葛藤と後悔

 浮遊小屋は王都へ向けて一直線に走る。加速魔導もあり速度は八十キロ以上だ。アスファルトで舗装されている訳でも無いから自動車ではこの速度を出せない。異世界の魔導が現代技術に勝っているのだ。


 耕助は浮遊小屋の中で憔悴しきっていた。耕助自慢の作業着は吐瀉物にまみれている、だが着替える心の余裕はない。


 銃床打撃が効いた、未だに腹が鈍く痛む。

 だが最大の悩みの種は耕太が殺人者になった事、その事実を受け止めきれないでいる。

(俺が王都行きなんて勧めなかったら、耕太の手は汚れずに済んだ。なんて俺は浅はかだったんだ)

 耕助は後悔の念にとりつかれている。王都行きは耕太の気分転換になると思い、軽率にさそった。賊に襲われるとは思いもしなかった。


 異世界の残酷な側面にとりつかれ、戦闘訓練を行う耕太をリラックスさせるつもりだった。なのに、殺人という一生ついて回る業を背負わせてしまった。例え、正当防衛、法で裁かれなくとも殺人は殺人である。平和な日本に戻っても、その過去は拭い去れないだろう。


 耕助は無言である、耕太になんと声をかけるべきかわからない。正当防衛だ、殺人を咎めるのは何かが違う。だが、『よくやった』と褒めるべきでもない。それに、なにを言っても殺人という経歴は消せないこと位耕助もわかっている。

(耕太が人を殺した。耕太が、殺人を行った……)

 延々と思考がループする。


 一方の耕太も無言、戦闘を振り返っている。

(護衛騎士の到着がなければ、リロードの瞬間に敵に殺されていただろうな。もっと強くならないと)

 耕太は先ほどの『黒の手』が異世界でも精鋭の特殊部隊であることを知らない。だから、今回以上の戦闘が今後待ち受けているのではないかと疑っている。


 耕太には人を殺した事への恐怖感や悔恨はない。否、深層心理では殺人は良くないことだと思っている。

(正当防衛、みんなの命を守ったまでだ。父さんがどう思おうと正しい判断だったんだ。確かに俺は警察でも、自衛隊でもない。だけど、襲ってくる連中はそんなのおかまいなしだ。ここは平和な日本では無い。俺が戦わなきゃこのキャラバンは死んでただろう)

 だから、己の行動の合理化をすることで自分をなんとか保っている。


 耕太には人を撃つ覚悟はあった。だが、いざその時を迎えおののいているのは確かである。


「なんとか脱せたようだな。ようやく気が落ち着いてきた」

 倉田は煙草をとりだし、火をつける。

「洗濯しなければならないな、謁見の前に着替えたい。ヘルサさん、魔導で夏服の替えを送るよう伝えてくれませんか。鈴石さんの作業着も含めて」

「承りました」

 ヘルサが紙に記す。倉田は奇襲で小屋が揺れた時、頭から酔い止めの生薬を被った。不快そうに顔を拭う。


「あんた、人を殺してよく平然としていられるな」

 耕助は倉田をにらみつける。

「温泉で決めたでしょう、我々日本人を害する者は全て殲滅すると。鈴石さん、あなたも賛成したはずだ」

 倉田は煙草を吹かす。

「それとも何か、自分の息子だけは手を汚させないなんて思っていたのか。俺やジュセリだけが人を殺せばいいと」

「それはあんたの仕事だ、だが耕太は違う」

「そんな生やさしい話、この世界では通用しない。耕太君が戦わなければあなたも死んでいたかも知れないんだぞ」

 倉田は淡々と述べる。


「そんな事わかってる! 」

 耕助は叫ぶ。ジュセリが不安げに小窓から顔を覗かせる。倉田はたばこをもみ消す。

「言い過ぎました。ちょっと頭に血がのぼってるようだ。本職も、鈴石さん、あなたもです。一度頭を冷やしましょう」

 耕助の怒りを押さえる為か、倉田はへりくだる。


 再び静寂が小屋をつつむ。ヘルサも目をおとす、ヘルサが召喚しなければ耕太は手を汚さずに済んだのだ。その責任をヘルサは感じている。

 異世界人、すなわち耕助達日本人の倫理観は召喚前に学んでいた。召喚後に耕助達を御する為にはそうした知識も必要だとイムザは判断したのだ。ヘルサも僅かながら、日本の事を学んだ。

 日本は殺人も戦争も無い平和な世の中。だから殺人は最も罪の重い行為の一つ。だから耕助達が黙りこくるのも無理無い話だとヘルサは知っている。そして己の罪を感じていた。


「些か匂いますね、絨毯も変えましょう」

 ゴルムが鼻をつまむ。吐瀉物、胃液の匂いが小屋に充満していた。

「転送魔導で絨毯だけ抜き取ります、転倒などにお気をつけを」

 ゴルムは絨毯に手をかざし、転送する。

「アノン家へ送りました、洗濯が済めば転送されてくるでしょう」


 ヘルサが座るベッドの上に光りが灯る。耕助の作業着、そして倉田の夏制服、そして体を拭うためのタオルが送られてきた。

「着替えましょう、鈴石課長。ゲロまみれで過ごすのは精神衛生上よろしくない」

 倉田は服を脱ぎ、入念に体を拭いて着替える。


 だが、耕助は動けない。座りこんだままである。

「ほら、課長。タオルです。体を拭いてください」

 倉田は耕助を引っ張り、立たせ、タオルを渡す。

「今は葛藤していても構いませんよ。ですが葛藤と気に病むのは違います。耕太君が人殺しをしたことは変わりません。でも、それを引きずり続けるのははっきり言って無駄です。それに王都に向かう今、しゃんとしないでどうするんですか。S町のリーダーじゃないですか、あなたは」


 倉田の言葉に従い、耕助は無言で着替える。撥水仕様の作業服だから下着にまでは吐瀉物はしみこんでいない。上着だけ着替える。着替えただけでも、僅かに心持ちが回復する気がした。


「ほら着替えるだけでも少しはマシな気分になったでしょう。毅然とした態度で国王に会うのです。悩むのはそれが終わってからでも遅くはないでしょう」

 倉田が助言する。確かにその通りだが、耕助の思考は耕太の殺人に縛られている。

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