慰労会

 北海道での秋と冬、その区別はとても難しい。

 なにせ秋空が冬空に変わるのはほんの一瞬の内に済んでしまう。雪が降り始めると木の葉が落ちるのも一日やそこらで済むことすらある。北海道の秋は羽化した蝉の命の様に短い。


 今日はそんな風に冬が訪れた日であった。


 耕助は今年獲れた越冬ジャガイモに肥料、加えて農薬で満タンの倉庫で一人たたずんでいる。

 普段は伽藍堂とまでいかなくても、ほとんど農作物や農業用品が置かれることのない寂しい倉庫。だから耕助はこの収穫をもっと喜んでいてもいいはずなのだ。驚喜乱舞とまではいかなくとも、哀愁を背中に漂わせる耕助の姿は農協としては嬉しい光景と釣り合わない。


 これらのジャガイモは本来、越冬イモとして付加価値を付けて売る筈だった。

 これまでに無かったS町農協の越冬芋の試み。零細農協が生存のために練りだした方策は残念ながら遅すぎ、農協は明日合併する。

 

 だから耕助は普段空っぽの倉庫が満たされた様を見てとてもじゃないが喜べない。むしろ耕助のぽっかりと空いた心の穴に悔しさ、虚しさが轟々と音を立てて流れ込んでいく。

 耕助は今にも叫び出したい位には悔しかった。愛する土地が、他人に乗っ取られるのだ。

 

 道東に位置するここ旧S町は去年U市に合併された。理由は単純だ。人口縮小に伴う行政効率の向上の為である。少子高齢化の国家的な大波はここ道東の町を飲み込んだ。今や若い世代はいない。


 農協の合併、それは農家と各農協拠点の物理的距離が遠くなり利便性を押し下げ、農家は大ダメージを被ることになる。

 この問題は自治体合併による負の影響に近い。

 自治体合併の弊害、例えば車にはねられた動物の死骸が道に落ちていたとする。それを処理してもらおうにも合併後の行政が受け持つ土地が広すぎる。結果行政サービスが追いつかず肝心の死骸が長期間放置されていたりするのだ。

 行政の合併というものは細々とした問題が塵も積もれば山となり、住民の不満へ繋がる。そして住民は居を移し、さらに過疎化するという負のスパイラルを生み出す。


 問題が行政ではなく、農協になるとどうなるか。 農家の生活基盤を破壊されるのだ。更に悪いことにU市農協は女王バチの如く吸収した農協の甘い蜜だけ吸い取る。


 他の農協がたどってきた道、いくつかの市町村ではU市による合併により既に農業インフラが機能不全を抱えている。

 利権を奪われ、義務を押しつけられたS町は事実上破棄されることになるのだ。

 この資材庫と併設されたガソリンスタンドの中身をU市農協が強奪したら、旧S町農協施設は放置され機能を喪失する。

 

 つまり、元S町農協と提携していた農家は遠いU市農協まで出向いて種いもやら農薬を買うことになる。

 ただでさえ過疎が進んでいるS町は、本当にただの荒れ地と化すだろう。耕作放棄地は大量にうみだされることは間違い無い。


「こんなことになって本当にすまない」

 耕助はジャガイモの山に向かって一人頭を下げて詫びた。深く、そして時を忘れるほど長く。

 

 越冬芋の発案者は耕助である、合併への動きをなこの一冬をなんとかしのぎ、来年の春夏を徹底抗戦する戦略を取ろうとした。

 だが、過疎化という根本問題には勝てなかった。S町の若者からすると札幌、東京は夢の町だ。

 一日中開いているコンビニも、乗り遅れる事が死活問題ではない程度の頻度で運行されている電車も、共に未来を描く同年代の友人もこの町にはない。

 耕助の息子、耕太も札幌の大学へ通っている。はっきり言えば旧S町には若者を惹き付ける魅力はない。そんな土地へ息子を無理矢理縛り付けるのは一種の呪いである、そのことは耕助自身もわかっている。だからこそ、耕助は息子の札幌行きを許した。


 耕助は愛すべき地元の死を頭では解っているのだ、だが心はそうはいかない。


 ジャガイモ達への別れと謝罪を済ませた耕助は重い足取りで資材庫を後にした。

 べたつく雪が降っていた。

(なんでこんな日に限って初雪なのだろう)

 耕助は内心ぼやく。足を止め、憎々しげに空を暫しにらむ。三秒ほど経っただろうか、耕助は再び足をすすめる。

 

 ぐしゃぐしゃと足音をたてながら、耕助は事務所へと戻った。うっすらと積もった雪には足跡が刻まれる。

 事務所は一応防寒仕様。が、それでも冬空では寒いからストーブが点いていた。燃やされた灯油の匂いが排気口から立ちこめている。


 普段は人の出入りの少ない空寒い事務所にはしみったれてはいるが活気がある。中には農協職員二名と耕助と付き合いのある農家四人、そして警官二人が居た。


「耕ちゃん、お疲れ様でした」

 いかにも好好爺といった男が皺の刻まれた手を差し出す。もう少しで齢七十になろうかという日に焼けた平たい顔の男。


 この男は伊藤いとう秀一しゅういち。道外出身、退職後に農家を志し移住してきた。『悠々自適のスローライフ』の文句につられる者も少なくない。だからままある話でもあるのだが。農業の『の』の字わからない伊藤を、農家の次男坊の耕助は助言し、手助けした。


 ただ、伊藤は頑として化学肥料と農薬の使用は拒否した。まるで信仰している宗教の禁忌にふれるが如く。

 農協の営農指導課長である耕助としては正直な所、完全有機栽培というのはそれなりにブランド、資本力のある農家ではないとやっていけないというのが持論だ。農協の規格を満たさない作物は自前の販路も作らなければならない。


 これだけ聞くとずいぶんと健康的な生活だ、だが他の農家から言わせると『所詮』趣味農家なのである。敷地も大した面積がある訳でもなく、少量の作物を謎の販路を使って売っている、それだけだ。

 

「耕ちゃんが悪いわけじゃない、これは、日本社会の縮図なんだよ」

 酒で顔をすこし赤らめた伊藤が耕助の肩をつかみ、慰めの言葉をかける。

 伊藤は時々政治を語る癖がある。これは耕助の予想だが多分インテリ崩れだ。だが、前職はよくわからない。


「そうですよ、鈴石課長は悪くありませんから。もう運命みたいなものなの」

 お茶をすすっていた女性が肩をくすませた。

 彼女はJAパート職員でどこか悟りを開いたような雰囲気を醸し出す中年、石屋幸子。

 結構な歳の筈だと耕助は思っている。耕助はマダム採用の時履歴書を読んだ筈だが年齢は覚えていない。アラフィフはとうの昔に過ぎただろう。


 警官を除くここにいる農協、農家は全員U市JA合併へ徹底抗戦したメンバー。

 農協の死を『運命』だと評したマダムも抗戦派の一味、マダム曰く『黙ってるだけじゃより悪い運命を引き寄せるから』だそうだ。 


 だが、反対運動において肝心の存在である旧S町農協組合長は金で買われたのか直ぐにU市農協への合併に飛びついてしまった。

  結局いつの間にか課長の耕助が抗戦派のリーダになってしまったのだ、元々この組織で課長クラスで反対したのは耕助だけである。

 

 元来、地元生まれの郷土愛が耕助は合併を良しとしなかった。今回の件は久々に耕助が能動的に何かしらの決心をしたと思う。元々空気に流されやすいところがあった、リーダーシップを発揮することはこれまでほとんど無かったと思う。


 だが、伊藤がそこを突き、リーダーへと後押しした。猛プッシュであった、酒を送る、採れた野菜を送る、そうした細かい贈り物をする度に「これで終わって本当にいいのかい」と背中を押した。


「その、私もこの結果を申し訳なく思います、大変申し訳ありませんでした」

 耕助は頭を下げる。が誰も責めはしない、それどころか頭を下げ返す者の方が多かった。

「課長の力不足や責任だなんてだれも言いませんよ、さっき運命っていったでしょ。それに問題だったのは組合長よ」

 マダムは吐き捨てる。

「私の色気でかどわかして、組合長を抱いてやればよかったかしら」

 幸子は古臭いセクシーポーズをとると乾いた、だがどこかほっとする様な笑いが起き葬式くさい雰囲気が少しは和らいだ。

 耕助の悔しさ、悲しみも幾ばくかはマシになった。同じ土地で過ごした仲間達の言葉というのはそれだけ重みがある。

「そういってくださると、ありがたいです」

 耕助はマダムに軽く一礼した。



【補足】



『越冬いも』


 敢えて雪のが積もった地中や倉庫で保存することで糖度を増したジャガイモ。


 北海道のスーパーで春先から売り出される、ちょっとだけ割高だが美味しい。


 とにかく美味しい、同じ品種、産地でも別格の甘ウマ。



『JA』


 全中、全農等政治的ニュースで話題にもなる巨大組織、の反面小さな田舎農協もある訳で……

 本作のS町JAは典型的な田舎JA、簡単に纏めると農家にタネ、農薬等を売り、作物をまとめて売る。

 その際手数料を農家から徴収し、販売、流通の代行を行なっている。


 所によってはブランド化や付加価値等の六次産業化を担っている地域もある。

 だがS町JAは基本的に過疎地の為競争力も低く、これと言った組織努力も行なっていない、というかその力が無かった。

 唯一、耕助ら合併反対派が越冬いもを作ろうとしたが時すでに遅し、合併の運命が決まっていた。



『農協の合併』

 弱小農協をより大きな農協が合併する。それまで通りのサービスが行われればマシ、正直切り捨てられる面が大きい。そもそも受け皿からすれば、赤字や競争力の低い農協を引き受けてやるといった目線になる。


 この為、合併により農協との距離感が広がる農家は少なくない。

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