ダベるのは無駄ではない
耕助はアラーム音で目が覚め、大きくあくびをしてあたりを見回す。耕助は今、農協事務所にいることがわかった。
「父さん起きた?」
耕太が耕助の顔を覗き込む。
「お前の好きな異世界転生とやらの夢だ。あーよく寝た、変な夢だったな。ウチ帰るか、大学の単位の話とかお前には説教してやりたいこと沢山あるんだからな」
耕助はぐしゃぐしゃと髪を掻きむしる。
「父さん、異世界転生はアニメでも、漫画でも夢でもなくて現実なんだって。それに大学行きたくても無理だよ、ここは異世界なんだから」
耕太はあきれ顔で肩をすくめた。
耕助が北側の窓を眺めるとやはり日高山脈は見えない。
(これが異世界か。夢、妄想ではなかったんだな)
寝ぼけ眼の耕助はようやく現実を受け入れた。
耕助かるく伸びをして、開け放たれた窓から周囲を見渡す。遠くに見えるはずの山脈はなく、依然として西洋風の甲冑を着込んだ兵士が周りを取り囲んでいる。いよいよもって、耕助はここが異世界なのだと認めざるを得なかった。
異世界にいるという認識は耕助がリーダー役となる前に持つべきであった、だが如何せん耕助は『危機管理能力』という言葉とは無縁の仕事を送ってきたから仕方の無いことではある――無論、豊作不作、疫病、害虫の類いに関しては論を別にするが。
(時計は当てにならない、時間は他の手段に頼って推し量るしかない)
耕助は開け放った窓から身を乗り出し天を眺める。太陽は頭の上あたりに差し掛かっていた。異世界召喚が起きたのは午後十時あたり、その直後西側の窓から太陽が昇り始めた。
事務所の時計は午前五時を指しているのに、今はお昼の真っ最中。尤も、この惑星の大きさ、恒星との距離、自転公転その他諸々の条件を耕助は知る由も無く、正確な時間は察する事すらできない。
(魔導師を名乗る少女、兵士たちの姿、合わない時間、やっぱりここは異世界なのだ。耕太がいなければ異世界転生とやらの理解はもっと遅れただろう。それも漫画、アニメの知識であって、この現実で通用するかは不明だが)
睡眠とアルコール分解ドリンクのお陰で耕助の酔いはすっきり醒めていた。
(一先ずヘルサの説明の間、泥酔、爆睡していた農家の爺様方や沢村に状況を伝えねばなるまい。彼らはこの状況を理解できるだろうか)
耕助は振り返る、皆はしゃっきりと覚醒しているように見える。一人だけ沢村が二日酔いの様にぼーっとしている、サッパリとした醤油顔イケメンの顔が脱力し、完全に弛緩している。
沢村は農協事務所に併設したガソリンスタンドの農協職員。若手、そうは言っても三十を超えている。
沢村の良いところはイケメンでありながら、表情がどこか人間臭い所だ。こんな田舎にいても不思議では無い、そんな印象を相手に与える。
「マダム、おはよう御座います」
「課長、おはようございます。みんな起こしてますよ、私から説明しましたけど」
マダムがコーヒーを片手に事務椅子にどっかりと座り込んでいた、口に煙草をくわえている。
「説明は難しいわこりゃ、これ。爺さん達はお祭りだっていうし沢村は新手の嫌がらせだと」
本来禁煙の事務所でマダムはふぅーっと紫煙を噴きだした。異世界だから自由にさせろと言わんばかりである。
(この肝っ玉はどこから生み出されたものなのだろうか)
「沢村は傑作よ、U市農協がこのプレハブ東西逆にしたから西側の窓から太陽が昇ってるって。完全に二日酔い、ダメ、使い物になりゃしない」
この珍回答に耕助は力なく笑うしかなかった。
「はーぁ、電波もねぇ、水もねぇ、ガスもねぇ。おまわり酒でべーろべろ。魔導師いきなり一度来る。おらこんな世界いやだ」
マダムはどこか達観した顔で往年の歌謡曲をもじる。
「俺は転生だかなんだか知らないけどね、ここが元のS町じゃないことには賛成だ」
農家の中でも最も作付面積の多く、そして若い藤井が反異世界派をどうにか説得しようとしている。藤井のバックには耕太、倉田、伊藤が付いている様だ。
「だってこの陽気はおかしいっしょ、これは春だよ。冬だったのに、おかしいじゃないの」
藤井は長年にわたる生活の経験からこれを異常だと断じた。
「ほら、最近話題のエスカルゴ現象じゃないの。温暖化だよ温暖化」
農協合併反抗農家の中でも中堅の七十五を超えた原井が生半可な知識で否定する。無論エスカルゴではなく、エルニーニョだ。
「あの兵士たちが持っていた武器は本物だ、決して町おこしの類じゃない」
圧のある声で倉田が説得しようとする。
「倉田さん、あんな槍が本物だなんてありえないよ。気にしすぎ、気にしすぎ」
能天気な渡が手をひらひらとさせる。警察官の間でも意見が分かれている。
「あのボロボロの服を見たでしょ、あれは相当に使い古したものだよ。仮装なんかじゃない」
伊藤がつとめて冷静に、別の視点から説得を試みる。
「ズダ袋でも持ち出したんだべ、槍といい最近の町おこしも凝ってるなぁ」
最長老の西木がそれを一蹴する。
「異世界転生だって何回も言ってるじゃん、爺さん方もいい加減理解してよ」
耕太はもうウンザリしていた。
(お前の説明にも父さんはウンザリしてるぞ。少しお前の趣味嗜好から離れて説明すれば良い物を)
「転生転生って、ワシャまだ死んどらんぞ、失礼臭い。耕ちゃん、息子さんどうなってるの」
憤慨した西木が耕太をたしなめる。耕助の予想通り話が全くまとまらない。
「耕ちゃん、どうなのよ。あんたどう思う」
転生否定派の首領に収まった原井が耕助にすがる。
「うーん、正直僕も確信には至らぬもので、ちょっと確かめてきます」
耕助にはそれしか手段がない。
「確かめるって、どうやってです。あの兵隊がいる限り包囲網は突破できませんよ」
倉田が訝し気に顔を寄せる。
「発砲、包囲網の突破は出来かねます。これだけ『人質』がいるのです、戦闘というオプションはとれませんよ」
戦闘、その殺気だった声に耕助の背筋が総毛立つ。
(倉田は一体何者なのだろう)
だが、耕助が勘案した『オプション』は戦闘とは真逆のものである。早鐘を打つ心臓を休めるため、一呼吸置いて言葉を紡ぐ。
「本人に聞くんですよ、あのヘルサとかいう女の子に」
耕助は倉田に向かってサムズアップする。お引き取り願ったヘルサを呼び出すためのサインだ。
「あの娘を信用してるんですか。確かに彼女以外、この状況を説明できる人間は居ませんが」
倉田はどこかあきらめ顔で首を振る、まるで自分に言い聞かせているようだ。
「勿論、全面的に信頼するとはいいませんけど、でもそれしかないじゃないですか」
耕助は倉田の心情をくみ取り、諦め声で返す。二人の意見は一致した。
「やった、ヘルサちゃんとまた会えるんだ。よーし、異世界ラブコメ路線で頑張るぞ」
耕太は顎に手をやり考え込む。
「いや、魔王が居るって言ってたな、勇者とヒロインものでもいいかも!」
(耕太、お前はどこまで能天気なんだ、そんなんだから単位を落としまくるのだ)
「馬鹿息子はおいておいて、皆さんそれでいいですね」
事務所で正気を保っている全員が頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます