第一章 異世界召喚

異世界転生はカルト宗教?

 耕助は一行が立たされている異世界召喚とやらのあらましを息子の耕太に伝えた。ただそれもヘルサと名乗る少女からの受け売りである。それに説明と言っても理解できたうちのほんの一部。


 一つ目、ここがヘルゴラント王国でどうやら魔王軍と呼ばれるものと戦っているらしい。つまりここは戦時下であるということ。


 二つ目、徴兵や不作で農村の生産性が下がっていて、飢餓が起きていること。


 三つ目、耕助一行は農業生産性を高める為に召喚されたらしいこと。


 四つ目、召喚の肝はジャガイモだということ。


 この四つだけだ。それに耕助にはヘルサの話が本当だとは到底思えないのだ。耕助はここが現日本であってほしいという願望に捕らわれていた。

(そう、これは酒で酔っ払った幻だ)


「ここが、異世界ってマジ? 異世界転生じゃん!」

耕太は無邪気にはしゃぐ、それが耕助を刺激する。

(こんなバカ脳天気に育てたつもりはない)

「馬鹿、お前には説明されたことをただ話してるだけだ、本当だとは俺は言ってない。ちょっとまってろ、このヘルサって娘がただのコスプレ女だって証明してやるから。お前は頭を冷やせ」

 耕助は自宅に電話をかけようと携帯を取り出す、画面には圏外の表示が灯されている。今度は時報にでも呼び出そうと備え付けの受話器を持ち上げる。だが機械的な回線不通の音がするだけだ。


「父さん、繋がらないでしょ。やっぱりここは異世界なんだ」

 耕助はガッツポーズを決める、何故そこまで喜んでいるのか耕助には解らない。

(なんでお前はそう楽し気なのだ)

耕助は舌打ちすると次の手を考える。

(まだだ、電話が不通なだけだ。)

 耕助は天井を仰ぎ見る、蛍光灯は付いてる。

「ほら見ろ、電気は繋がってるだろ。異世界は電気なんか無いはずじゃない……」

(いや、この事務所はソーラー発電だ、それに近所にはバイオマス発電所もある。電気が通じている、それだけではここが現世の証明にはならない。環境に優しいエコロジー社会の功罪だ、なんてこった)

耕助は幻相手に、ここまで手こずるとは思ってもいなかった。


 耕助は小さい洗面台に駆け寄り蛇口を回す。

(水よ流れろ、流れてくれ)

 だが、現実は非情にも水は流れなかった、ついでにガスもつかない。

(そうか、U市農協がガス水道を止めたんだ。なんという鬼畜の所業)。


「そうだ、山だ」

この事務所から北を眺めると日高山脈が遠くに見える。耕太に動かぬ証拠を叩きつけて見せてやると耕助は意気込む。耕助は北よりの窓に駆け寄るとブラインドを一気に上げて外を見る。

 

 山が、。あるはずの、不動のはずの日高山脈の跡すら見えない。 


耕助は窓にもたれかかり、力なくつぶやく。

「もしかすると、ここは異世界かもしれない」

「だからそういってるじゃん! 俺スゲー体験してるよ! やったぜ、異世界転生って本当にあったんだ、やっほーい」

耕太はこの困った状況にもろ手を挙げて一人興奮している。


(耕太の教育を間違えたのだろうか)

耕助は自問自答をする。耕助の父は根っからの農家であった、父の言葉に影響を受けて耕助は育った。


「いいか、耕助。都会では農家をやるよりも稼げる仕事はあるだろう。サラリーマンの方が楽だと思うときがあるかもしれない。だがな、彼らは組織の歯車なんだよ、全部置き換えられてしまう部品なんだ。そうすると農家ってのはその歯車を回すいわばエンジンよ。俺達なしで社会ってのは廻らない。俺はその事を誇りに思って農家をつづけているんだ」


 よく父親が言ってい言葉である、耕助はこれに感銘を受け農学部へと進んだ。真面目に勉強をし、いつか農業に携わるという志をもって生きていた。

 S町の逆境にも、耕助なりに立ち向かってきた自負がある。


(ところが耕太はどうだ、都会に魅せられた挙げ句、異世界召喚で大喜びしている。これは教育を失敗したか)

 今の時代、農業を押しつける訳にはいかないと耕助は思っていた。だから耕助は耕太の自由にさせていた、がそのことを今後悔している。

 

 室内の気温はどんどんと上昇している。外は暖かいし、ストーブがついている。だが耕太はこの熱気にも関わらず分厚いダウンを脱ごうともしない、頭に血が昇ってる。

 一方の耕助はまだコレが質の悪い夢か幻覚であって欲しいと願っている。だが耕助は寝た記憶は無い。


(これがもし幻覚だったら、合併反対運動の疲れからくるノイローゼ、それも重症だ。北大時代の友人で精神科医がいる。良い医者を紹介してもらおう。しかし仮に幻覚は幻覚だとしても、息子の馬鹿っぷりだけは正さなけれなるまい)

 耕助は父親としてそんな気がした。


「お前は直ぐに自分に都合のいい方へと物事を信じてしまう、良くない癖だぞ。そもそも異世界転生って、なんだそれ。転生、転生って、変な宗教に入ったのか」

(耕太をわざわざカルト宗教に染まらせる為に札幌の大学に送ったのでは断じてない)

 ヘルサと兵士達は我々の理解が追い付くのを待つ様子でこの様子を眺めている。

そして倉田は拳銃を仕舞いながらも鋭い眼光でヘルサ達を監視し続けている。伊藤は静かにその両者を観察する。静かな殺気が場を支配していた。

 だが、そんな兵士と警官も対峙にも目もくれず、耕太は息を弾ませ講釈を垂れる。

「父さん、異世界モノは今流行のジャンルなんだよ。小説、漫画、アニメ、俺が好きなのは……」

 耕太は指を折り、なんだかながったらしい呪文染みた言葉をつらつらと並べる。耕太がしばらく話してから、その呪文が作品のタイトルだと耕助は気が付いた。


(嗚呼、お前がハマったのはカルトじゃなくてマンガか。どっちにしても、お前には勉学にハマってほしいものだった。何かしら志を持って札幌に出たのだと思っていたが大外れか)

 耕助にとってはなんとも悲しい話である。

 

「いや、お前の好みはどうでもいい。つまり、異世界転生ってなんだ」

 耕助は頭を抱えた、四十半ばにもなると新しい物事の理解が遅くなる。

「死んだ人間が異世界に生まれ変わるって粗筋、冒険や美少女やハーレムものが王道。現代の知識とかテクノロジー、チートを使ってガンガン活躍するタイプが好きかな」


(チート? なんだそりゃ。だが、アホの説法なりに役にはたった、のか?) 

 ようやく耕太の言いたい事は少しばかり耕助には見えてきた。現代社会において鬱憤の溜まった人間が不思議世界で活躍して憂さ晴らしする。


(そんなものが流行るとなると少しばかり世も末な気がする、何故現実世界で活躍しようとしない。こんなモノが若者に流行るとは日本は大丈夫か)

 耕太はようやくこの暑さに気が付いたようで、ダウンをいそいそと脱ぎ始める。


「でもお前な、俺達は死んでない。それって、そもそも転生でもなんでもないじゃないか」

死んでるじゃん、この町。人もいないし、合併されて役場もないじゃんか」

 耕太は口を尖らせて精一杯の抗議をする。

「死んだ町か。ふむ、良い例えだ。札幌の大学にやって良かったよ、単位の問題を除けば」

 耕助は短い説教を垂れる。


 耕太は希望通り札幌の大学に通えたというのに、二年前期の取得単位は驚愕のゼロ単位。それでこの三連休を使って説教をしに帰らせたのだ。

 耕助は異世界転移とムスコの二つの大問題にぶち当たった。


 耕助は周りを見渡す。いつも通りの農協の事務所、という訳にはいかない。酔っ払った農協職員、農家の爺さま方、防刃ベストを着た渡はまぁ不思議ではない。農協の通夜振る舞いで潰れた一同はまだ『日常』の世界だ。

 だが端正な顔立ちの白人美少女、鎧を着た大男二人、それに矢鱈と圧のある倉田巡査部長、彼らの存在は全くもって『異常』である。


(嗚呼、どうしたものか)

弱小農協の一課長におえる現実ではない、耕助は進退窮まった。

「失礼とは存じますが、一旦お引き取り願えませんか」

 時間稼ぎ、これが耕助にとって今、精一杯の決断だった。悪い言い方をすればただの先送りともいう。

(まぁ、幻覚ならば彼らが引き上げたところでお仕舞いだろう。そのうち正気に戻るか、気の利いた人間が病院送りにしてくれるだろう)

耕助はそう判断した。


「ご覧の通り、ほらみんな酔いつぶれてまして…… 少々私達で話し合いたい事も……」

 幻覚だとしても異世界へと耕助達を勝手に呼びつけたヘルサの方が無礼極まりなく、本来相手にすべきではない。だが、生まれつきか、それとも弱小の職場がそうさせたのか腰が低い耕助は幼い少女に頭を下げた。

(夢の中だか、異世界だかあの世だか知らないが、そんな状況は初めてだから言葉に詰まる。なんと言えばいいのだろう)

後ろでは倉田が無線機で連絡を試みているようだが、無駄だったらしい。

 

「そうそう、耕さんの言う通り! よっぱらいの大軍団!本職、なまら酔ってまーす」

 事務椅子に体を投げ出し、恵比須顔の渡が大声を上げ、起立敬礼する。

(もうひっちゃか、めっちゃかだ!)


「佐藤巡査部長、少々酒が過ぎますよ。コレはお預かりします」

苦虫を噛み潰した様な顔の倉田が渡のホルスターからリボルバーを引き抜く。

倉田は弾を抜き取ると、銃を渡のホルスターに仕舞った。

 

「駄目ですよ倉田さーん」

 渡は酔い潰れた声で抗議する。だが倉田はソレを無視する。

「本職も鈴石さんに同意です、現在我々には少々問題がある。暫く時間が必要です」

(幻は脳が勝手にひっちゃかめっちゃかに作り上げるモノで、きっとそれほどロジカルなものではないだろう。理論立った人がいるということは『コレ』は現実なのかも知れない……)


「えー、俺反対。ヘルサちゃんめっちゃ可愛いじゃん。もっと一緒に居たい」

 ヘルサをこそこそと伺いながら耕太は不満をぶつける。耕太は元来内気だから、娘っ子の前でこんなセリフを言ってのけるタマじゃない。

(察しの悪い耕太はきっとヘルサが日本語を理解してないと思ってるのだろう)


「耕太、この子日本語結構わかるぞ」

「マジ……?」

耕太の顔が引きつる、蛇に睨まれた蛙とはこのこと。

「マジ、私はなまら日本語わかる。北海道弁もけっぱって多少は判るべさ」

 ヘルサは堅い口調をいきなり崩した。『なまら』のイントネーションも完璧といっていい。

 哀れな耕太は恥ずかしさで顔を真っ赤に染め、静かに悶絶し始めた。耕太は女性に対し素直にかわいいなんて言える性格じゃないのだ。


(若者の恋や異性の悩みは特権だ、楽しめるときは楽しんだほうが良い、異世界でなければ。だが、耕太には澄佳という良い彼女が居た筈じゃなかったか……)

 耕助の脳裏に澄佳の顔がうかんだ。澄佳は耕太の幼なじみで彼女、共に札幌に出た。耕太は進学し、澄佳は就職である。

(幻覚を見ているさなかにもはこうも都合のいいように脳はキチンと働くのだろうか。もっと複雑怪奇で、暴走するものが幻覚なのではないか)

耕助の背筋に冷たい汗が這う。耕助は異世界にいるという事実を徐々に理解し始める。

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