。そもそもS町なんてものはもはや存在しない、U市に合併されたじゃないか。町が合併した時点で農協の合併は当然だろう。いいか、旧S町の衰退は農業だけの話じゃない、政治、行政、経済、全部が過疎化の影響を受けている。むしろ今まで農協が独立していた事を評価したいぐらいだ」
組合長は鼻毛を抜く手を止める。事務椅子をぐるりと回し窓から景色を眺める。
景色と言ってもたいしたものではない。ほどんど車の無い駐車場が広がるだけ。付け加えるなら、かつて使われていたボロボロのバス停、チラホラとシャッターの閉まった廃屋が見える。それでもこの旧S町農協本店は比較的栄えている方だ。耕助が普段務めている営農課の事務所の周辺は畑か藪しかない。
「独立抗戦派だかなんだか知らんが現実を見ろ。農協というのは情けだけで成り立つ組織ではない。これで話は終わりだ。出て行け」
組合長の口調には怒気が含まれている。
(最早打つ手無しか)
耕助は最後に空元気で振り絞った覇気無くし、うなだれた、最早病人にすら見えるだろう。
耕助は無言で組合長室を辞する。
(U市に合併されたら俺は真っ先にリストラされるだろう、最後まで合併に反対していた人間を受け入れる筈が無い。だが旧S町に新しい仕事なんてない、何をして生きていけばいいんだ。家のローンはまだ残ってるし、耕太の教育費も捻出しないと。工場労働に転向するには歳が歳だし……)
耕助は今後の我が身を思い、道筋の見えない絶望感に包まれた。心から愛する地元、S町の衰退は耕助のメンタルにも影響を与えている。
(もう、悩んでいても仕方が無いか…… 事務所に戻るとしよう、残務処理が待っている)
耕助は旧S町農協本店を出るため廊下を歩く。この本店は主に共済や不動産といった経済事業を担当する。耕助が働く営農指導課は農地の側に建てられたプレハブだ。
「鈴石ぃ。次の仕事どうするんだ、ええ? まさか合併しても農協で働けるとは思ってないだろうな」
突如としてイヤミっぽい言葉が投げかけられる、声の主はU市とコネのある職員だった。耕助はそれを無視して進む。
(構うだけ無駄だ)
耕助は玄関から外に出た、冷たい風が吹いている。
(今日は初雪が降るって言ってたな。インナー重ね着して正解だった)
耕助は自動車に乗り込み、エンジンをかける。
※
車で二十分ほど走り、耕助は営農指導課がある事務所にたどり着く。プレハブの事務所には作物や農薬を保存する倉庫が隣接し、ガソリンスタンドも兼ねている。施設は全体的に錆や汚れが目立ち侘しい。
耕助は車から降りて、事務所の扉を開く。事務所に中年の女性がいた。きつめのパーマ、薄茶色のサングラスに厚化粧。妙なうさんくささを発するこの女性は
「駄目でした」
耕助は力ない声で端的に説明した。
「組合長への直訴が駄目となるともう打つ手はないわね。鈴石課長は最後まで頑張った、仕方がないわよ。おつかれさま」
マダムの声はただただ優しく、同情なんて安っぽいものは混じっていない。
「慰労会で気分転換しましょう、そろそろみんな集まる時間だわ」
「そうですね、私は最後に倉庫を見てきます。最後のお別れを」
マダムは耕助の言葉に頷く。耕助は事務所を出て倉庫へと向かう。
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