『黒の手』
ユミナの第一執事たるクリムは異世界人との宴席から離れ、小部屋に居た。
狭い部屋には様々な情報が書き記された書類が山積みになっている。中にはS町の情報も含まれていた。
「遅参申し訳ない」
小部屋に男が入ってくる。シルタ家騎士長、イノムデである。
「で、内密の命令とは」
「異世界人を殺せ、盗賊の仕業に見せかけてな。アノン家の女は生かせ、彼女の力は殺すには惜しい。だがそれ以外は皆殺しだ」
「それは剣呑な話だな。当主様はあの異世界人に大臣職を任せるとおっしゃっているが」
「それが問題だ。当主様は手柄に欲がなさ過ぎ、また忠臣にすぎる。農業大臣として手柄をあげるなら今をおいて他はない」
クリムの声には確かな殺気が籠もっている。
「そもそも、当主様が農業大臣に上りつめたのも我々の陰働きがあってこそ。君が一番知っている筈だろうイノムデ」
「ああ、無論だクリムよ」
クリムはシルタ家を血なまぐさい方法で守ってきた。それがクリム流の忠義である。主人が厭うような出世にまつわる事を内密にこなしてきた。
敵対貴族のデマ、国王への密告、誘拐、暗殺、その手段には限りが無い。
そしてイノムデは秘密裏に『黒の手』と呼ばれる工作員の一団を指揮してきた。
この二人の働きがシルタ家を当主の手腕以上にもり立てた側面は否めない。無論家主は知らぬ間に。
「ではどうやって殺す。盗賊に仕立ててと言ったな。難しいぞ、アノン家の娘を生かすのは特に。盗賊の類いであれば女は犯し、殺す。もしくは身代金目的の誘拐だな、いずれにしても女を無事生かしてとなると違和感が残る」
「そうだな、誘拐されたヘルサの身柄を我が家が保護したことにしよう。アノン家との関係を深められる」
「そうしよう、それが手っ取り早い」
「だがまだ難点があるぞ、連中は加速魔導でひたすら突っ走り、護衛騎士もいる。足止めできるかどうか」
「そこは黒の手が腕を見せる時だろう。私は謀略に長けるが兵事には疎い」
「簡単に言ってくれるものだ、全く」
イノムデは汚れたゴブレットに蜂蜜酒を注ぎ、飲みほす。
「先ず騎士隊とあの浮遊小屋をトラップで分断する、そして加速魔導で小屋の足、フヌバを潰す」
「やり口は君に一任する。君を信頼しているよ」
「わかった、任された」
二人はゴブレットをかち合わせる。
「ところで何故異世界人を殺す。ジャガイモとやらを異世界人に育てさせ、魔王軍に勝つ。異世界人が元の世界に戻り、再びユミナ様が農業大臣に復帰するという現在の方針では不満か」
「そうだ、一つでも手柄が欲しい。ジャガイモとかいうヤツはすさまじく生産性が高いらしい、早めに主導権を握りたい。戦争中に我が家主導でジャガイモを普及できれば、それだけ功績も高くなる」
「だが、耕す人間がいなければ作物は上手く行かんぞ。どうする、異世界人を殺せばノウハウを失う」
「安心しろ。今回殺すのは農協と呼ばれる農業監督役だ。農民は他にも召喚されている。だが、農民は大臣の器ではない。農業大臣の権限でジャガイモの農民を手中に収めれば問題ない」
「お前はどれだけ情報を集めているのだ、全く。俺は異世界人の事なんて知らなかったぞ」
「君はそれでいい。謀略は私が、暴力は君が」
クリムは裏の情報網を使い、今回のS町召喚の顛末を始めから注視していた。農業大臣の座を安定したものにするには、異世界からもたらされる作物について情報を集め、謀略を練らなければならない。
主人が農業大臣を退こうとする今、その手腕を最大限発揮しなければならないと自負している。
「希望的観測だが、ジャガイモを普及できれば、我が家も鉄家になれる可能性もある」
「鉄家か。それは素晴らしい。是非とも今次作戦は成功させねばなるまいな」
イノムデは蜂蜜酒を口の中で転がす。
「鉄家昇格は悲願だ。我が当主はあまりお望みではないようだが。しかし、我が使命はシルタ家繁栄であると確信している」
「その通り、我々の忠義はシルタ家繁栄の陰を担うものだ。今回も、そしてこれからも」
「では、早速準備としよう。万が一、連中に生き残りが出た場合に備えて黒の手に夜盗風の装備をさせる。従って万全の装備とは言えない。だが優秀な連中を連れて行こう」
「殺すのは我が領地を出てからだ。主人の責任問題になりかねん」
「そこら辺は承知している。我々が汚れ仕事を始めて何年になると思って居るんだ。安心しろ」
イノムデは部屋の扉を開く、扉は廊下へとつながっていた。まるで、小部屋の主人の心中を表しているような、薄暗く、湿っぽい廊下であった。
「いるんだろう、サルマ。出てこい」
イノムデは呟く。
「御意」
何も無い空間から突如として男が現れる。カラスの様な艶を持つ黒いマントを身にまとっていた。
「お前の隠形の魔導には今でもギョッとさせられる。今の話は聞いていたな」
「は、異世界人を暗殺、アノン家の娘、ヘルサは誘拐」
「話が早い、そういうことだ。最精鋭を十名ほど選りすぐって先回りしろ。今ならまだ間に合うだろう」
「人数が大分少ないようですが」
サルマと呼ばれた男は不可解そうに尋ねる。
「飢餓のこのご時世、烏合の衆が大所帯だったらおかしいだろ。少なくともヘルサは生かさねばならんのだ。だから限りなく野盗に寄せなければならない。襲撃部隊と我々を結びつける情報、証拠は少ない方がいい。では支度を始めろ」
「御意」
サルマと呼ばれた男は姿を闇へと溶かす。
「上手くやれよ」
イノムデは闇に向かって声をかけた。
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