【解説】兵站と魔導、軍事技術

 前回は六十万という軍勢があながち非現実的ではないという事を説明しました。さて、ここからが兵站、つまり補給の話になります。

 軍隊は飯を食らいます、ハードワーク、若いこともあって大量のカロリーが必要となります。


 現実世界における近世の軍隊は略奪と従軍商人により補給をなりたたせていました。

 ナショナリズムの確立、国民軍編成以前、軍は給与を職業軍人に支払い、兵士はそれを武具や食料の購入に充てていました。戦争には商人、洗濯女が従軍し、定期市も開かれることもあったようです。しかし、給与では兵士を満たせる訳ではありません。給与は膨大な額に上り、列強といえども財政を圧迫しました。

 侵略の場合、進軍し敵地の農村から徴発を行うことは自軍の支出を減らし、敵の懐にもダメージを与えられ一石二鳥。しかし、長居はできません。略奪し尽くしてしまえば兵を満たせなくなります。

 従って当時の指揮官は徴発による補給を前提に作戦を組むことになります、補給という足かせが作戦を左右したのです。徴発を繰り返しながら進軍することになります。従って陣を張り、戦線を築くというのは大変に難しいことでした。


 しかし、ヘルゴラント王国には転移魔導という切り札があります。後方と前線の物流を瞬時に結ぶ強力な手段で、現在の物流網を凌駕する能力を持っています。外洋航行可能な船舶、鉄道、航空機の発明による物流網の構築の段階をすっとばしての大事業です。膨大な輜重兵は魔導師一人で置き換わります。瞬時の距離を無視した補給は軍事の発達を現実世界のそれの進歩よりも早めたことは確かです。ただ、平和の強制の為に軍事的な技術が特出して発展している訳ではありません。あくまで転移魔導に付随して発達したにとどまります。


 また魔王軍という略奪が効かない敵に際し、後方から安定した補給が不可欠です。先ほども述べたとおり、中世、近世の補給は略奪抜きでは語れないのです。ですから転移魔導は生命線です。加えて主な家畜であるフヌバは足が細く、重量物を運ぶのは困難。

 魔導が無ければ補給は人力に頼ることになります。転移魔導がなければ輜重兵を編成しなければならず、戦闘要員は半減します。


 転移魔導なしにパロヌ塩湖会戦のような大規模戦闘は不可能でした。特出した騎兵隊によるゴブリン軍撤退路の要所であった隘路の遮断は補給がなければ実現できませんし、大量の歩兵による戦列による包囲もできなかったでしょう。

 パロヌ塩湖を奪還できず、塩という必要な栄養素を失い、またゴブリン主力軍の包囲殲滅が出来なかったと想定するとヘルゴラント王国は劣勢を強いられていたでしょう。現状、戦線は停滞していますが防戦ではありません。魔王軍の主力をパロヌ塩湖会戦で殲滅したことにより、魔王軍は攻勢に出ることを不可能にしたのです。


 一方で転移魔導による補給の安定は慢心をもたらしました。冷害により後方の生産が滞るのは想定外でした。後方からの補給は当然のものと捉えていた参謀本部はここで窮地を迎えます。満足に食糧を得られず、戦闘不可能な遊軍を生み出すことになりました。スミナはカロリーが高く、また小雨でも育つため貴族は単一栽培を進めました。

 農業大臣であったユミナが備蓄を開始した事は幾ばくかの時間的猶予を生み出しました、が根本解決には至りません。


 兵の腹を満たすには戦場を農地に変えるというオプションもあります、しかし種となるスミナを飢餓に際した兵士に渡す訳にはいきません。農兵は僅かな食料を食い潰し、生存するだけの遊兵に成り下がりました。種をも食らう可能性があるのです。ですからジャガイモという新たな作物を後方で育て、前線に行き渡らせるというダスクの決心は正しいと言えるでしょう。

(しかし、転移魔導の強みにより、最悪の状況は避けられている事も明記しなければなりません。少ないながらも安定した食事の提供は飢餓による脱走兵や物資の奪い合いを予防し、規律の維持を可能にしています)


 ここで一つの疑問が浮かびます。何故参謀本部がジャガイモの接収を急ぎ、短期決戦を挑もうというのかという点です。作中では耕助達「ジャガイモ普及派」の視座から描かれており、ジャガイモ接収は一見非合理的な決心に思えます。


 ここで重要になるのは『平和の強制による軍事力の低さ』、『パロヌ塩湖会戦における勝利に連続し決戦を強要、魔王軍の早期撃破という意思決定』の二つです。


 平和の強制により、ヘルゴランド王国は大軍を率いる術を失いました。参謀本部は六〇万の軍勢を生かす戦法を知らないのです。パロヌ塩湖会戦はダスクの機転によって『偶然』包囲殲滅が出来たにすぎません。魔導文という高度な連絡手段をもってして尚、それを生かした軍事作戦を行える能力が欠如しています。そこで参謀本部は一番単純な全軍の総進撃による状況の打破をはかっているのです。

 また、時間が経つにつれ魔王軍は勢力を回復します。ゴブリンの繁殖は早く、早々に叩かなければまた軍団が再編され、大規模戦闘が起こるでしょう。しかし、冷害による兵士の疲弊は王国軍を不利に陥れます。従って早期決戦による魔王軍の殲滅は軍事的に照らし合わせれば合理的なのです。もっとも、ダスクが指摘したように、これは内政を軽んじた判断でもあります。


 確かに戦闘要員を選りすぐり、参謀本部の指揮能力に合わせた軍事行動という選択肢もあります。ですが、主力を撃破され、ゲリラ戦に転じた魔王軍を叩いて回るのは至難の業です。一挙に全戦力を回復させ、戦列を前進させ鏖殺するという選択肢を選んだのです。


 パロヌ塩湖の勝利は人類に希望を与える象徴的な意味を持ちます。冷害さえ無ければ王国軍は魔王首都への攻勢を続けられたと参謀本部は分析しています。


 解説回、如何でしたでしょうか。不勉強な面も多いと思いますが、今後も農業、軍事、政治について学び、本作を充実させて行きたいと思います。今後も解説回を挟むでしょう、本作を楽しむ上で一助となれば幸いです。

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