【番外編】逃避行

(――北海道の海は鉛色だと聞いていたけど、本当ね)

 白い帽子を目深にかぶった女はフェリーのデッキから海を眺める。

 歳の割に整った肌で、一見すると女優のようなオーラを放っている。

 だが、その美貌は地味な服装で押し隠されている。

 

 逃避行にはフェリーというイメージが女にはあった。


 でも女は少し後悔している、雑魚寝部屋はトラック運転手の酒盛り場だった。

(酒臭くてかなわないし、旅情もない。もともと旅情なんて必要のない行程なのだけれども)


 港を出た時からカモメが餌目当てで船についてくる。

 女はそのカモメが鬱陶しかった、が酒盛りの匂いよりはマシだった。他人から自分はどう見られているのだろう、女は気になった。

(少し不思議な旅人か、それとも……)


 女は指名手配されていた。

 正確に表現するならば、警視庁の極一部から目の敵にされている。

 女は所謂占い、加持祈祷を生業としていた。していた、というのも現在は廃業中という意味である。


 小さい時から失せもの探しは得意だった。近所の子供が失くしたおもちゃを探し、その日の小遣いを頂戴するというちょっとした商売もやってのけていた程である。

 幼いころから、彼女は自分の能力が商売になると気が付いていた。


 だが、二十を超えるまでそんな商売をどう成り立たせるかまで頭は回らなかった。

 女は上京し、親戚の小料理屋で働き始めた、これが転換となる。


 彼女の意外な能力を買った資産家がパトロンとなり、『宗教』を始めることになった。

 宗教といっても、ありふれた新興宗教のように教祖を崇め奉るものではない。占い師のちょっとしたグレードアップ版である。


 女は今から思うと、占い師でやめておけばよかったと後悔している。確かに占い師よりも教祖の方が金回りはよかった。

 外車も買ったし、郊外にちょっとした宗教施設も作れた。

 だが、教祖になってしまったから、追われる身となったのである。


 いつの間にかカモメが消えていた、陸地へ戻っていったのだろうか。

 それとも別の船に乗り換えたのか、どちらにせよデッキにいるのは彼女ひとりだ。

 酷く分厚い塗装が施された柵にもたれかかり、海を眺める。

 荒っぽい潮風が彼女を洗い流す、だが突きつけられた罪状までは清算してくれない。


 女にかけられた罪状は「詐欺罪」、霊感商法ではなかなか刑事事件にはならない。

 そもそも、彼女は詐欺をしていない。失せもの探しは本当に見つけ出すし、加持祈祷もそれなりに効果がある。


 この警察の対応には予想外の要素がいくつも重なり合っていた。一つの依頼が、その引き金である。


 依頼人は子供を堕したばかりの女だった。ひどく落ち込んでいたのは鮮明に覚えている。

 曰く、交際相手は妻子がいることを隠し、不倫をしていたのだろうという。そして堕したと同時に姿をくらませた、身元を探してほしいとの依頼だった。


 相手とは酒場で会い意気投合した、いつも会うのは夜だったという。

 休日なども時々あったが彼の生活を知らないことに手術を終えてから気が付いたらしい。

 彼の部屋はやけに生活感がなく小ぎれいだった、渡された名刺の会社を訪ねてもそんな人間はいないという。


「あんな男、とっちめないと私みたいな人が増えるから……」

 依頼人は泣いて、教祖に縋り付いた。依頼は受けることにした、同じ女として男を許せなかった。


「それらしさ」を醸し出すため、神道じみた祈祷の茶番をこなし、第六感を働かせる。

 脳裏には、一人の男が狭いオフィスで仕事をしているのが見えた、職場の住所も判った。


 狭い割にやたらと厳重な警備のオフィスである、それに繁華街にある。男は一人で、どこかと頻繁に連絡を取っていた。

 多分ヤクザな男だろう、それくらいは察しがついた。

 依頼人にそれでも彼を追い詰めるのかと問うと、彼女は力強くうなずいた。だから女にそのオフィスの場所を伝えた。


 その翌日から不審な車が宗教施設を監視し始めた。教祖も自信の直感で危険を察知した。

 きっとヤクザが攻めてくる、一度身を隠そう。

(なに、ヤクザよりも宗教の方が怖いということを教えてやる)

 その位にしか思わなかった。


 手頃な荷物をそろえ、信者にはちょっと修行をしてくると言い残し立ち去った。

 それが一か月前のことだ。


 だが問題は相手だった、ヤクザならまだましだった。

 相手は警官だった、それも『普通のお巡りさん』ではなかった。占い師はどうも警察の公安とか外事やらとかいう『桜のタブー』に触れてしまったのだ。

 オフィスだと思った場所はどうも警察の『秘密基地』だったらしい。

 そこに捨てた女が駆けずりこんだ、そして相手に事のいきさつをぶちまけたらしい。

 当然秘密基地は閉鎖、それを見つけ出した教祖は『スパイ』ないし『危険分子』となった。


 霊感商法の詐欺罪で指名手配されたことは新聞で知った。

(別件逮捕もいいところ、でも――逃げなきゃ)

 それだけしか浮かばなかった。

 教祖の勘がそう告げていた、きっと普通の詐欺罪では考えられないような苦痛がまっている。

 尋問もきついだろう。

(もしかしたら他の罪で長々と塀の中で暮らさなきゃならないかも)


 そして元教祖は今、海の上にいる。

 東京へはもう戻れないかもしれない、いや戻れないだろう。鉛色の海の彼方に逃げても安全とは限らない。

 でも、東京で逃げ回るよりはきっと楽なはず、そう思っていた。


 風が強くなった、元教祖は船内に戻る。ロビーには北海道の地図が掲げられている。

(広い土地、どこへ逃げればいいかしら)


 S町、その表示が偶然目に飛び込んだ。

 勘が働いた。

(ここならある程度安住できる。よし、ここに住もう)

 元教祖は自らの脳に従い即決した。

 ちょっとした札束は持ってきている、安い北海道の土地なら用意できるだろう。


 女教祖は売店に立ち寄った、サングラスを買い求める。

(そうだ、いっそのこと厚い化粧をすれば人相もかわるんじゃないかしら)

これまで、化粧を殆どしたことのない教祖は逆転の発想に至った。

 歳を経ながらも清楚な印象を残した彼女にとって、化粧は必要のないものだった。


 売店には大きな石のはまった指輪が置いてある、誰が買うのだろう。不思議に思いつつ、教祖は何故かそれも買い求めた。


 北海道銘菓が目線に入る。

(――「雪の恋人」ね)

 潜伏するからには偽名が必要になる。

(そうだこの菓子メーカーからとって「石屋」を苗字にしよう)


 本のコーナーに立ち寄ると占い師の本が置いてある。

 占い師の名は「大木 幸子」、そうね幸子、なんだか縁起がいい。


 私は今日から石屋幸子。

 そしてあのS町で生活してみよう。

 仕事は、簡単なものでいいわ。


 この五年後、パートタイムで農協に勤めていた彼女は異世界へと飛ばされるのである。

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