異世界水事情

 農協駐車場には錆びたママチャリ数台と真っ白な自転車が停めてある。

 錆びた自転車は農家の爺さん達のものだろう、白いのは警察仕様だ。


 耕助は事務所の扉を開ける。

 農協事務所兼プレハブ小屋は半分枯れたような男臭い空気が漂っていた。

 予想通りの加齢臭。

 そして、あーだこーだと爺さん達はこれからの議論をしているようだ。


 「耕さん、意外と遅かったですね、ほら倉田さん早起きしなくてもよかったんですよ」

 渡が得意げに声を上げる、マダムを除く現世組全員が集まっていた。

「あのですね、我々警官には二、三日くらいは不寝番する覚悟が必要ですよ」

 倉田は朝から説教を垂れる気力もないのか、ただぼやくだけだ。


 それが選択肢として正解、渡の警官としての資質は毎日日報を書ける程度のものだ。これだけ気の抜けた警官でうまく廻ったのだから旧S町は平和そのものだったのだ。


 それにしても臭い、加齢臭というやつだ。やっぱり皆風呂に入れなかったのか。

 だが、一つだけ言えるのはニオイ談義で耕太の多少気分が和らいだように見える事だ。


 「女の朝には時間がかかるの、唐変木にはわからないかもしれないけど」

 マダムが最後に事務所へと入ってきた、いつも通りの少しババ臭い香水の匂いがする。

 爺さんどもは年寄りの習性か、朝早くに起きてアノン家の護衛を連れて歩いてきたらしい。

「やっぱり皆風呂入ってないのね。あーやだ、ばっちい、ばっちい」

 マダムが鼻をつまみ、手で空気をはねのける。


「じゃあ、石屋さんはお風呂入ってきたんですか」

「入ってきたわよ、追い炊きで。一昨日ちょうど灯油は満タンにしたしね」

 まるで追い炊き風呂を付けた自分を誇るかのようにマダムは胸をはる。

「でもお巡りさん、ちゃんと夏服あったのね。よかったわ、汗臭くなくて」

 確かに倉田と渡は薄手の夏服になっている、こんもりとした冬服は暑すぎる。マダムは心なしか拓斗を避ける。

「御免なさいね自衛隊さん、加齢臭は平気だけど汗の臭いが苦手でね」

 マダムは大してすまなそうにもせず、口だけの謝罪する。


 「先ず、飲み水の問題が先決です。水はアタると損害が大きいですから」

 耕助は『S町異世界生活会議』と題し、会議を開いた。己の使命、国興しに気づいてからこの異世界に対し能動的になった。

 耕助は過疎地となり合併された故郷と、存亡をかけて魔王と不作を相手に戦う王国とを重ねた。


 この会議がその使命感の現れだ、この世界を救うにはS町の力が必要だ。だが、異世界に適応できなければ話は進まない。衣食住は優先事項なのだ。

 新婚旅行で生水に当たったトラウマを持つ耕助にとって水の衛生は最大の懸念だ。

 ウォーターサーバーの在庫も有限だ、煮炊きをするならもっと水が必要となる。


「水源については、確か村に井戸があったんですよね」

 鈴木が挙手し、発言する。

「ありました、五十軒ほどの村です、井戸は割と大き目でしたね。水は澄んでましたよ」

 先遣隊のメンバーだった伊藤が返す、耕助がイモを焼いている間に確認したらしい。

「ならば話は単純です。水を煮詰めて上澄みを使う、より慎重を期するなら蒸気を冷やし、水滴にして集める方法の二つがあります」

(本当に大丈夫なんだろうか、そもそもそんな単純にできるのか)

「それなら生水でも問題ありませんか」

「ええ、私は西アフリカでハンティングツアーに参加した時、現地で実践しました。アフリカの川水で大丈夫ならこちらでも大丈夫でしょう」

 鈴木は自信ありげにニヤつく。


「ただ、蒸発式は手間が掛かる。あまり豪華に水を使えるようになる訳ではありません。おおきな鍋を使い、一カ所で水を精製、各自に分配する制度がいいかと思います」

「食に関する水以外は生水で大丈夫じゃないですか、風呂とか洗濯とか」

 拓斗は気を付けの姿勢で壁にたって、握り拳をを天に突き上げ意見を述べる。

「拓斗君、そこまで畏まらなくてもいいよ。第一、ここ自衛隊じゃないし」

 持参したせんべいを頬張りながら渡がしゃべる。確かにその通りで、自衛隊レベルの規律を持ち込む必要はない。

 だが、水の問題を議論しながら、口の乾くせんべいを食う渡は無神経すぎる。


「あ、そうだ。水に関した問題が一つ」

 渡はせんべいを持ったまま挙手をする。

「便所、どうします? 流さないわけにはいかないけど、下水も寸断されてるでしょ、きっと」

「水を運んで流しても、どこかで詰まって逆流するかもしれないな」

 小林組の班長がウゲェとでも言いたげに顔を顰める。

「しかし、渡ちゃんにしては鋭い視点じゃない、どうしたんだい」

 原井がやや笑顔で渡を見つめる。


「いや、昨日でかい方を流した後、気が付きまして……」

(やっぱりそんな事だろうと思った)

「俺はびっくりして引っ込んじまったから平気だけどね」

 原井はガハハと笑いながら、一同を見回す。

 皆概ね状況は同じの様だ、便秘に感謝する日が来るとは思わなかった。そうなるとかえって渡の神経回路の図太さには驚かされる。


 「ああ、その手があるか。耕ちゃん、各家庭に肥溜めを作ったらどうだろう」

 一人合点した伊藤が自信ありげにふんぞりかえって話し始める。完全有機栽培の趣味農家らしい発言だ。

「それなら肥料にもなるし、水も使わないよ」

 それは確かにそうなのだ、だがそれには欠点がある。

「肥料、といっても糞尿は発酵させないとつかえませせんし、何より感染症の恐れがあります」

 そう、有機農法の、というか肥溜めの最大の欠点は強烈な臭気ではなく、感染症なのだ。

 肥溜めは蛆やハエ、感染症媒介動物の繁殖地となる。

「耕ちゃんの言う通りだ。俺たちの世代も肥溜めの作り方までは知らないぞ」

 専業農家勢は一様に難色を示している。


 「なに、穴を掘ってその中に用を足せばいい。ジャガイモなら地中に実がなるから、表面も汚れない。それにきちんとかき混ぜて発酵させてやれば菌は死ぬよ。それともトイレ詰まらせたいのかい」

「確かに他に手はなさそうだ、毎回穴を掘る訳にもいかない、野ざらしにもできない。なんなら一度貯めて川にでも捨てればいい」

 鈴木も頷きながら伊藤に加勢する。


 確かに根菜ならば、葉物と比べ汚染のリスクは低い。

 屎尿を肥料にするかは兎も角、ボットントイレを作る方向で概ね賛同を得られそうだ。

「じゃあ結論としては各自はトイレ穴を掘る方向でいいですね、体力のない人は手伝いますから」

「なーに、あの兵隊どもにやらせりゃいいのさ、半日もあればすぐに完成するわよ」

 マダムがプレハブの外に突っ立ている兵士を顎でしゃくる。確かに、勝手な理由で召喚された我々がわざわざトイレ作りに勤しむ理由もない。


「確かにそれもそうですね、じゃあヘルサさんにトイレづくりを頼んでおきましょう」


 「じゃあ。次は農業の問題に入りたいと思うのですが……」

 耕助が最大の問題、そして自身の存在意義について切り出した時、倉田が割り込んだ。

「失礼、私から一つ確認、というか共通意識を確立させたい事案があるのだが」

 倉田が有無を言わさぬ意気込みだ。

「この世界で銃をどう取り扱うか、です」

 倉田は起立するともったいぶった言い方で皆の注目を集めようとする。

 だが、彼の努力もむなしく倉田への注目は乱入者によって奪われてしまった。


 農協の脇に六頭のフヌバに曳かれた荷車が横付けされた。

 荷車からは白いローブを着たヘルサが飛び降り、農協事務所に入ってくる。

 「こんにちは、昨日は大変ご苦労だったでしょう」

 ヘルサが恭しく挨拶を述べる、きらきらと輝く金髪が揺れる。

 その後ろには彼女を守るようにジュセリが寄り添い、入室してきた。

(その通りだ、お前の召喚のせいで大変だったんだぞ)


「昨日イムザがお聞きしたところでは毎日風呂につかる習慣があるとか」

「ええ、それもこれから話すところだったんですよ」

「アノン家邸宅には温泉がある、一度浸かりに来ては如何か」

 ジュセリが武人らしい物言いで、最高の提案をする。


 「温泉! 確かに地面から湧く温泉なんですね? 女将、女将はいますか」

 温泉好き女将フェチの残念イケメン沢村が歓声を上げる。不味い、物好き野郎の心のエンジンに火が入ってしまった。

 

 彼曰く温泉と銭湯は全くの別物らしい、温泉成分が必要なのだと。言ってしまえば泉質ジャンキーなのだ。加えてオカミフェチ。なんでも奥ゆかしい女性が好みで、そうした女将を見つけるためだけに長期休暇の度、北海道中を旅しているのだ。

 その喜びっぷりにヘルサとジュセリは困惑の表情を浮かべ顔を見合わせる。

「は、はい。地面から湧き出す温泉です。オカミ、は知りませんが」

「温泉の管理人ですよ、こう色っぽくて、奥ゆかしくて……」

「は、はぁ。温泉を管理するメイドがおりますが、それでよろしいですか」


 あーあ、もう知らない。きっと沢村は暴走を始めるだろう、イケメンなのにもったいない。

「よろしいも何も正にその方です。いや見目などお話いただく無くても結構、私自身で確かめたい」

「よ、よかったです。え、えーでは皆さまフヌバの荷車にてお送りしますのでお乗りください」


 温泉宿と言えばマイクロバスの送迎だ、それがこっちの世界じゃ荷車なのだ。どこの世界も似たようなものか、一人納得した耕助は皆に声をかける。

「では話の続き、銃の扱い、ですか。それは風呂場で話しましょう、裸の付き合いってことで」

 倉田はどこか恨めし気にこちらを睨むし、沢村は歓喜を全身で表現する様に跳ね回ってる。

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