招かれざる者
異世界への召喚、この状況には伊藤秀一も驚いた。
(全く老人を驚かすものじゃない)
異世界召喚、おとぎ話めいた事柄は現実主義者の伊藤にとって全く無縁の代物であった。
(ヘルサとかいう西洋人の娘は若い者に流行っているハロウィンとか言う余興だろう)
ハロウィーンはとうに過ぎていることを伊藤は知らない。
しかし、ヘルサの話を聞いているうちに、次第に伊藤の脳が、体が否が応でも熱を帯びる。
伊藤に流れる『革命家』としての血がこの『おとぎ話』に断固たる鉄槌をこの世に下せと騒いでいる。そして裏社会の人間として過ごした長年の勘がヘルサらの存在が本物の異世界の事物であるとも告げているのだ。
伊藤の
(ヘルサは自身が特権階級である領主だと『自白』した…… ヘルゴランド王国、どうやら国王もいるらしい。領主、つまり貴族を登用した間接統治制度。この王国はきっと封建制のある国家なのだろう。封建制は階級制度によって成り立つ。階級闘争の種はこの異世界社会に既に内包されていることをこの娘は『自白』した)
この異世界が『革命』、『前進』を実行すべき社会であることは、ヘルサの言葉の節々からくみ取る事ができる。
(なにしろヘルサらは我々の同意を得ず、自分たちの都合だけでS町を召還したのだ。これを横暴と言わずとしてなんと言う。召還なんて小綺麗な言葉で包んでいるが、これは拉致だ。なんたる悪辣卑劣、これは既に他人の都合を考えぬ特権階級特有の『暴力』だ)
だが伊藤の胸には怒りとは別に別の感情が既に生まれている。
目の前の事象が何であっても不条理、不正をたださなければならない。国が変わろうとも人民を開放する為戦うのが『革命家』の使命だと伊藤は肝に銘じている。
(これが今際の幻だとしたらこれ程喜ばしいものはない。もう一度、革命の夢を、正義の為の前進を願えるのだから)
伊藤の理想社会の実現は日本においてその希望が全く潰えたのだ。唯物論者の伊藤も、今や神や仏にでも感謝したい気分になっている。
(僕は残りの限られた命でもう一度革命の希望を追い求められるのだ。革命家冥利につきる)
今まで伊藤は都市圏で潜伏を繰り返した。が、最早歳で限界が来た。だから昔の同志から土地を借り、伊藤秀一を名乗って農業を始めた。
農業を始めた理由とは社会主義、そして人民は土の上に成り立つものであるからだ、生産活動の基盤は人民が日々の生活を送る為に摂る食事である。
伊藤は生産基盤の立脚点たる土を汚す化学肥料など使うわけがない、農薬もだ。徹底した有機栽培は農地の自然由来の再生産能力を高め、社会が正しく発展する為の基盤となると断じている。
伊藤は人民として農作業をし、一生を終える、そのつもりだった。だが、今は違う。
(貴族、国王、ふむ、面白いじゃないか)
(ヘルゴラントという国家は王政、『王法の元にある』と言っていた。ひょっとすると『自由』や『平等』という思想すらも生まれていないかもしれない。生まれていたとしても、せいぜい立憲君主制だろう)
更にヘルサの放った『農奴』という言葉が伊藤に革命への使命感を与える。農奴、土地に縛られた人間にして、人間として扱われぬ悲しき存在。
(彼ら同胞を解放し、協力者として獲得し、収奪の断罪をする戦いへと誘おう)
伊藤は考える。
(人民を欺瞞し収奪する資本主義もなければ、オルグも容易かろう。資本主義は人民をだます毒だ)
伊藤は革命の決心を下した。
(正しき思想を身に着けた人民は武力蜂起し、毅然と悪しき特権階級と戦うだろう。僕も悪辣なる資本家と最前線で戦う覚悟はとっくの昔にできている)
(農民として私を呼び寄せたのは、ヘルサにとって致命的な間違いだ)
伊藤は断じる、ゲリラは農民と親和性が極めて高い。
ゲリラは農村に潜み、農民をオルグし、既成権力への散発的な襲撃を繰り返す、そして正規軍は弱体化、やがて此に打ち勝つ。ゲリラ戦の定石である。
正規軍に勝利をおさめたゲリラはより多くの人民を解放し、人民からの協力を得て、更なる土地へ進出する。そうして組織は拡大する。やがてゲリラは弱体化した正規軍と大決戦で勝利を治め、革命を樹立する。毛沢東が提唱し、偉大な革命戦士チェの確立した戦略だ。
(このヘルゴラントという地でゲリラ戦を実践しよう)
伊藤の決心は固まった。
(それに、恐らくこの地に社会主義を唱える者は僕を以外他にはいないだろう。原始共産主義を除けば、であるが)
伊藤はこれを好機ととらえた。
(無益な過去の内ゲバも、解放すべき人民から白眼視されるテルアビブの様な愚行も僕が指導者として統制できる。忌むべき無知により引き起こされた山岳ベースも浅間山荘もここにはない)
(これが現実か夢かなんてどうでもいい、僕の行動目的は革命あるのみだ。日本では達成できなかった人民の為の革命を、この地成し遂げるのだ。それが僕の人生に与えられた最後の仕事だ)
革命戦士、伊藤秀一こと杉本信二は一人、静かに興奮していた。
【捕捉】
『社会主義』
ちょっと一言で説明するのは難しい……
マルクスが描いていたであろう将来像は、皆が能力に応じて働き、等しく平等な報酬を得る社会であろう。
特に生産手段(工場とか)の私有(会社の資本家、株主)が、労働者の資本家に対する隷属的態度を生み出すと非難している。したがって、工場といった生産手段は共同体、すなわち「社会」で共有することで資本主義の生み出す賃金奴隷を解放すべきだと提唱している。のだと私は思っている。
といってもこれはあくまでもマルクスの提唱したものを私なりに解釈したものであり、他の革命家では意見が異なることも多いだろう。
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