農協よ異世界で酒を抜け

 青年時代から続く愛郷心。そして耕助が密かに抱くある種の挑戦的野心フロンティア精神。耕助はこうした人となりをバックボーンに農家、農協職員、警官からなるこの一団を異世界で率いることを決意した。 


「ひとまず寝て酒を抜こう、話はそれからでもいいでしょう」

 耕助はなんとか話をまとめようとする。そのためには皆を正常な状態に戻さなければならぬ、その大半は酩酊状態だ。否、酒精が入っているという意味では耕助自身も酔いどれの一味なのだ。


 はっきりと意識があるのは耕助、耕太、伊藤、そして酒を一切固辞したマダムと倉田だけ。倉田はパトカーの運転手。

 その『生存者』の耕太を除く全員は耕助の提言に黙って首肯する。耕太は不満げな表情を浮かべた。


(耕太はこの『異世界』に来て初めにすることが睡眠ということに反感を持っているらしい。さっきの口ぶりからするに多分もっと冒険とか、美少女とか、魔法とかそういうものを望んでいるのだろう。だが、睡眠は人間にとって欠かすことの出来ない要素だ。さっきまでは時刻午後十時、十分に寝てもいい時間の筈である。こんな異常な状態で酒、不眠を重ねると重大なエラーを生き起こす可能性は十二分にある)

耕助自身、今の自分の正気を十分には信用していない。熱燗が予想以上に効いた。


 農家の爺さん達は出来上がってる、次々と酒杯を空にした。元々結構強い筈の農家の爺さま方も顔を真っ赤にご機嫌状態。皆々様何が起きてるかも知らず、ご機嫌に事務机で突っ伏してる。


「暑すぎますね、空気変えましょうか」

 耕助は誰となくつぶやいてストーブを切り、締め切った二重窓を次々と開ける。さっきまで初雪が降っていたとは思えない暖かな風が小屋に籠った熱気を排気する。

 時計は夜十一時を指しているのに、事務所の西側の窓から太陽が全貌を表す。

(やっぱりここは異世界なのだ)


 窓から踵を返した耕助はマグカップにウォーターサーバーから水を注ぐ。水道水が旨い北海道で無用と耕助は思っていたが、使うと意外と気に入ってしまった一品。

 北海道の水道水とて年中同じ温度では無い、そして水の味とは温度で変わるもの。それを一定に保ってくれるこいつはかなり便利な奴であると耕助は認識を改めた。

 

 水を飲み干すと酒と熱気に火照った耕助の身体に心地よい冷気が広がる、おかわりを注いでまた一気飲み。目が覚める、とまではいかない。だがそれでも耕助の理性をわずかに回復せしめた。

 水道は通っていない。だがウォーターサーバーの『残弾』は倉庫にうず高く積まれている、アルコール分解は最優先事項。耕助は遠慮なく水を飲み干す。


 耕助はスーツの上から防寒具として着た作業服を脱いで事務椅子の背もたれに掛ける。上半身の服を全て脱いで机に放りだした、裏起毛のインナーシャツは汗で湿っている。


 耕助はインナーを適当に放ると、事務所に置いておいた安物タオルで体を拭いた。田舎となると課長クラスでも野良作業や機械弄りに関わる、だから何かと体は汚れる。捨てても良いようなタオルのストックは必需だ。

 体を拭き終えるとYシャツだけを着る、窓から吹く風が心地いい。マダムが配ったペパリーセを飲む。


「マダム、コレありがとうございます、ごちそうさまでした。お代は――」

耕助はマダムに空き瓶を振りつつ礼を言う。

「課長、ちょっぴり下戸だから困ると思ってね。今回の宴会でこれしか持ってないから私は黒字」`

(流石マダム、抜け目ない。酒やつまみを持ってこないで有難がたられる算段をつけてる)


「それに――」

 マダムはそれだけ呟くと振り返り外を眺める、きついパーマが僅かに風にそよぐ。マダムの言葉にはどこか心細げな響きがあった。

「それに?」

 耕助はオウム返しで問い返す。

「ここじゃ円なんて価値はなさそうですし、お代は別の形で」

(マダムは既にここが異世界であると確信している、のか)


「じゃ、寝ましょうか。どうせ酒が抜けないとこれが現実かどうかもわからないですし、車も運転できたもんじゃないでしょう。それに外は朝だけど、僕らはさっきまで夜だったし」

耕助は開き直り、わざとらしく盛大にあくびをかます。

「本職は結構です、徹夜は慣れているので。外の連中も警戒しないといけません」

倉田は事務所を取り囲む兵士たちを顎でしゃくる。


「でもお辛いでしょう、渡が起きてればこんなことには……」

耕助は気持ちよさげに眠る渡に苦々しい視線を向ける。

 もっとも、それは気休めにしかならないことを耕助は知っている。脳天気な渡に武装した兵隊を見張らせたところで高が知れている。


「なんなら、僕が起きましょうか。倉田さんと交代で休んでも構いませんよ」

マダムに次ぐうわばみ、伊藤が倉田に笑いかける。

「いえ、結構です。市民の安全を守るのが本職の勤めなので。本職が寝ていては本末転倒です」

倉田は酒を固辞したようにこの申し出も断った。

(何をしでかしたかは知らぬが、倉田は生真面目。頼れるかもしれない)

 耕助は警官と言えば適当人間の渡しか知らない、実直で頑なな倉田は新鮮に映る。倉田がどんな失態を犯し、辺鄙な片田舎に左遷されたのか、耕助には想像がつかない。


「では倉田さん、よろしくお願いします。僕は眠いのでそろそろ失礼します」

「ご安心してお休みください、何かあればすぐに起こしますので」

耕助は他の酔っ払いに倣い、脱いだ作業着を枕に事務机に突っ伏した。


 日中にこなしたS町農協最後の残務処理の疲れと酒のお陰かすぐに意識がまどろむ。

(嗚呼、あのヘルサとかいう娘もこの陽気も西から昇る太陽も夢であってくれ)

リーダーについた癖に急に弱気な願いを最後に、プツリと意識が途絶える。

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