同志という宝
伊藤は腕時計を見る。この世界は二十四時間周期では無い、毎日一、二時間ずれる、だからあくまで参考にするに留まる。時刻は二時を過ぎようとしていた、広場に喧噪が戻る。
「賑やかだね」
「ああ、畑仕事やら家の修繕やらの前に少し休憩、思い思いに時間を潰すのさ」
「ふむ――」
伊藤は喧噪に異音が混じっているのを察知した。
(金属がかち合う音、それに喧噪が少し静かになった。なんだ)
伊藤はブルに目配せ、そして扉を開く。兵隊が広場を横切っていた。
(彼らが異音の原因、なんの用だ)
「イトウ殿、こちらにいらしたか。伝聞です」
老兵が手紙を示す。
「フジイ殿があなたにも伝えるようにと。それにしてもこんな所にいらっしゃるとは、本当に熱心、感服致します」
「役目を果たしてるだけだよ。ジャガイモを根づかせないと元の世界には帰られない。それに同じ人間、魔王とやらにやられるのを見ていられなくてね」
伊藤はすまし顔で答える。これくらいの嘘は朝飯前である。
「そうですか、見上げた御仁。スズイシ農業大臣閣下からの連絡です。輪作を解禁し、豆、白スミナ、ジャガイモ、黄スミナを順番で植え付けるのでその旨を伝え、農奴達にその周知を徹底するのと――」
老兵は紙束をめくる。
「後はカガク肥料が手に入らなかったが、人糞を使い堆肥を作るとのこと。堆肥は前農業大臣のシルタ家が集中管理。リンの元になる骨粉はゴブリンのものを使う、パロヌ塩湖に転がっているものが原料―― ゴブリンの骨が肥やしになるので?」
「骨粉は良い肥料になるよ。そうか、ゴブリンの死体を使うのか。耕ちゃん、考えたね。他には」
「ああ、一番大事な話を忘れていました。諸侯をアノン家に招き、ジャガイモ栽培の見学会を開くとのこと。骨の折れる話でありますな、十四日後に開催します」
「ふむ、そうか。まぁ全国に広めるには領主の理解も必要だしね」
「見学会が終われば移民村も解体ですな」
老兵は広場を眺める。
「伝聞は以上であります、魔導文をお渡しいたします」
兵士は紙束を差し出す、伊藤は笑顔で受け取る。
「ご苦労様、ありがとね」
「いえいえ、では」
老兵は敬礼し、踵を返す。
伊藤は小屋の扉を閉める、ブルは話を立ち聞きしていた。
「スミナとジャガイモ、それに豆。ちょっと大変だな」
「輪作って言ってね、土地の栄養を最大限活かす農法なんだ。この国じゃ禁じられていたそうだけど、僕たちの世界では常識さ。と言っても速効性が有るわけじゃ無い、長いスパンで収穫を増やすんだ」
「長いスパンね、革命には影響はなさそうだな」
「そうだね。でも革命が成功した後、農奴達が飢えずに生きるために必要な技術だ。身につけておいて損はない」
「革命が成功してもその後が続かなければ意味は無いしな」
ブルは汚れたゴブレットで水を飲む。
「今日は無理だね、明日までにすベての移民村に伝えよう。スミナか、どうやって作付けを?」
「夏に植え付けして、秋に収穫する。去年は秋口に霜がおりて全部駄目になった。スミナはなにせ水やりが大変なんだ、かなりの量が必要だ」
「ふむ、水ね。そうか、小麦みたいだから秋に撒いて春に収穫するものだと思ったけど違ったか」
「ただ水やり以外は割と楽だぜ、ほったらかしでもぐんぐん育つんだ。ジャガイモと違って肥料もそんなに必要ないしな」
「ふーん。輪作しなくてもいいってのが気になっていたんだ。タフな作物なんだね。納得したよ、どうしてスミナのモノカルチャーになったのかって疑問も解消した」
「モノカルチャー……?」
「単一の作物に依存した農業ってこと。確かに効率の良い作物に搾って植え付けるのは経済的には間違っていない、だけど今回の冷害のような突発的な問題には弱くなる。輪作はそれも防げる」
「なるほど。スミナの冷害みたいな事は避けられる訳だ」
「いや、流石に大冷害となれば収穫は減るけどね。まぁ、単一栽培よりも安全性は高いけど」
伊藤は水筒から水をカップに注ぎ、一口含む。
「オルグは順調かい。まぁ、さっきの夫婦を見るに上手く進んでいそうだけど」
伊藤はまるで世間話でもするかのようにブルに尋ねる。
「まぁね。今は各村々で一人は同志を獲得しようとしてるんだ。ほら、移民村が解体されると接触の機会は減るだろう。各村に一人でも仲間がいればその後も勢力を拡大できる」
ブルは井戸水を飲む。
「そうだね、正解だ。同志はちりぢりに獲得した方がいい、思想を広めるのは後からでも構わない。今はどれだけ広く、これは地理的な意味だけど、広く同志を募れるか否かが重要だ」
(やはりブルを仲間にして正解だったようだ。飲み込みも悪くないし、頭も回る。つきっきりで指導、教化しなくとも済む)
「子供を徴兵された夫婦を優先的にオルグしてくれるかな。子供を奪われた悲しみ、怒りもあるだろう、同志に仕立てやすい。それに子供が無事ならその筋で前線の農兵へコンタクトできる。我々、人民解放軍はいずれ魔王軍とも戦わなければならない、王国軍と魔王軍、二重の敵を抱えるわけだ。そこで軍事組織をのっとれるならそれに超したことはない」
「そうだな、つけ込むのでは無く寄り添うように、か」
「そうだ。我々は常に人民の味方でなくてはならない。悲しみも怒りも我々は共有し、毅然としてそれを訴えなければならない。社会主義者は人民の代弁者たるべきだ」
「代弁者か…… なるほど、納得したよ。俺達の立場ってのが良くわからなかったんだ。同じ農奴を救う、だが救世主や英雄でもない。一方的に救う訳じゃ無いからな。代弁者か」
ブルは感心したように何度も頷く、伊藤はそれを微笑みながら眺める。
伊藤は日本で一匹オオカミ、同志と呼べる人間は限られていた。連合赤軍のように先鋭化、暴力的にもならなかった、かといって共産党のように合法活動のみで社会を救えるとも思えなかった。言ってしまえば伊藤は宙ぶらりんだった。
革命も忘れた訳では無い、だが日本では革命の望みは無かった。一億層中流という格差に気が付きづらい世情、リベラル、知識層と大衆の乖離、社会主義は人民の思想ではなくなった。だが、この異世界では伊藤は暴力革命の可能性を見いだし、ついに同志と呼べる仲間まで獲得できた。
(異世界召喚、案外悪くないモノだな。もう一度与えられたチャンス、今度こそものにしなくてはならない。人民に寄り添い、導き、救わなければ)
伊藤は笑顔の裏で確たる意思を再確認する。
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