【解説】六十万という軍勢

 解説第三回は『軍事、とりわけ兵站と魔導』にテーマを絞ります。兵站は農業と関わりがあり、今後重要なファクターになるでしょう。また、耕助が召喚される前の魔王との戦争についても説明します。

 参考にした本は『補給戦 何が勝敗を決定するのか』(マーチン・ファン・クレフェルト著)、『戦争論』(クラウセビッツ著)です。いささか近代的な視座ではありますが、ヘルゴラント王国の軍政は存外に近代的です。それについても後々説明します。

 現在、魔王軍と対峙する人類の編成は十五万の王室近衛と鉄家の常備軍、そして四十五万の領主直属騎士並びに農兵からなっています。

 まず、この六十万という数字に先ずは視点を向けましょう。ちなみにこの人数には従軍する商人や娼婦といった非戦闘員も含まれます。実際に戦闘する兵士は四十万ほどでしょう(それでも現実と比べると戦闘要員の人数は多いです。その点については後に述べます)


 参考になる数字をあげましょう。現実世界の十七世紀フランスがピーク時で戦時体制下、四十万の軍を誇りました。十七世紀は『十七世紀の危機』と呼ばれる大変な時代でした。その前の十六世紀はルネサンス、植民地の獲得、人口増加でヨーロッパは栄えました。また火薬の発明により、銃という新たな武器が生まれ、常備軍が組織され近代国家の柱となる軍事革命と呼ばれる革新も起こりました。

 しかし十六世紀末から小氷河期、ペストの蔓延など社会的安定が失われました。また三十年戦争(カトリックとプロテスタントによる宗教戦争。ヨーロッパ中の国家が参戦し、総計百万の軍勢が争った)を代表に戦乱が続きます。

 以上を踏まえると先ほど述べたフランスピーク時四十万の軍勢というのは戦乱の世であったからこその数字です、加えて全ての兵士が前線に居るわけではないことも覚えておかねばなりません。となると魔王軍と対峙する四十万という数字は大きいように思えます。


 しかし、現実における近世の戦争とヘルゴラント王国における魔王との戦争の形態の違いに目を向けなければなりません。

 クラウセビッツは『戦争は政治の延長』と述べています、戦争は外交の手段なのです。日本人にとっては無条件降伏がどうしても頭に浮かびますが、敵対国が存続した状態で自国の戦略的目標を講和で達成することも可能なのです。戦争は決して敵の殲滅が目的ではありません、政治目標の達成が目的です。講和という外交手段により目標は達成できるのです。


 しかし、ヘルゴラント王国の魔王との戦争は講和を結べるものではありません、敵は意思疎通が不可能な魔王です。魔王は元魔導師だと作中で述べましたが、その目的は全世界の支配です。当然、ヘルゴラント王国を殲滅するのが『戦争の目的』になります、これでは講和は結べません。戦争は政治や様々な要因により「修正」を受けます。

 政治目標によっては動員する兵力を減らし、僅かな被害でも「敗北」を受け入れることもあります。しかし、ヘルゴラント王国の存続という国家生命を賭けた戦争では最大限の戦力を投入する必要があります、魔王との戦争は無制限に近しいものになります、当然大規模な戦力を回す必要があります。


 突如現れた魔王との戦争は人類の劣勢から始まりました。平和を強制する為に必要最小限の軍備しか整えていなかったこと、そして対人戦と勝手が違うことも王国にマイナス要素でした。特に寡兵の影響は大きく、ついに要衝パロヌ塩湖を占領されました。また武器の類いは発達が遅れ、魔王との戦いは現実世界のそれり困難なものと言えるかも知れません。兵器は戦争によって発達します、血の連盟による平和の強制はそれを阻害しました。単純な槍を装備した農兵による槍衾が主力であり、職業軍人である弓兵、騎兵の数は限られます。次回の説明になりますが、軍人も六十万という数字を捌き切れていません。有効に使える兵士の数は減ります。

(一方で魔導の存在も考慮に入れなければなりません、ペスタが使うような斬撃魔導等、銃や大砲に頼らない遠距離攻撃、範囲攻撃を可能にします。また加速魔導も歩兵、騎兵の行動速度を向上させ、高度な金床戦術、包囲殲滅を可能にしました。騎馬の運用に関しては進撃速度で有名なナポレオンを上回る戦術を生み出せます。また魔導は火砲の様に運搬が必要という訳ではありません、戦力の機動力は近世のそれを上回ります


 そこで国家生命を賭けて王国は徴兵を許し、貴族に報償を出す方針をとりました。冷害以前の判断であり、またパロヌ塩湖という一大生産地の奪還という目的には適切な決心だと言えます。またスミナの育成も順調であり、徴兵による生産力の低下は軽視されました。


 しかし、領主は軍功を焦る余り必要以上の動員を行いました。前回述べた通り王家が率いる血の連盟は平和を強制しています。しかし、それは貴族の待遇が固定化されていることの裏返しです。貴族にとって出世の道が限られる中、この軍功による報償、昇格は喉から手がでるほど重要な機会です。貴族は兵士に仕立て上げられる若い農奴を全て投入するという極端な手段をとりました。結果、六十万という超大規模な軍隊が生まれました。

 国家存続という戦争目的の重要さ、そして貴族のリターンを鑑みた場合、六十万という数字はあながち無理のある数字ではないと言えるでしょう。


 大軍を投入した結果、パロヌ塩湖会戦では勝利を収めます。ダスクの大規模機動騎士団による退路の遮断、大軍による包囲殲滅戦が行われ、人類は勝利を収めます。ここまでは順調です、しかし冷害が起きました。


 軍を編成するということは食糧を確保する必要があります。賠償金、新たな領地の獲得などの収益はあっても軍人というものは産業に携わらないと言う点で非生産人口です。生産人口である農民を徴兵するとなるとその影響は大きいものになります。ここで兵站の話になるのですが、次回に回そうと思います。

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