悪夢

 耕助は自宅に居た、東に沈む夕焼けを眺めながらビールを飲んでいる。くだらないテレビなどを付けて、肴にタコの刺身をつまむ。

 ワサビは家に生えている山ワサビとチューブのブレンド、香りが違う。缶ビールはすでに一本空いている、うちに置いてあるのはキリンだ。

 キンキンに冷えたビールは耕助を酔わせるだけの力をもっていた。


 ジャガイモ畑は耕助の家まで広がってきた、夕日に照らされる花々は美しい。

 耕助は夕日からそちらへと視線を移す、農民達が働いている。

 その中にいたゴランと目が合う、どこか満足げな微笑むを浮かべた彼は手を振る。

 耕助はリラックスチェアに深く腰を据えたまま手を振り返す。

「あら、お父さんどうしたの」

 妻、三智枝の声が聞こえる、ビール瓶を持って現れた。

「ああ、ゴランさんっていってな、村長さんでいい人だ。今度紹介しよう」

「あら、そうなの。異世界でも農家さんと仲いいのね」

 三智枝は瓶ビールの栓を抜き、耕助の隣のチェアに座る。


 三智枝はひいき目に言っても美人なのは間違いない、正直耕助とは釣り合わない。

 町中の若い衆が気にしていたマドンナと耕助はまさかの恋愛結婚だ。渡も彼女に惚れ込んでいた一味の一人なのはつい最近知った。

 三智枝は四十路にこそ入ったが、生活感があまりないのだ。小綺麗と言ってもいい。そしてどこかはかなげな面持ちがある。そのくせ正確は『適当』に大雑把なところがある。この大雑把さは美人の近寄りがたいオーラを払拭する。

 三智枝は良妻賢母として農家の家系に生まれた農協の部長を支えてきた。


「うーん、おいしい。やっぱりビールね、農作業の後の一杯は」

 酒を飲むときだけは三智枝は素をあらわにする。そうで無いときは未だにお淑やかな性格である、農作業からくるスレがない。

「そうだな、農家の爺さん達は日本酒飲むけどヘビー過ぎるよ、特に俺にとっては」

 耕助も下戸ではないが、強くも無い、三智枝はそれより少し強い位。だから、三智枝の方が少しだけ量を飲む。


 三智枝はタコへと手を伸ばす。タコは冷凍だが名産地厚田の浜ゆで、まずいわけが無い。

「うーん、ワサビもおいしい。庭の畑、今年は豊作ね」

「うん、なかなかの出来だな、異世界に来たってのに驚きだよ」

 ちりん、と風鈴の音がする。


「なんだか、久々だなぁこういうの」

 耕助はだらぁと姿勢をより一層崩す。

「確かにね、こっちに飛ばされてから忙しかったものね」

 三智枝はしみじみとつぶやいてから、ビールを飲み干す。

 耕助は瓶を取り三智枝に酌をする。

「ちょっと、あなたももう少し飲みなさいよ。こんな日なかなかないんだから」

 今日って、ゴールデンウィークかお盆だっけか、異世界に来てから日めくりをしてない。

 三智枝の勧めるまま耕助はコップ一杯分、ビールを飲む。ホップの苦みはこっちの世界の蜂蜜酒じゃ味わえない。


(嗚呼、異世界か。とんでもない所に連れてこられたものだ)

 だが今ではジャガイモも根付きつつあり、その先行きは明るい。

 S町が合併してからというもの、この町にそんな明るい話題は無かった。

 誰それが町を去った、どこが店を閉めただのが大半だった。

 しかし、今はS町が異世界を立て直す原動力となっている、それは耕助にとって誇りだ。


 不意に風が強くなる、風鈴が割れんばかりに鳴り響いた。

「父さん、母さん帰ったよ」

 耕太の声が玄関からする、なにか背中がぞくりとする。

「あら、お帰りなさい。どこ行ってたの」

 なぜか胸騒ぎがする。

「うん、斉藤さん家、ちょっと教えてもらうことがあって」

 ドスン、モノを床に置いていた音がする。

「あら、斉藤さんとこ、珍しいわね。ま、ビールがあるから上がってらっしゃい」

「はーい」


 とっさに耕太と三智枝を会わせてはいけない気がした。

 耕太を玄関に留めようとするも、立ち上がることすらできない。

 ゆっくりと耕太の全身が露わになる、銃を持った彼は紫の血に染まっていた。

「ゴブリンの血が落ちないんだ、なんど擦っても、洗剤を付けてもダメなんだ」

 どこか堂に入った目つきの耕太が血を何度も拭う。

 そのたびにベチャベチャと不愉快な音とともにゴブリンの血や内蔵が零れ落ちる。

 耕太の態度はあまりにも毅然としている。まるで兵士のそれだった。


「あらあら、大変ね、お風呂を沸かさなくちゃ。でもその前に」

 三智枝が耕助の方へと振り返る、三智枝の顔が土色になっていた。

「これは、どういうこと」

 三智枝の声が壊れたスピーカーからのノイズの様になる。

「どうして耕太はこうなったの」

 三智枝の目がどんどんと落ち窪み、木のうろの様になる。

「ち、違う。俺のせいじゃない、俺のせいじゃない」

 耕助は非理論的な弁明を繰り返すほかなかった。


「違わない、降圧剤探しを認めたのは父さんだ」

 耕太は血まみれのまま、毅然と反論する。

「貴方のせいなの」

 三智枝の形をした土が耕助に迫る。

 だが、耕助に反論の余地は無い。

「ねぇ、何があったの」

 土くれは耕助に迫りよる、ゆっくりと、ゆっくりと。


 耕太になにがあったか、ゴブリンという化け物と交戦した。

 巫山戯た話だと我ながら思う、だがこれ以上もこれ以下の表現も見当たらない。

「こ、耕太はその、戦ったんだよ、化け物と」

「そんなこと認めたの」

 土塊となった妻に対し耕助は全く身じろぎですらきない。

「違う」

「違わない、只の農作業だと見くびってた。交戦は想定外だったとしても父さんの責任はあるよ」

 耕太は断言する。

「やっぱり貴方が認めたんじゃない」

 声が狂い、腐敗臭のするが耕助にのしかかる。

 思わず耕助は目をつむる。


 目を開くとそこは寝室の天井だった。寝汗が激しい、動悸も乱れている。

 だが、まだ夢と現実の区別がつかない。どこまでが夢で、どこからが現実なのか。

 まだ寝室の外に三智枝の形をした土が居るような気がした。

 耕助は五分ほど、ベッドのなかでおびえて過ごした。


 しばらく経ち、化け物が居る世界で何を土くれに怯えているだろうとふと気が付いた。

 漸く耕助はベッドから抜け出し、一階で水を飲もうと決めた。現実と夢の区別が漸くついた、が嫌な汗は止まらない。

 冷蔵庫からピッチャーを取り出し、額に当てる。

 昼に稼働する発電所のおかげで、冷凍しておくことができた。

 半分溶けた氷水は冷たく心地よい、がそれだけでは背を流れる汗を止められない。


 厭な夢だった、只の悪夢とカテゴライズできない、なぜだろう。

 お冷やを飲みながら夢を振り返る。時間は午前四時、二度寝するまで少しの時間的余裕はある。


 最初はいい夢だと思った、久々の休息、現世に置いてきた妻との邂逅。約束されたジャガイモの発展、S町が原動力となった国家の安寧。


 耕助の中にある三智枝に会いたいという気持ちが夢に現れたのだろうか。

 これまで耕助はその気持ちを押しとどめてきた、農家の爺さん方も皆同じ境遇だからだ。召喚時、三智枝は両親の見舞いで札幌に、農家の婆さん方は慰安旅行で洞爺湖へ行っていた。

 

 リーダの耕助が愚痴り始めたら全員が厭な気分を吐露するだろう。そうなれば、意欲が減退しこの異世界を抜け出すための農作業も遅れるかもしれない。

 それだけは避けねばならないと耕助は肝に銘じていた。

 だから、三智枝に会いたいという願望が個人的な夢として現れたのだろう。


 だが、突如としてその内容は変わる、耕太の登場が夢を変えたのだ。

 なぜ耕太の登場が悪夢へと変えたのだろう、耕太は血まみれだった。

 耕太の変化を妻にどう説明するか、それが要なのか。


(耕太か)

耕助自身でもうまく咀嚼できていない問題だ。

 耕助の知らないところでいつの間にか変化していたのだ。

 あの変化は『成長』なのか『変貌』なのか、きっとおそらく後者だろう。平穏な日本ならあの変化は起こりえない、だから順当な成長ではない。


 それを現世に戻ったとき三智枝にどう説明すればいいのか、耕助に答えが浮かばない。

 異世界で化け物と戦ったら変化をもたらしました。

(そんな説明で言葉が足りているだろうか、いや違う)

 息子の変化、母親に対してのその説明、耕助は一体どうすればいいのだろうか。


 あの夢の通り酒でも飲むかと思った、が今からでは朝の運転は飲酒運転だ。

 酒は飲まずもう一杯水を注いだ、ひんやりしていて美味しい。頭の熱も少し冷めた気がする。

 耕助は夢の続きを見ないよう祈りながら、二度寝をすることに決めた。

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