心労
ここ五日で大きくジャガイモ戦争の戦況は変わった、大量の農民が押し寄せてきたのだ。
ほとんどの農民がほぼ難民の様に力なく、群れをなしていた。
彼らの食料調整はイムザが担当する、流石に統治の技術は農協にはない。この役割分担のおかげで耕助はより大規模な農業計画を練る事に集中する余裕ができた。
一方でトラクターの軽油は余裕をもった非常用を残し、これ以上の使用を控えることにした。化学肥料も使用を控える。
これから先は化学肥料に依存してきた耕助にとって未知のエリアだ。伊藤の試みである肥だめの成否はまだ不明だ、ない物と思った方がいいだろう。
耕助はほとんどアノン家で過ごすようになった。情報の速度を求めた結果だった。古巣の事務所を捨てて、アノン家に居座るのはなんだか心に残るものがある。だが、仕方のないことだと自分に言い聞かせた。
実際、今これからその効果を発揮する所なのである。
耕助は赤髪のメイドが表に立つ扉の前に立っていた。
メイドがその扉をノックする、中からダスクの声が聞こえる。
「何者だ」
「農協の鈴石様です、今お時間よろしいでしょうか」
メイドは高く、それでいてはっきりと通る声でダスクに呼びかけか。
「そうか、鈴石か。入れ入れ」
メイドが扉を開け、耕助は中に通された。
ダスクは瀟洒なデスクで勝手に動く駒を乗せた作戦地図とにらめっこしていた。
「何用かな、まだ兵糧にするにはジャガイモは足りないぞ」
「ええ、それは知っています。今回はお願いがあって参りました」
「お願い? なんだそれは、まま座れ、座れ」
ダスクは駒を仕舞いながら、耕助へと向き直る。
耕助はよく磨きあげられた椅子に腰掛けた。
「スラッタ派に檄文を飛ばしてほしいのです、ダスクさんのお名前で」
「確かにワシは騎兵だから加速魔導とは切っても切れぬ仲だが、斬撃魔導とは縁遠いぞ」
ダスクはやや困惑気味に答えながら、駒を詰めた箱を閉じる。
「それがスラッタ派がどうも農業に関わりたがらない様で」
耕助はペスタから借りた罵倒が詰め込まれた手紙を何枚か示してみせる。
曰く、スラッタ派の恥。
曰く、無能が故の逃避行為。
「それくらいは想像できるな、彼らは戦に功名を見いだす者だからな。土弄りなぞ農奴の仕事と割り切っているだろうな」
ダスクはさらりとその手紙を目で追い、眉をひそめる。
「ですが、スラッタ派の能力は農業に十分に役立ちます。いえ、植え付け時期の期限が迫る今、必要不可欠と言っても過言でないかもしれません」
「それで、軍神と崇められるワシの名を付けた檄文がほしい訳だな」
ダスクの放つ言葉と笑いがやけに自嘲気味に聞こえたのは確かだ。
「ええ、どうにかして頂けないでしょうか。他には手段が無いんですよ」
ダスクはしばし腕組みし、天井をにらむ。
「本物の軍神ならとっくの昔に戦争も終わってたさ。ま、いいだろう」
ダスクは机に置かれた箱から筆と紙を取り出す。
「で、ワシ、ダスクの名で農業、殊ジャガイモは目下、国家存亡に関わる戦争の切り札である。然るに、その効果を最大化するスラッタ派魔導士諸氏におかれても、尽力するよう要請する」
ダスクは書くべき文章を諳んじる。
「うーむ、スラッタ派の者が多少入れ知恵をした方が良さそうだな。あのペスタとかいうメイドを呼ぼう」
ダスクは廊下のメイドを呼びつける。
「おいリンタ、ペスタと言う女中を呼べい。急ぎでな」
ペスタは確か今日は農作業が無いはずだから、館にいる筈である。
「しかし、鈴石。あんたも驚かれたろう、全くの別世界に呼び出されて」
ダスクはリンタと呼ばれた女中に茶を持ってくるよう命じた。
「ええ、かなり。正直毎日が衝撃的ですよ」
「同情するよ、同じ境遇に置かれたら百戦錬磨のワシだって驚くわ」
意外な人物からの同情に耕助はやや困惑する。
「だが、もうコレが現実なのだ、諦めて受け入れてくれい」
リンタが茶を持ってくる、珍しく湯飲みの様な陶器だった。こっちの世界に来てから大抵の食器は金だ。
ダスクが茶をすする。
一度沸かした湯なら平気だ、耕助も続けて湯飲みを口へと運ぶ。
リンゴの様な香りのする、だがシナモンの様な風味もある味だ、悪くはない。
「この家の人間は異世界召喚が大黒柱、相手の都合なぞ考えやせんのだ」
「まぁ、そんな感じはしました」
伊藤は最初、この召喚は暴力だとすら断じた程である。
「だから、運が悪かったと思って、全力を尽くせ。然らば光明が見えるやもしれん」
ダスクはまるで父親か何かの様に語りかける。
耕助は久しぶりにまともな人間扱いをされた気がした。客人か珍人種の様に扱われてきた、アノン家はきっと耕助ではなくジャガイモを見ている。
「ま、それもこれも戦争次第だがな」
ダスクがつぶやいた。
ドアがノックされる。
「失礼つかまつります、ペスタでございます」
「かまわん、入れ入れ」
ドアからペスタが入室する、ペスタはダスクに対し恭しくお辞儀をする。
「お呼びでしょうか」
「うむ、スラッタ派への農業参画を呼びかける檄文だがな、これの書き方が解らなくてな」
ダスクはポリポリと頭をかいてみせた。
「つ、つまり、私はて、添削をすればよろしいのですか」
ペスタの声がうわずっている。
「そうだ」
「私がですか、添削とは畏れ多い、失礼ですがその私の様な身分で・・・・・・」
「くどいぞ、いいから聞けい、聞けい」
ダスクは端書きを読み始めた。
「『農業、殊ジャガイモは目下、国家存亡に関わる戦争の切り札である。然るにその効果を最大化するスラッタ派魔導士諸氏におかれても、尽力するよう要請する』なんだが」
「スラッタ派魔導士の行動原理は軍功です。もう少し名誉について触れられた方が宜しいかと・・・・・・」
あの勝ち気なペスタが尻込みしている、なんだか珍しい物を見れた。
しかし流石、その道の人である。どう言葉を使えば士気を鼓舞できているか、そこら辺の道理はわきまえているようだ。
「ならコレならどうじゃ、『農業、殊ジャガイモは国家存亡に関わる戦争の切り札である。然るに、その効果を最大化することがスラッタ派魔導士諸氏の功名につながることは間違いない。ジャガイモ栽培はゴブリン一個軍団との戦闘と心得よ。我、ダスクの名において要請する』とかどうじゃ」
ダスクはペスタに向き直り、表情を伺う。
「多少、盛られている感じもありますがそれで宜しいかと・・・・・・」
ペスタは顎をつまみながら、うなずく。
「で、他に頼みはあるのか」
ダスクは今度は耕助に居直り、問い尋ねる。
「いえ、これで終わりです」
「なら少しばかり茶に付き合え、鈴石」
「下がってもよろしいでしょうか」
退出しようとしていたペスタをダスクが呼び止める。
「茶をもう一杯寄越せ、ここの茶葉はなかなか悪かない、給仕にそう伝えよ」
「承知しました」
冷静さを取り戻した再びお辞儀をし、ペスタは部屋を後にする。
「ワシも軍神じゃろ。時々生きた人間ではないかのように自分でも錯覚するだわ」
軍神、それは英雄を超えた存在だ、耕助が理解できる話では無い。だから、耕助には曖昧に頷き返すことしかできなかった。
ダスクがぬるくなった茶をすする。
「何を呆けた顔をしておる。鈴石の世界から来たあの鉄や不可思議な素材で出来た機械はなんじゃ。ワシからすればお前も神代のお偉方よ、軍神と同じ神様じゃ」
「まぁ、確かに」
そうは答えたものの、鉄や機械は耕助が努力して獲得した物でも功績でも無い。目の前の軍神は自ら功名を建て、生き神として畏敬されているのだ。
「いや、何神学論争をしようとか、どちらが勝るとか言う話ではない。ここのところの疲れをとろうと思うての、お互いの」
ダスクは椅子から立ち上がり、きっと戦地から持ち込んだであろう簡素なベッドに腰掛ける。
「疲労、ですか」
「そうじゃ、心のな」
耕助は昨晩の悪夢を思い出した。
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