第三章 異世界の三人

狂犬・倉田

(腹八分目、とまではいかないが食事はそれなりの量があった)

 大柄な倉田でも満腹感がある。

 

 イムザは彫刻が立派に刻まれた椅子から立ち上がった。

「さて、では食事も済んだことだし場所を移しましょう。ヘルサ、君はお客人に荘園をご案内差し上げなさい。ジュセリはヘルサに付き給え。私は日本からいらした残りの方々にご挨拶に赴こう」

「差し出がましいようですが、イムザ様直々にお会いすることはないかと……」

 ジュセリは床に片膝をつき、首を垂れて意見具申する。がイムザは手を上げ、諫言を遮った。

「いや、伊藤殿の言う通り我々の召喚魔導は少々手荒にすぎた、家長が行かねば申し訳がたたぬ」

 倉田も伊藤と同意見である。

(この貴族は人の都合というものを全く無視している、あまりにも横柄だ)


「そういうことだ。ヘルサ、お前は鈴石殿らに荘園をご案内差し上げろ」

「はい、兄上」

ヘルサはうなずいた。  


 ヘルサを乗せたフヌバの先導付きで電気自動車で荘園へ向かう。

「結構おいしかったじゃん、ここのメシ」

鈴石課長の息子、耕太が助手席で無邪気にはしゃいでいる。

「馬鹿、旨い物でもあたる時はあたるんだ、これからは少し気を付けろ」

 鈴石が叱りつける。

「耕太君、僕は生牡蠣に当たって以来どうも受け付けない。用心には越したことないよ」

 伊藤が口を挟む、倉田はそぶりを見せず傾聴した。


「伊藤さんもですか、僕は新婚旅行で中国の水に当たってから外国の食事はどうも…… そういっても海外行ったのはそれっきりなんですが、ここじゃ食事のたびにヒヤヒヤしますよ」

(異世界料理のオンパレードに鈴石は心底つかれたようだ、警戒心が強いのだろう)


「本職は食に当たったことが無い。だが先人の経験は生かすべきだ。な、耕太君」

 倉田も会話の輪に加わった。空気に馴染む、潜入捜査の初歩だ。

「やめてくださいよ、なんか俺子供みたいじゃないですか」

「七十六にもなろう爺さんからすれば、二十歳なんて子供みたいなものだよ。ハハハハ」

(伊藤の笑い声も、年齢も嘘だ。伊藤は潜伏の為にあらゆる経歴を偽って生きている、これまでも、これからも)

倉田は伊藤への警戒を厳とする。

「では本職もまだまだ若造ですね、精進しないと」

倉田は純粋に年長者への敬意を払っているかの様に装う。


「しかしこっちじゃ金と鉄が逆転のは驚いたなぁ。オヤジ、屑鉄売り払おうか」

「お前の考えてることはお見通しだ、その金で女中のハーレム作るつもりだろ」

「すげぇ……もうバレた」

(いささか耕太君は単純すぎる)

倉田はそう分析した。

(だが、この事態を分析できるのは強みだ。彼の発言は積極的に聞き入れよう)


「若いっていいねぇ、青春ってやつだ。この歳になるとそんな頃もあったものだと懐かしい気持ちになるよ」

伊藤は朗らかに微笑む、だが倉田はそんな伊藤を前にひっそりと警戒心を抱く。

(伊藤に『そんな頃』は存在しない。女も酒も無い、ひたすらに革命を追い求めた日々があるだけだ)

倉田は伊藤の経歴を思い浮かべる。


(何か発言すgべきだろう。あまりに無言ではこの後の活動に支障をきたす)

「英雄色を好む、とも言うが私としては余りお奨めしないぞ」

倉田は訳知り顔で口を挟む。

(ここは一芝居うとう)

「なに、お巡りさんそういう経験あるの!?」

「いや、不倫した男が相手を孕ませて離婚、恨んだ妻に刺殺された事件を担当したんだ」

「あれ、倉田さん元SWATじゃなかったんですか」

耕助が尋ねる。

 

(WATは日本にない、SATだ。がそんなことは一般人の耕助にはどうでもいいのだろう)

「SIT、捜査一課刑事の特殊部隊です。特殊部隊って言っても構成員は捜査一課の刑事だから殺人事件も担当するんですよ」

 倉田は必要最小限の説明を繰り出した、ここまでのキャリアに矛盾点はない。


「しかし、伊藤さんよく異界の地で貴族相手にあそこまで自分の意見を言えたものですね」

鈴石が伊藤に話しかける。確かに伊藤はイムザに対して憤怒の気を発していた。


「耕ちゃんは腰低い所が良いところでもあるけど、言いたい事は言わなくちゃ」

「それはそうですけど、下手すれば斬り捨て御免、無礼討ちじゃないですか」

「無礼なのは向こうだよ。いきなり呼び出して畑を耕せとか言いだす始末だ」


(『言いたい事』、本心か)

倉田はふと伊藤が今何を考えているかが気になった。

 この異世界へ召喚されてからというもの、倉田は状況の把握で精一杯だった。横目でチラリと隣に座る伊藤を見つめる、作業服を着た老人がいるだけだ。

 

 だが倉田にはどこか嫌な予感がする、背中に汗が流れる。

(何故だ、無意識に何かを恐れている時、それには必ず理由があった。何が原因だ)

倉田は無言で思案する。

(何故だ、何故俺はこの老人を恐れている――)

倉田は伊藤とこの世界の要素を抽出し、整理する。


(『左翼活動家』、『潜伏』、『社会主義思想の固持』、『農家』、『老化』、『反合併運動』、『異世界召喚』、『魔導』、『王国』、『魔王』、『貴族』、『戦争』、『農奴』。そして『革命』)

 倉田はある結論に至った。

(この男は、この世界で革命を起こそうとしている――! 間違いない、それが恐怖の根源か)


 凍り付いた倉田の視線に気が付いた伊藤が笑顔を浮かべる。どうしたの、とでも言いたげに。だがその仮面の裏には途轍もない野望が秘められているのだ。


(老年に至るまで革命を忘れられなかった男は日本において過去の遺産でしかなかった。貧困層の縮小、中流層の肥大、国民感情からの解離、東側の崩壊は全て革命と逆行した。だが『この世界』は違う、国王、貴族が存在し、戦争により経済は疲弊し革命の火種はある。伊藤にとってこの世界は理想社会の前段階にある、だからこそ魅力的なのだ。彼のイムザに対する辛辣な言葉には単なる横暴へのイヤミだけはない、貴族という身分への憎悪が秘められていたのだ)

倉田は分析する。


「倉田さん、大丈夫ですか。顔青いですよ」

 ルームミラー越しに鈴石が尋ねる、恐怖が知らず知らずのうちに顔に出てしまったようだ。

「いえ、ちょっとした車酔いです。揺れる車には慣れてなくて……」

「これ、舗装道路前提のセダンですからね、すみませんが我慢してください」

車酔いは無論嘘だ。



 先導していたフヌバが足を止める

(ここが荘園か)

「あ、到着したみたいですね、降りましょうか」

「私はすこし座っていたいので、皆さん降りててください」

 伊藤との戦い方を整理したい。

「お巡りさん大丈夫? 何かあってもジュセリちゃんが護ってくれる筈だから休んでて」

「ああ、彼女に甘えさせてもらいます。万が一は呼んでください、窓を開けておくので」

 倉田は暫く一人になりたかった、この後の行動方針を慎重に練る必要がある。

倉田以外の三人は車から降りて魔導士と女騎士の元へと近寄っていく。


(当然ながら桜田門からの支援は要請できない、佐藤巡査部長も信用できない。この先、伊藤の監視、対処において信用できるのは俺ただ一人だけだ。だが何を目的とすればいい、反革命の先鋒として彼を『排除』するべきなのか)

 

(そもそもここは日本ではない。日本の秩序を守ることが倉田の仕事であり、この地では無関係だ。それに伊藤の革命を防いでやるような義理もこの世界には無い)

 倉田は今、何の任務にもついていないのだ。ここから先は自由裁量ということになる。


(長い休暇とでも考えて彼の監視を中断する、という方向性もなきにしもあらずだ。

だが、それは公安警官のプライドが許さない、それ以上に『つまらない』。今までの雑魚とは違う、『本物の革命家』と戦う機会を得たのだ。折角だ、正面きって戦ってみたい)

 

 倉田は自分に秘められた闘争心の強さと理性の脆さにようやく気がついた。今や、倉田の公安警官としての倫理観は無く、革命と戦う一人のケダモノと化している。

(しかし―― それでいい)

倉田は思う。

 倉田は平和な日本では満ちることのない自己実現が異世界でようやく可能になったのだ。


(革命を予防する策として手っ取り早いのは伊藤の監禁、もしくは殺害。別に倉田自身が手を下す必要もない、貴族に彼の素性と思想を伝えればいい。貴族にパブリックエネミーであることを明かし、首を落としさえすればそれで反革命は終了する。だが短絡的すぎる手段だ。古典推理小説に科学捜査を持ち出すような無粋さ、つらない)

 倉田は公安警官にあるまじき判断を下す。


  今、倉田の価値判断の基準は公安警官のそれから逸脱し「楽しいか否か」に凝り固まっている。

 己の快楽を満たす為に他人を処罰するならば、それは官憲ではなく狩人である。平和な日本から異世界へと解き放たれた倉田は番犬ではなく、狂犬と化していた。

 倉田はしばらく伊藤を監視するに留めようと判断した。大物になるべき男を早々に狩るのは面白くないのだ。

 

(さあ、他の『革命家崩れ』と違う所を見せてくれ、革命の恐怖を味わせてくれ。絶対に失望させてくれるなよ。貴様が待っていた革命の舞台だ、王も、貴族も、魔王もいるぞ、救うべき人民も沢山いるだろう。この世界をどう『救う』? いずれにせよ俺はお前の革命を壊してやるからよ)

倉田の敵意がこめかみに僅かなけいれんをもたらす。

 

(そして革命を防いだ時、俺は『真の革命家』を討ち取った『最高の公安刑事』になるのだ。だから、早く革命を、混沌と惨劇と恐怖にまみれた大衆の希望を示して見せろ)


 『重田』の秘められていた狂気が、ひっそりと花開いた。

 彼は異界にて、黄金よりも価値のある『敵』を見いだせたのだった。

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